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とまた、話が「気質」に戻ります。
(というかここ数日の話は今日の話のための伏線です。) 昨日は、 心やからだまで含めた「現実の私」は「他者とつながった存在」なのですが、「私」という「意識」が他者と切り離されているため、「私」という存在そのものも他者と切り離されているかのような錯覚に陥ってしまっているのです。 と書きましたが、 実は、「気質」はその「つながり」を支えるものなんです。 単なる「違い」を分類したものではありません。 そのため、いくら勉強して、いくら自分を見つめ、いくら考えてみても、「自分」という意識に囚われ、「つながり」が見えない人には「気質」も見えないのです。 何かと何かがつながるためには、そこに、「鍵」と「鍵穴」のような相反する違いが必要になります。 「鍵」と「鍵」や、「鍵穴」と「鍵穴」とではつながれないのです。 それはまた「ジグソーパズル」と似ています。 「ジグソーパズル」のピースが全て同じ形だったらつながりませんよね。 全部同じ形の正方形なら、一見つながっているように見せることは出来ますが、ピースとピースが組み合わさっていないので、ちょっと動かすだけでバラバラになってしまいます。 形が違うからこそ、しっかりと組み合わせることが出来るのです。 だからといって、ただ形がバラバラなだけでもつながりませんよね。 そこには「鍵」と「鍵穴」のような共通する規則性も必要になります。 DNAは四種類(A、T、G、C)の塩基の並び順によって無限とも言えるような遺伝情報を記録していますが、この場合でも、お互いにつながりやすいような構造になっています。 この世界は「つながり」によって全体性が維持れています。 ただ「みんなが一緒にいるから」ではなく、「みんながつながっているから」崩壊しないのです。 みんなが同じ形になってしまってつながりが消えたら、世界は崩壊してしまうのです。 (子どもを大勢集めただけでは有機的な群れにならないのもそのためです。) それは自然界も、人間の社会も同じです。 でも、親も、教師も、政治家も、一人一人が本来持っている形(気質)を否定して、無理矢理、自分の頭で考えた形の中に詰め込もうとしています。 自然なつながりによって形が広がって行くように導くではなく、生まれ持った形を無視して、最初から塗り絵のように枠を決めて、無理矢理その中に詰め込むのです。 出っ張りが邪魔なときには切り落とし、形が合わなければ無理矢理歪めてでも、自分が思い描いた形の中にはめ込もうとするのです。 でも、本来の形を無視して、無理矢理詰め込んでいるので、その形を維持するためには、強い枠(権力)が必要になります。 だから、枠の力が弱くなってきたとき、一気に崩壊してしまうのです。 脅しと、強制で、無理に仕付けられてきた子は、思春期が来て、相対的に親の力が弱くなってきたとき、自分を維持出来なくなって崩壊します。 でも、「自分らしさ」を肯定されて育ってきた子は、思春期が来て親の力が弱くなって来ると、今度は自分の足で歩き始めます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.07.21 08:29:39
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