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昨今のニュースを見ていたり、多くの子どもや多くのお母さん達と接していて私が感じるのは、「みんなどんどん考えなくなって来ている」ということです。
一応考えてはいるのですが、その思考が刹那的、功利的、場当たり的、感情的なものであったり、不安からの思考だったりするのです。 その多くは「目的を達成するための思考」であって、「何かを理解しようとするための思考」ではありません。 ちなみに、動物たちも「目的を達成するための思考」は行います。でも、「理解しようとする思考」は人間しか出来ないのです。 その「人間しか出来ない思考」が出来ない人間が増えてきているということです。 「言うことを聞かない子どもに言うことを聞かせるようにするのにはどうしたらいいのだろうか?」というようなことを考える人は多いのですが、「どうして子どもはそういうことをするのだろうか?」というようなことを考えるお母さんは多くないのです。 でもだから、子育てが苦しくなってしまうのです。 また子どもの心とからだの育ちに歪みが出やすくなってしまうのです。 これは国際政治でも同じで、「相手に言うことを聞かせるための方法」は考えても、「どうして相手はそういう反応をするのか」ということはあまり考えないのです。 そこには自分の感情や欲求の押しつけがあるばかりです。 「どうして子どもはそういうことをするのだろうか?」ということを考えるためには「子どもの立場」に立って考える必要があります。 自分の価値観だけで相手の考えや行動を理解しようとするのは、単なる思い込みであり、押しつけに過ぎません。 でも、その「相手の立場に立って考える」ということが出来ない人がどんどん増えてきているのです。 クレーマーやストーカーと呼ばれる人達、DVや虐待を行う人達、イジメをする子どもたち、「いいね」をもらうためだけに犯罪行為を起こし、ネットで流す人達。 そういう行為をする人達は「相手の立場に立って考える」ということが出来ない人です。 じゃあ、どうしたら子どもたちの「相手の立場に立って考えるという思考能力」を育てることが出来るのかということです。 そのためには「物語」との出会いが必要になるのです。 更に言うと、「目で読む物語」ではなく「耳で聞く物語」です。 同じ物語でも、目で読んだ場合と耳で聞いた場合とでは、子どもの異なったところに入っていくのです。 物語の中には「他者の声」が含まれています。それが「物語」と言われるものの特徴です。 「むかしむかし あるところに」という言葉は本来「他者の声」なんです。 そもそも「物語」と呼ばれるものは全て「他者の世界の話」なので、「他者の声」で聞いた方が話の中に入りやすいのです。 実は「物語の体験」は「他者の世界の体験」でもあるのです。 <続きます> お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
どうして「だめ!」って言うのかな?
年中以上のこどもたちにとって仲間であることってとても大切ことなのかな。 だからそれ以外の子に「だめ!」って言ったりするのかな。 大人からすると冷たいなぁなんて思っちゃうけど、もっと小さい子でもお母さん以外の人には貸してあげない!ってしてたり、お母さんが持ってるものを他の子に渡すと怒って取り返してきたりする。 そうやってだんだん自分の大切な仲間の範囲が大きくなっていくのかな。 と、今日こどもたちを見ながら考えてました。 (2017.11.22 20:18:56)
森の声さんへ
こどもの世界は不思議で面白くて、大人にはよくわからないことが多いなぁと実感してます。 私は7才以上のこどもたちと長く関わってきていたのですが、0〜6才くらいのこどもたちの世界はもっと自然な感じがします。 特にこどもの世界を大切に考えている大人が集まっていて、こどもらしくいられる場所にいるこどもたちを見ているからかもしれません。 幼稚園を見てみるとまた印象が違うのでしょうね。 (2017.11.23 10:03:53)
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