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森の声

森の声

2018.09.19
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カテゴリ:カテゴリ未分類
子どもは他者との関わり合いや様々な体験を通して、自分の成長に必要なことを学び、成長していきます。

ですから、「どういう他者とどういう関わり方をしたのか」ということや、「どういう体験をしたのか」ということが、子どもの成長のあり方や人間形成に直結してきます。

これは人類発生以来変わることがない人間としての事実です。
もちろん、現代に生まれた子どもたちでも同じです。

でも、現代社会ではその「他者との関わり」がどんどん消えつつあります。色々なことを体験出来る場も消えつつあります。

でもみんな、その消えて行ったものがなんなのかも知りません。その大切さも知りません。「消えていったもの」の体験自体がないからです。

そして、「新しい時代に対応した生き方」だけを求めています。

子どもたちも「新しい時代に対応した遊び」だけをしています。

でも、その「新しい時代に対応した遊び」の大部分は大人が作ったものです。ゲーム機もディズニーランドも大人が作ったものです。

子どもが、自分の発想で考えたものでも、子ども同士で創り上げたものでも、子どもの群れの中で伝承されてきたものでもありません。

また、大人が作ったものを子どもの発想で自由に遊ぼうとすると叱られます。

積み木に絵を描いたり、ゲーム機や電車などを分解して遊ぶといったような遊びをすると叱られるのです。お金を出して買ったものだからです。

また、子どもたちは、大人が用意した安全な場所でしか遊べません。
そして、「安全で安心な遊び」しか許されません。

火遊びをしたり、ナイフを使うなどということはもってのほかです。木登りだって自由にさせてもらえません。

現代の子どもたちは、大人が用意した安全な場所で、大人が提供する安全なオモチャや遊びだけで遊ぶしかないのです。

そういう遊びに慣れてしまった子は、自然の中に行っても、何をしていいのか分かりません。むしろ、「虫がいる」、「汚い」、「怖い」、というマイナスの印象を持つ子も増えてきています。

子ども同士も一緒に遊ばなくなりました。ゲーム機を通して遊ぶことがありますが、それは「一緒に遊ぶ」とは言えません。

「一緒に遊ぶ」ということは、「目を見て、肌を触れて、自分の声で会話し、一緒に考え、一緒に喜び、一緒に悲しみ、様々な感情や体験を共有しながら遊ぶ」ということだからです。

最初に、
子どもは他者との関わり合いや様々な体験を通して、自分の成長に必要なことを学び、成長していきます。

という事を書きましたが、このような偏った状態の中で生活し、遊んでいる現代の子どもたちは、自分自身の成長に関しても、非常に大きな問題を抱えています。

それは、「自分の可能性を拓くことが出来ない」「自分の人生を自分自身のものとして生きる能力が育たない」ということです。

「安全安心に満たされている」ということは、「チャレンジをする場がない」ということでもあります。「チャレンジする場」がなければ、子どもは自分の可能性を広げることが出来ません。

また「人間の世界の外側にある現実の世界」と出会うことも出来ません。

「自分たちで工夫して遊べない」ということは、「工夫する能力を育てる場がない」ということでもあります。レゴなどの知育玩具で「工夫する能力」を育てようとする人もいますが、それは「レゴありきという制限の中での工夫する能力」なので、レゴがない状態の中では役に立ちません。

レゴでものすごいものを作ることが出来る子でも、その能力はレゴがない場所では役に立ちません。

確かに、安心で安全な現代の遊びでも充分に大人の社会への適応は出来るようになります。
社会人として生活するのに必要な能力を育てることも出来ます。ゲームで遊ぶことで育つ能力もあります。

そして、「それだけ出来れば充分」と考えている大人もいっぱいいます。

でもそのように育った子は、他人が敷いたレールの上でしか自分の人生を生きることが出来なくなります。

自分で「自分にとっての正解」を発見する能力がないので、誰かが作った正解に束縛されて生きることにもなります。

それが悪いということではありませんが、せっかく生まれてきたのに、「自分の人生を自分自身のものとして生きることが出来ないなんて、もったいないな」と思うだけです。

私は、死ぬときには「生まれてきて良かった」と思って死にたいです。
皆さんは、人生最後の日に、「生まれてきて良かった」と言えるような人生を送っていますか。





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Last updated  2018.09.19 12:03:29
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