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「シュタイナー教育の方法」も、「モンテッソーリ教育の方法」も、「愛の体験」にはかなわないのです。
これはどんなに素晴らしいといわれている教育方法でも同じです。 というか、本来は、「シュタイナー教育」も「モンテッソーリ教育」も、子ども達を「愛の体験」で満たしてあげることが大前提になっているのです。 (両者とも、キリスト教の「愛の精神」の上に成り立っている教育方法です。) その上での「シュタイナー教育の方法」であり、「モンテッソーリ教育の方法」なんです。 でも、多くの人が、その一番大切な部分には目を向けず、「方法としてのシュタイナー教育」「方法としてのモンテッソーリ教育」ばかりを見ようとしています。 子どもに「○○教育」を受けさせたいお母さんと、別の教育方法を望むお父さんがケンカして、お母さんと子どもだけがお父さんと別行動をとっている家族が時々ありますが、それでは無意味なんです。 子どもに「ママに付くか、パパに付くか」という選択をさせてはいけないのです。 パパが好きではないママは結構います。ママが好きではないパパもいるでしょう。 でも子どもは、ママもパパも大好きです。 どんなママでも、どんなパパでも、子どもは世界で一番好きなんです。 そんなママとパパがケンカしているのを見ると、子どもは苦しくなるのです。 「どっちに付くか」という選択を強いることは、子どもが生きている世界を二つに引き裂くことなんです。 でも、だからといって見かけだけ仲良くしても不自然です。 そして、子どもはその不自然を感じ取ります。そして不安を感じます。 そうはいっても大人には大人の事情がありますから、どうしてもうまく行かないことがあります。 大人になると、世の中理想通りに行かないということも分かってきます。 でも、子どもたちはまだその理想論の世界に生きているのです。 そして、それが子どもの安心と、希望と、成長を支えているのです。 でも、大人になると、理想論ではなく現実論で生きるようになります。 それはそれで仕方がないことです。 それを責めているのではありません。 でも、子ども達はそのような世界の中で生きているということは知っておいた方がいいということです。 それを知っていると、「子どもの苦しみ」が理解出来るようになるからです。 また、夫婦がうまく行かない場合でも、表面的に「仲が良い夫婦」を演じるのではなく、相手のことを理解しよう、相手のことを受け入れようと努力することは可能なはずです。 お互いに自分のことを押しつけようとするから対立が起きるのです。 実際には、それは無駄な努力に終わってしまうかも知れませんが、それでも子どもは、ママとパパが、お互いに理解しよう、受け入れようと努力する姿に共感し、安心し、希望を得ることが出来るのです。 たとえ悲しい結果になっても、お母さんやお父さんの努力する姿に希望が残るのです。 罵り合うだけのママとパパと見ていることほど、子どもを絶望的な気持ちにさせるものはないのです。 そういう状態で、「○○教育」を受けさせても、子どもはその悲しみと苦しみの原因となった「○○教育」を受け入れません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.01.23 09:55:43
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