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「学ぶ」という言葉の語源は「真似る」だそうですですが、実際には「真似る」の他にも、「体験を通して学ぶ」、「教えてもらって学ぶ」、「本を読んで学ぶ」など、いくつかの「学びの方法」があります。
でも、「学び方」が違えば「学ぶ内容」も違ってきます。 「真似て学ぶ」ようなことは、教えることは出来ません。 「真似て学ぶ」ようなことは「真似」を通してしか学ぶことが出来ないのです。 「体験」を通しても、本を読んでも学ぶことが出来ないのです。 これはそれぞれの「学び方」に共通のことです。 「言葉」や、「人間性」や、「社会性」といったようなものは、「真似ることでしか学ぶことが出来ないもの」です。 なぜなら、これらのものには「正解」がないからです。 「正解がないもの」を学ぶためには、それを備えた人との関わりを通して、その人を真似ることでしか学びようがないのです。 そして、「文化」と呼ばれるものに属するものは、全て真似ることでしか学びようがありません。 「言葉」を学ぶためには「言葉を通した関わり」合いが、「人間性」を学ぶためには「人間性を通した関わり合い」が、「社会性」を学ぶためには「社会性を通した関わり合い」が必要になるのです。 お母さんが「言葉」を知っていても、子どもとの間に「言葉を通した関わり合い」がなければ、子どもは「真似る対象」を得ることが出来ないため「言葉」を学ぶことが出来なくなってしまうのです。 ちなみに「言葉」は、話しかけられ、話を聞いてもらわないことには覚えることが出来ません。テレビのように、自分とは無関係なところで言葉が流れていても、覚えることは出来ないのです。 歌を覚えるように「音の真似」は出来ても、「コミュニケーションツールとしての言葉」の真似が出来ないからです。 「人間性」や「社会性」といったものも同じです。 でも、最近の子どもは「大人が実際に活動している場面」を見る機会があまりありません。 大人の活動で、最近の子どもでも目にする機会が多いのは、お料理を作っているお母さんや、学校の先生や、お店などでレジ打ちをしている人や、テレビの中の芸能人ぐらいです。 「大人との関わり合い」になるともっと少なくなります。 そのため言葉を通しての関わりも、人間性や社会性を通しての関わりも希薄になってしまっています。 そのような場面で使われている言葉は、「旅行者英語」程度です。 そのため、今では、「旅行者英語レベルの日本語」しか話せない子どもがいっぱいいます。なんとなくは通じるのですが、具体的な話になると通じないのです。 「対話」も困難です。 また、「冷暖自知」という言葉の通りに、「感覚に属すること」は体験によってしか学ぶことが出来ません。 見て学ぶことも出来ません。言葉で教えることも出来ません。 「肉体の動かし方」は見て学ぶことが出来ます。 でも、重いものを持つ時のからだの使い方や、卵のような壊れやすいものを持つ時の力の加減は、体験によって学ぶしかないのです。 また、「ノコギリの使い方」なども、ビデオなどで見れば「肉体の動かし方」は分かります。 でも、手の感触や、力の入れ具合は体験しないことには分かりません。ですから、ビデオで見ただけでは使えません。 でも、それもまた体験を通して学ぶことなので、体験で学ぶ機会が少ない子は「やり方を見たり、教えてもらうだけで出来るようになる」と思い込んでしまっています。 それが思い込みに過ぎなかったことは、社会に出てから気付くことになります。 教えてもらう場合も、体験とセットにして教えてもらわないことには、ちゃんとした「学び」にはつながりません。 実際の「体験」とつながらない「学び」は、単なる「知識」に過ぎないからです。 映像だけ、言葉だけで教えてもらっても、その「教えてもらったもの」を使いこなすことは出来ないのです。 また、人は多くのことを「本」を通して学ぶことが出来ます。でも、「本での学び」には、「言葉の受け皿」や、その「言葉」とつながった「体験の受け皿」が必要になります。 本を読んで「木」という言葉を理解するためには「木」という言葉の意味を知っていることと、実際の「木との出会いの体験」が必要になるのです。 そのため、大人から「言葉」を受け継いでいない子、「体験」と「言葉」がつながっていない子の場合は、本から学ぶことは出来ません。 当然、本を読んでも面白くありません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.04.19 08:48:16
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