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「心」の話は難しいです。
「心」の状態が似ている人同士なら、「あれ 「それ」で通じますが、似ていない人の間ではどんなに言葉を尽くしても通じません。 なぜなら、「言葉」そのものが「心」だからです。 この「言葉そのものが心」という言葉も、通じる人には通じますが、通じない人には通じません。 丁寧に説明すれば頭では理解してもらえるかも知れませんが、「頭での理解」は「心の納得」とは異なります。 「通じた」ということでもありません。 子どもは親との関わりを通して「心の種」を受け取ります。そして、色々な体験や学びを通して、その「種(心)」を育てて行きます。 でも、いっぱい栄養を吸収して「心」が大きくて豊かな木のように育つ子もいれば、あまり栄養を吸収出来ずに、細く小さくしか育たない子もいます。 その違いは、「体験や学びの質」の影響も大きいですが、親からもらった「種の質」の影響が大きいのです。 「他者を肯定する心」を「種」としてもらった子は、色々な学びや体験から、多くのことを心の中に吸収出来ます。 でも、「自分を守る心」を「種」としてもらった子は、心の防御機能が強く働いてしまうようになってしまうため、自分の価値観に合ったもの(安全を感じるもの)しか吸収出来なくなってしまうのです。 それはたとえば、ネットで自分の知りたい情報だけを探す人のような状態です。自分の価値観に合った情報しか得ようとしないので、心の自由度も、多様性も、世界観も広がらないのです。 また、相手の立場に立った視点も持つことが出来ません。 そのため、自分の世界を広げることが出来ないばかりか、「助け合う」とか「共に」という発想を持つことが出来ずに、常に独りぼっちで、「勝つか負けるか」という世界に生きることになります。 「右翼」とか「左翼」などと呼ばれている人達もそのような人なんだろうと思います。 「中道」にこだわる人も同じです。 私は、「右翼」にも、「左翼」にも、「中道」にも与しません。 そういうジャンル分け自体が嫌いなんです。そこには「心の自由」がないからです。 世界は全てつながっています。「右・左・真ん中」などと分断なんかされていないのです。そこには「あるがままの世界」があるだけです。 右翼の言うことにも一理あります。左翼の言うことにも一理あります。中道の人の言うことにも一理あります。でもみんな「自分の都合に合わせた一理」しかありません。 最近、「他の人を信じないように」という子育てをしている人が多いですが、そのような子育てを受けた子は「心の防御機能」が強い子に育つと思います。 最近、あるマンションで「挨拶をやめよう」という活動が起きているというニュースが流れていましたが、そこには他者を信じることが出来ない不安があります。 「知らない人に話しかけられたら逃げなさい」と子どもに仕付けているお母さんも多いです。 そのため、「道を聞いただけなのに子どもが逃げていった」という話しも聞いたことがあります。 私自身も似たような体験があります。公園のベンチに座っていたら子どもが寄ってきたのでお話をしていたら、お母さんが飛んできて「知らない人とお話ししちゃダメって言ったでしょ」と言いながら子どもを連れて行きました。 昨今、子どもを狙ったおかしな人の事件が多発していますから、お母さんが子どもに「知らない人に近づいたり、付いていったらダメ」という教育をする気持ちは分かります。 でも、このような教育には何の効果もないばかりか、「心の防御機能」を強くしてしまうため、心の育ちには悪い影響しかないのです。 そもそも「知らない人」という定義が、子どもと大人とでは違うのです。 大人の「知らない人」というのは「氏素性が分からない人」という意味だろうと思います。でも、子どもは「氏素性」で人のことを判断したりはしません。というか、「氏素性」ということの意味すら理解することが出来ません。 子どもたちは毎日公園で会って、毎日遊んでいる仲間の名前すら知らないことがよくあります。何年生なのか、どこに住んでいるのかも知りません。 そんなこと「どうでもいいこと」だからです。 子どもたちは大人と違ってそんなことには興味がないのです。 子どもに興味があるのは一緒に遊べるかどうかだけです。 そして、一緒に遊ぶことが出来れば、もうそれだけで「知らない子」ではなくなるのです。 相手が大人でも、楽しく遊んだり、お話ししたり、お菓子をもらえれば、もう「知っている人」なんです。 これが子どもの「心の論理」なんです。 だから、「知らない人を信用してはいけない」という教育をするよりも、「ねえねえお母さん、今日ね、公園でこういうことがあったよ、こういう遊びをしたよ」と、子どもが楽しそうに話してくれるような親子関係を育てる方が、子どもの安全を見守るためには効果的なんです。 実は、お母さんが子どもとの間に「何でも言い合える人間関係」を築くことが一番「子どもを守る力」になるのです。 「あれしなさい」「これをしてはダメ」「早くしなさい」などと子どもを追い立てているだけではそのような人間関係は育たないのです。 そしてそれが子どもを危険な状態にしてしまっているのです。 それにそもそも「怪しい人には近づかないように」と言っても、好奇心が強い子どもは「怪しい人」が好きなんです。それに、「本当に危ない人」は、一目見て「怪しい人」の状態では行動しないのです。 また、「怪しい人」への警戒心が強くなると、ホームレスの人のように「見るからに怪しい人」を怖がったり、否定するするようにもなります。石を投げるようになってしまうこともあります。 でも、「怪しい人」を避けることが出来るようなっても、相手をだまそうとする「危ない人」を避けることは出来ないのです。 子どもには「大人の嘘」を見破る能力はないからです。 これは、幼い子どもが時計の針が読めないのと同じで、生理的に出来ないことなので、お母さんがどんなに説明しても無駄なんです。 「知らない人に近づいてはダメ」というしつけは、「親の自己満足」と「自分への安心」でしかないのです。 子どもは、本能的に100%人を信じる状態で生まれてくるのです。 「疑う」という能力を持っていないのです。 だからこそ、周囲にいる人を模倣し、多くを学ぶことが出来るわけです。 それでも、お母さんが強く「人を信じるな」と言えば、子どもは人を信じなくなります。 でも同時に、お母さんのことも信じなくなります。 「心の防御機能」が働き出すと、お母さんも受け入れなくなってしまうのです。 それに、そもそも、そういう「危ない人」もまた、孤独で他者を信じることが出来ない人です。 ですから、「我が子を被害者にしないためのしつけ」も、行き過ぎてしまったら「将来の加害者」を育てることになってしまうかも知れないのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.04.02 09:26:24
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