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森の声

2019.07.06
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カテゴリ:カテゴリ未分類
学校では「文字」で知識を伝えようとしています。教科書に書かれた文字を読ませ、「声による言葉」はその説明に使われるだけです。

「対話の言葉」も、実際の対話によってではなく、教科書に書かれた文字を読ませることで理解させようとしています。

幼いうちから文字を教え、絵本や本を読ませることで言葉を覚えさせようとしているお母さんも多いです。

メールも、ラインも、ネットも基本的には「文字言葉」で成り立っています。
実際、文明社会では「声言葉」よりも「文字言葉」の方が圧倒的に使われています。「文字言葉」の方がデータ化も記録化もしやすいからなのでしょう。

学校の授業で使われている言葉も、メインは教科書に書かれている「文字言葉」であって、先生の声による「声言葉」はその補助に使われているだけです。

文字で書かれた教科書を使えば、先生はその内容を覚えていなくても、理解していなくても、自分の言葉で語らなくても、教科書の文字を読むだけで授業することは可能だからです。

先生に求められているのは「教科書に書かれていること」を生徒に覚えさせることだけであって、先生自身が自分の言葉で語ることを求められている訳ではありません。
また、教科書に書かれていることを自分の言葉で語ることが出来るような先生など滅多にいません。

なぜなら、国語を教えている先生は、「国語の教科書に書かれていることを子どもに教える専門家」であって、「国語の専門家」ではないからです。だから、自分の言葉で語ることが出来ないのです。

(私が子どもの頃は教科書を使わないで授業をする先生も時々いました。小学校なのに元高校や、時には大学の先生だったという人もいました。戦後の混乱期、兵隊から帰った後、とりあえず職を求めて小学校の先生になったんでしょう。
ベビーブームで、小学校の先生が大量に必要になったという事情もあったのでしょう。でも、そういう先生の授業は面白かったですよ。今ノーベル賞を取っているような先生達は、その頃教育を受けた人たちです。)

「声言葉」でコミュニケーションを取るときにはリアルタイム性が求められます。「そうだよね?」と同意を求められたら、即座に「そうだよ」と返さないと「声言葉」による会話は成り立ちません。

それに対して、「文字言葉」を使えば、リアルタイムでなくても会話が成り立ちます。「そうだよね?」と送られてきたメールに、1時間後、Ⅰ日後に「そうだよ」と返事を出しても会話は成り立ちます。また、顔を合わせる必要すらありません。

ですから、忙しい現代人には「文字言葉」の方が圧倒的に便利です。

また、文字は無限の情報を記録することが出来ます。ですから、文字言葉が使えるようになると、無限の情報にアクセスすることが可能になります。

また同じ理由で、情報を効率的に伝えるためには圧倒的に文字言葉の方が便利です。

家の中から一歩も出なくても、文字を通して世界中の人とやりとりすることも出来ます。
時間の束縛も受けません。
自由です。

でも、実は人間の脳は、「音声を処理する回路」で言葉を処理するように出来ているのです。人類発生以来「言葉=声」だったので、脳の神経回路もそのように作られているのです。
人類の数十万年という歴史の中で、「文字言葉」が普及したのは、数十年、数百年というレベルです。今でも、「文字言葉」を使わないで生活している人たちもいっぱいいます。

だから、脳は「文字」をダイレクトに「言葉」として処理することが出来ないのです。

じゃあ、どうして文字で書かれた言葉を人が理解出来るのかというと、心の中でその文字を読み、脳の中で擬似的に音声化して、声を処理する回路に流しているらしいのです。

それはつまり、「文字言葉」をちゃんと理解するためには、まず「声言葉」をちゃんと学ぶ必要があると言うことでもあります。

そうでないと、「文字言葉」を読んでも情報しか読み取ることが出来なくなってしまうのです。人の心や、感覚や、感情に関する部分を読み取ることが出来なくなってしまうのです。


例えば、「吾輩は猫である。名前はまだない。」という言葉には、ここに書かれている以上の情報が含まれています。

それを読み取るためには「声言葉」による言葉の学びが必要になるのです。実際、この言葉を文字だけで読んだ場合と、自分が猫になったつもりで声に出して読んだ場合とでは、それだけで解釈が変わってくるのです。

猫になったつもりで、この言葉を声に出して見ると、猫の周囲の景色が見えてくるのです。

でも、文字で読むだけではこの景色は見えないのです。
なぜなら、「文字言葉」では決して相手の立場に立って文字を読むことが出来ないからです。

文字は情報を伝えるためには非常に便利なものです。でも、人と人が共に生活し、つながり合い、支え合うためには「情報のやりとり」よりも「共感」の方が大切です。

そして、「声言葉」ではその共感が簡単に出来ます。感情を伝えるためには声言葉の方が圧倒的に便利なんです。

「きらい」というたった3文字の言葉を声に出すだけで、自由自在にその意味を変えることが出来るのですから。

それに対して、文字言葉で感情を共有するのは非常に困難です。だから、簡単に感情のすれ違いや誤解が起きてしまいます。まただから「絵文字」なるものが必要になるのです。

「かわいくない」という言葉の語尾を上げて話せば、「かわいいでしょ」と共感を求めている言葉になりますが、語尾を下げて話せば、「かわいくない」という否定の言葉になってしまいます。

「話し手の声」がないので、その「かわいくない」を肯定的に読むか、否定的に読むかは読み手の心の状態だけで決まってしまうのです。
そのすれ違いで簡単に誤解が生まれてしまいます。

ですから、人と人がつながるためには「文字による言葉」ではなく「声による言葉」が必要なんです。
そして、「声による言葉」を伝えることが「心育て」にもつながるのです。


でも今、子どもたちにその「声による言葉」を学ぶ場がありません。
「声による言葉」を伝える人もいません。

どうか子どもにいっぱいいっぱい話しかけてあげて下さい。
子どもとお話しして下さい。
言葉を使って遊んで下さい。
絵本を自分で読ませないで読んであげて下さい。


それが7才を過ぎて学校で「文字言葉」を学ぶようになった時、その「文字言葉」を深く理解する基礎になっていくのです。

「急がば回れ」です。






Last updated  2019.07.06 13:02:41
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