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森の声@ Re:「自分の人生においてリーダーになる」(リーダーが育たない社会)(04/23) New! >今日の先生の言葉は私の身体を貫きまし…

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森の声

森の声

2017.05.24
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カテゴリ:カテゴリ未分類
感覚には大きく分けて、「五感の働き」のように「からだに属する感覚」と、「不思議」や「美しさ」を感じるといったような「心に属する感覚」の二種類があります。

モンテッソーリもシュタイナーも、幼児期における感覚育ての重要性に気付きましたが、モンテッソーリはおもに「意識の働きを通してからだに属する感覚に働きかける方法」を考えました。

そしてその方法を実現する方法として「教具」という「オモチャに似たもの」を作りました。その「オモチャに似たもの」を使って、子どもが五感の働きを通して感じたものを、意識し、判断し、分別する活動をさせるのです。

この活動によって、子どもは自分の五感の働きと意識的に関わることが出来るようになります。そしてそのことで意識の育ちが促され、認識し、判断し、分別するという知的な能力が育ちます。

それに対して、宗教家、芸術家、哲学者であるシュタイナーはモンテッソーリとは全く逆の発想をしました。

子どもの「意識の育ち」を促すのではなく「無意識の育ち」を促そうとしたのです。

ですから、モンテッソーリとは反対に、認識させない、判断させない、分別させないようにしました。

文字も教えません。お勉強もさせません。知識を覚えさせるようなこともしません。
つまり、一般的な大人の常識とは全く正反対の方法を考えたのです。

だからといって、子どもを自由にさせるだけで何もしないわけではありません。

子どもの「無意識」にダイレクトにつながっている「生命感覚」や、「感情」や、「ファンタジー」には積極的に働きかけるのです。

子どもはそのような活動を通して、根拠のない幸福感と安心感を得ることが出来ます。
この安心感と幸福感は、子どもが大人になっても子どもの魂を「絶望」から守ってくれます。

また、「ルール」を単に「守るべきもの」と認識するのではなく、「物語の一部」として理解することもできるようになるでしょう。だから、自分の判断でルールを守ることも出来るようになるわけです。

また、他者や、自分自身や、自然や、世界を信じ、つながる能力を育てることが出来ます。この能力もまた子どもを一生守ってくれます。

モンテッソーリ教育では子どもが小さい時から「知性の育ち」と「精神的自立」を大切にした関わりをして、シュタイナー教育では「智恵の育ち」と「共にという感性の育ち」を大切にしているとも考えることが出来ます。

モンテッソーリ教育は父性的で、シュタイナー教育は母性的だともいえます。
ちなみに、「文明」は父性的な要素によって支えられ、「文化」は母性的な要素で支えられています。

ただし、そんなシュタイナー教育でも中学生、高校生と学年が上がるに従い、知性への働きかけが増えていきます。そして、大学に上がることには小さい時から知性を育てることばかりして来た子達と同じレベルになるようです。

実は知的な学びは、それまでに学びの基礎が出来ていれば中学生ぐらいからでも間に合うのです。

実際、ジョン万次郎は、14才の時に漁に出て嵐に遭い、流され、そしてアメリカの船に拾われ、アメリカに渡り16才になってようやく教育を受けるのですが、それまでは文字もろくに書けない下っ端漁師でした。

でも、漁師の仕事を通して「学びの基礎」は出来ていたのでしょう。
(ここで言うところの「学びの基礎」とは、「見て、聞いて、やってみて理解する能力」のことです。)

そのため、アメリカに行って学校に通うようになると、どんどん学力も伸びて、最終的には小さい時からお勉強ばかりしてきた子達を追い抜いてしまったそうです。

逆に、小さい時からお勉強お勉強と追い立てられて、中学生頃から急に失速してしまう子もいっぱいいます。「見て、聞いて、やってみて理解する能力」が低いからです。

シュタイナー教育は、最初から幼児期から大人になるまでをつなげて考えられた教育方法なので、幼児教育だけを見てその是非を論じることは出来ないのです。

問題は、シュタイナー幼稚園を出て普通の小学校に入る場合です。
普通の小学校は、「ゆっくり」や、お勉強よりも芸術的な活動を大切にしているシュタイナー幼稚園とは180度違う価値観で管理されているからです。

そこで学校はボーッとしている子どもの状態に関してお母さんにあれこれ言ってくるとおもいます。

また、他の子はみんな文字が書けるのに、ほとんど文字も書けない我が子の現状に不安を感じて子どもを追い立ててしまうお母さんもいます。

でもそれをやると子どもは混乱します。

その点、モンテッソーリの方は大きな問題はありません。かえって、幼稚園での学びが小学校で役に立つかも知れません。

ただしこれは、どちらの方が優れているということではありません。
ただ、自分自身の価値観や生き方として、どちらを選びたいのかということです。

モンテッソーリが大切にしたのは「人間」と「人間の社会」だと思います。

それに対して、シュタイナーが大切にしたのは、「人間」と「生命や自然や宇宙といった人間よりももっと大きな世界」とのつながりだと思います。

そして、私は後者の方が好きです。

**********

ここに書いたことは私の個人的な印象ですから、もしかしたらモンテッソーリの専門家やシュタイナーの専門家は別の考えを持っているかも知れません。

その点をご理解の上お読み下さい。





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Last updated  2017.05.24 10:39:05
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Re:「モンテッソーリとシュタイナー」(感覚を育てる)(05/24)   moka さん
はじめてコメントさせて頂きます。

いつも大変興味深く、勉強になるお話をありがとうございます。

小学3年になる娘と、2歳の息子がおり、
子育て支援の活動にも少し関わっている主婦です。

シュタイナーの考え方が私も好きで、
気質というものを知って、子育ても随分楽になりました。

自分自身憂鬱質だと思うので余計にですが、
今の社会の在り方はやはり子供には酷ではないかなぁと思っています。

娘が小学校に入り、教育や勉強について考えるようになると、
どうしても「強制されること」、「周りと比べられること」がネックになります。

「先生とお母さんと、言うことが違う」というようなことが出てきたリ…。

私は「自由に、その子らしく」という考えですが、
学校や社会ではまだまだ競争という意識が強いですよね。

憂鬱質が多い日本で、精神的に辛い思いをしたり、
希望を失ってしまう人が増えてしまうのも当然なのかもしれません。

ただ、最近は方向転換をしていくような動きもあるような気がします。

競争から降りていく若者や、自然と共存する暮らしを始める人も増え、仕事の在り方もかなり多様になってきています。

これから社会全体がゆっくりとそういう方向に進んでいけばみんなもっと楽になれるはずですが、現状ではこの社会で生きていかなくてはいけません。

母親として「自然のままのこの子」と「社会で生き抜いていく力」と、どちらも大切で、バランスをとるのが難しいように思います。

例えばシュタイナー幼稚園を出た子がいわゆる普通の小学校、一般の人達の中に入っていった場合、一時的に混乱してしてしまっても適応できるようになるのでしょうか?

親が「その子の世界、その子のペース」を大事にしてあげれば大丈夫なのでしょうか?


(2017.05.24 13:24:46)

Re[1]:「モンテッソーリとシュタイナー」(感覚を育てる)(05/24)   森の声 さん
mokaさん

>自分自身憂鬱質だと思うので余計にですが、
>今の社会の在り方はやはり子供には酷ではないかなぁと思っています。

勝ち負けがはっきりする競争が好きなのは胆汁質だけです。
スポーツなど見ているだけなら、面白がって見ますが、自分も参加するとなると消極的になります。

>私は「自由に、その子らしく」という考えですが、
>学校や社会ではまだまだ競争という意識が強いですよね。

全くそうです。
社会全体の価値観がそうですからね。

>ただ、最近は方向転換をしていくような動きもあるような気がします。

部分的に、個人的にというレベルですが、「自分たちで自分たちを守ろう」という動きが出てきたのは確かです。

>例えばシュタイナー幼稚園を出た子がいわゆる普通の小学校、一般の人達の中に入っていった場合、一時的に混乱してしてしまっても適応できるようになるのでしょうか?

基本的には親が学校の価値観に支配されなければ大丈夫だと思います。
でも、学校からは目をつけられると思いますけど。

>親が「その子の世界、その子のペース」を大事にしてあげれば大丈夫なのでしょうか?

あと、色々な人の物語りや自然や世界の物語りをいっぱい聞かせてあげて下さい。

物語の中には「もう一つの現実」が含まれていますから。 (2017.05.24 15:48:17)

Re:「モンテッソーリとシュタイナー」(感覚を育てる)(05/24)   あおあお さん
上の息子が生まれて、最初は子育てを頑張らないと頑張らないと、ってとにかくしんどくて、、
それでも自分はダメな母親だとか、みんなちゃんとやってるなぁ、とか勝手に自分を責めてました。

けど、段々晴れてきた。たまにどんよりすることもあるけど。

次男を育ててると、こんな簡単なことが、上の子のときはできなかったんだー、って思うんです。

上の子がまだ小さいとき、公園で同じくらいの子が何人か砂場で遊んでて、けど息子はふらふらと草を見てる。
私は、なんでみんな砂場でじっくり遊んでるのに、この子はふらふらするんだろう、と思って焦る。

次男を育ててると、またふらふらしてる。ただ、私は焦らない。楽しくて、可愛い。

あのときの私に、会って伝えたいくらい。

ふらふらしたいんよ、ほら見て、草じっと見て可愛いなぁ。そのうちうるさいくらい友達と毎日遊んで喧嘩して、泥だらけで帰ってくるよ。靴の替えがなくなるから三足は買うんよ。それで長靴も用意しても足りないから。
とかって。

ちなみに今、次男は上の子の靴しか履きません。でもそれだとうまく歩けません。同じ靴の小さいサイズは売ってないので仕方なく、同じ長靴の小さいサイズを用意したらそれは履くんです。
ま、いっか、と思ってずっと長靴なんですが、、靴下も嫌がるので、裸足で長靴。ちょっと前なら良かったけど今は暑そう、、
子どもって大人とは違う生き物だよな、って改めて思いました。
どう考えてもサンダルのがいいやん、と毎日思ってます。
長靴、、見てたら可愛いですけどね。


二人とも、自分の道を歩いてほしい。
その道に、邪魔な岩があっても、私は彼らがたどり着く前に取り除かないようにしたい。険しい道は私も一緒に歩くから。
(2017.05.24 16:48:26)

Re[1]:「モンテッソーリとシュタイナー」(感覚を育てる)(05/24)   森の声 さん
あおあおさん

>二人とも、自分の道を歩いてほしい。
>その道に、邪魔な岩があっても、私は彼らがたどり着く前に取り除かないようにしたい。険しい道は私も一緒に歩くから。

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素敵な言葉です。 (2017.05.24 18:21:15)


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