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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2017.04.04
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カテゴリ:カテゴリ未分類
昨日、和田 さんから

質問です。
最後の所に「子どもからも、また自分自身からも逃げない覚悟」とありますが、逃げないと言う事がよく分からないです。
加害者になり得る人は、どんな事から逃げているのですか?


という質問を頂きました。

これを言葉で説明するのは非常に困難です。

ただし、「説明できない」ということではありません。矛盾するようですが、説明自体は簡単に出来ます。
それを今日書いてみますが、でも、分かる人はそのまま分かりますが、分からない人には私の意図通りの理解は出来ないと思います。そういう意味での「説明が難しい」ということです。

「言葉」というのは、同じ言葉でも常に多重の意味を持つので、非常に扱い方が難しいのです。

砂漠で生まれ育ち、砂漠のことしか知らない人に、アマゾンやアフリカのジャングルの話をしても、理解されないでしょう。どんなに丁寧に説明しても理解されないでしょう。

これは頭の善し悪しや知識の有無の問題ではなく、人は体験によって言葉を理解しているので、自分の中にその言葉の裏付けとなる体験がないことには、言葉は正しく伝わらないからです。

そんな時、人は自分なりの解釈をしてしまいます。
つまり、砂漠の知識や体験で、ジャングルを理解しようとしてしまうのです。

それでも本人は分かった気になりますが、でもそれは、話し手が伝えたいと思った「アマゾン」ではありません。

だからこそ、子どもたちには「多様な体験」と、それに伴う「言葉」を与えてあげて欲しいのです。

その「体験」と「言葉」が、子どもの「心」を育ててくれるのです。

「体験」だけでは不充分なんです。だから大人の関わりが必要なんです。


と、ここで和田さんの質問に戻りますが、「逃げている」ということは、「体験していない」ということでもあります。「体験すること」から逃げているわけですから、「体験」がないのです。

だから、「何から逃げているのですか」と聞かれてそれを説明しても、理解されないことが分かるので説明できないのです。

最初に書いたように、説明自体は簡単です。「つながること」「うけいれること」「任せること」から逃げているのです。

でもこれは、子どもが「なんでリンゴは落ちてくるの」と聞いてきた時に「重力があるからよ」という説明と同じです。

「重力」というものが分からない子どもに、このような説明をしても、子どもは何にも分からないまま、分かった気になってしまうだけです。

学校での授業のように、「体験」がなくて「言葉」だけでも一般論としては理解することが出来ます。でもそれでは、「自分の問題として」理解することが出来ないのです。

ところが、これを「からだのワーク」でやると、「言葉」を体験することが出来るので「自分の問題」として理解出来るのです。

「つながる」「受け入れる」「任せる」というのは、「心」だけでなく「からだ」でも体験できることだからです。

というか、元々、「心」と「からだ」は一つのものなので、「からだ」を通して、「心の体験」が出来るのです。

言葉だけの説明ではそれが出来ないのです。

私は毎日ブログを書いていますが、「体験」そのものはブログでは伝えようがないのです。

たとえば、「子育てにはスキンシップが大切です」と言われます。「子どもを抱いてあげて下さい」とも言われます。

以前、公民館にワークをしにいったら、懇意の公民館の人が「先生、こんなことがありました」と一つのエピソードを話してくれました。

公民館の企画で、子育ての先生を呼んで子育てに関する講演会をしたそうです。その先生もまた「子どもを抱いてあげて下さい」と言ったそうです。

そうしたら、最後に、「質問です」と手を挙げ「何分ぐらい抱けばいいのでしょうか?」と聞いた人がいたそうです。

その公民館の人は「カップラーメンじゃあるまいし」とその質問をした人の感覚を笑っていましたが、分からない人には本当に分からないのです。

もう、30年以上も前になりますが、「賢治の学校」という活動を始めた鳥山敏子のワークで、「触れる」というワークを受けたことがあります。

二人組になるのですが、向き合うのではなく、同じ方向を向いて座り、後ろの人は前の人の背中や肩に触れます。

そして、「前の人が大嫌いな人だと思ってみて下さい」「大好きな人だと思って下さい」という指示がありました。

すると、「触れられている人」が、「触れている人」の心の状態によって「触れられている感覚が全然違う」と言うのです。

それはつまり、お母さんが「大好き」という気持ちで抱くのと、「3分抱けばいいのね」という気持ちで抱くのとでは伝わるものが全く違うということです。

「大好き」という気持ちで抱けば、瞬時に子どもとつながります。
でも、義務として抱いた場合は、何分抱いてもつながることが出来ません。

「時間」でも「方法」でもないのです。

でも、この「時間でも方法でもない」というのは、体験しないことには「自分自身のこと」として実感できないのです。

ちなみに、武術家は相手に触れた瞬間、もっと達人は、相手と向き合った瞬間にもう相手とつながることが出来ます。だから、相手を操作することが出来るのです。

*************

<生徒募集です>
★「からだの会」
JR茅ヶ崎駅の隣のビルで毎月やっています。月曜日が多いです。
「動き」をテーマに心とからだを緩めるワークをしています。
二人で組んでやるエクササイズが多いです。
10:00~12:00 2000円です。

6月までの予定は
4月13日(木)、5月15日(月)、6月9日(金)
となっています。

ご興味のある方はお問い合わせ下さい。





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Last updated  2017.04.04 08:27:38
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