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「子どもの感覚」と「大人の感覚」は大きく異なります。
「子どもにとっての色」と「大人にとっての色」は同じではありません。 「子どもにとっての音」と「大人にとっての音」も同じではありません。 多分、五感の働き全てにおいて、「子どもが感じている世界」と「大人が感じている世界」は異なるのではないかと思います。 大人になると、子どもの頃の感覚が分からなくなってしまうので、子どもが感じている世界が分からなってしまうのです。 だから、「なんでそんなこと気にするの」「なんでそんなものを怖がるの」と簡単に子どもの感覚を否定してしまうのです。 どうしてその違いが存在しているのかというと、子どもの感覚には、まだ「刺激を分析したり、自分を守るフィルター」が付いていないからです。 だから感覚刺激がダイレクトに「心」や「からだ」の中に入ってきてしまうのです。 その「刺激を分析したり、自分を守るフィルター」とは、「意識の働き」であったり、「自我の働き」であったりします。 大人になると、外部からの感覚刺激は、この「意識の働き」や「自我の働き」によって、分類され、調整され、整理されて、それから意識や、心や、からだに認識されているのです。 ですから、大人は「見えているまま」に見ているわけでも、「聞こえているまま」に聞いているのでもないのです。 例えば、エンジン音やクラクションの音を聞けば、大人は無意識的にその音源としての「車」をイメージします。つまり、エンジン音やクラクションの音をそのまま「音」として聞いているわけではなく「車の属性の一つ」として聞いているわけです。 車に詳しい人なら、エンジン音を聞いただけで車種や車の状態が分かるかも知れません。 でも、「車の音」だと判断した途端、それ以外の音は自動的に除外されてしまいます。 実際には、カーステレオを鳴らしている自動車からの音は「エンジン音+カーステレオの音」なんですが、大人はそれを無意識的に分離して(選択的に)別々に聞くことが出来るのです。 でも、機械にはそんな能力がないので、マイクで録音すると全部の音を拾ってしまいます。 幼い子どもも周囲が騒がしいと、お母さんや先生の言葉を聞き取れなくなります。 そんな時、お母さんは「ちゃんと聞きなさい」と言いますが、そんなこと言われても出来ないものは出来ないのです。 ですから、子どもに何かを伝えたいのなら、静かな環境の中で、静かな言葉で伝えた方がいいのです。 ちなみに、自閉症の子は特にこれが苦手です。 あと、この時期は「色水遊び」や、「色遊び」をすることが多いのですが、私が「色」の準備をしていると「わたしピンクがいい」「ぼく青がいい」「わたしは赤」などと子どもが寄ってきます。 お絵描きの絵の具を用意している時も同じです。 だから、「いろんな色があった方が楽しいよ」と言うのですが、中には、それでも単色にこだわる子もいます。 緑の色画用紙に、緑のペンやクレヨンで絵を描いて、緑の折り紙を貼り付けるような子もいます。 だから、何が描いてあるのかはっきりしなくなってしまうのですが、本人は緑以外の色を使おうとしないのです。 これは大人には理解しがたい感覚ですよね。 また、何でもかんでも「赤」一色で描いてしまう子も、「黒」しか使わない子もいます。 大人にとって「色」は「物の属性」に過ぎません。 「物から分離して色だけが存在している」という状況を想像できません。 「赤い色」は、「リンゴ」や「折り紙」や「お花」の属性としてしか認識出来ません。 でも、子どもたちにとっては、「音」の時と同じように、「色」は単なる「物の属性」ではないのです。 「色」は「音」と同じように、それ自体で一つの存在なんです。 子どもにとって「色」は、それほどリアルな存在なんです。 だから大好きな色があれば、その色の中に浸りたがるのです。 「音」に浸ることが出来るように、「色」に浸ることも出来るのです。 大好きな色の中に浸っていると落ち着くのです。 子どもにとって、「色」は食べ物と似たような存在なのかも知れません。 子どもは大好きな食べ物なら、毎食でも食べたがりますよね。あんな感じです。 因みに「色」には、感情やからだの働きを活性化させる働きがあります。 また、「命の働き」に働きかけて、「命の状態」を調整する働きもあります。 (「形」は思考や意思の働きに影響を与えます。) ですから、「色の趣味」は、その人の「心や命の状態」の表れでもあるのです。 「気質の状態」ともつながっています。 子どもは素直に、「自分の心や生命の状態」に合わせて色を選んでいるだけなんです。 だから、子どもに、大人の価値観だけで「空は青でしょ」「リンゴは赤でしょ」などと、「大人の色」を押しつけてはいけないのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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