|
カテゴリ:カテゴリ未分類
一般的に、ものを作る時には、木や鉄や石などを使うことが多いです。そして、それらの特性は全く異なります。
でも、それらがどのような形になるのかは作り手次第であって、全く異なった材質なのに、同じものを作ることも出来ます。 たとえば、木でも、鉄でも、石でも、イスは作れます。スプーンも、カップも、家も作れます。 でも、同じ用途のものであっても、そのものの材質が異なれば扱い方が異なります。使い方も、使い心地も違います。 木のスプーンは湿気を吸いやすいです。汚れやすいです。ちゃんと手入れしないとすぐにかびたり腐ったりします。また、強度は弱いです。 でも、軽くて、風合いがあって、手になじみやすいです。色を塗ったりもしやすいです。 漆を塗れば何百年も持たせることが出来ます。 これは「木」という材質自体の持つ特性なので、木が、スプーンでなくて、イスや、カップや、家になっていても同じことが言えます。 鉄のスプーンは強いです。水に濡れたままにしておくと木と同じように腐りますが、油を塗ったりして表面を保護すれば、これも何百年も持ちます。 強度があるので多少乱暴に扱っても壊れにくいです。ただ、木のように装飾するのはなかなか困難です。色を塗っても塗料を吸い込まないので、すぐに剥がれます。 また重いです。 一番手入れに気を遣わないでいいのが石のスプーンです。湿気があるところに置いておいても腐りません。でも壊れやすいです。 餅つきの臼には木のものと石のものがありますが、木の臼はちゃんと手入れをしておかないとすぐにカビが生えたり腐ったりしてしまいます。でも、石の臼は野ざらしにしておいても、使う時に洗えば大丈夫です。 このようにそれぞれの素材にはそれぞれの特性があります。そしてその特性に合わせてそれらの素材を使うのなら、その素材の能力を最大限に生かすことが出来ます。 そして、「気質」はこの「素材」のようなものです。生まれつきの心や、感覚や、からだの特性を分類したものです。 「素質」や「個性」と呼ばれるものともつながっています。 子どもはみな同じ状態で生まれてくるのではないのです。 オギャーと産まれた時点で、もっと言えばお腹の中にいる時から、一人一人みんな「特別な個性を持った存在」なんです。 それは子育ての結果ではないし、子育てでどうこうできることでもないので、それはそのまま肯定して、受け入れるしかないのです。 親の役割は、子どもが自分の気質や、個性や、特性を生かせるような生き方が出来るように支えてあげることです。 何人かの職人に同じ木を与えて何かを作ってもらったとしても、実際に何が作られるかは職人さん次第です。 家を作る人もいるかも知れませんが、パルプにして紙を作る人もいるかも知れません。 そして、その職人さんにあたるのが親や成育環境になります。 ですから、親は気質を変えることは出来ませんが親の役割は非常に大きいのです。 実際、同じ気質の子でも、親や成育環境が異なれば、見かけ的には全く異なった状態の大人に育ちます。 「憂鬱質」という材質の特性を無視して「強い子に育て」と願い、鉄を鍛えるように鍛えようとしたら、簡単に折れてしまうでしょう。 でも、同じ憂鬱質の子でも、強さを求めるのではなく、そのデリケートさや優しさを生かすような育て方をすれば、自分に自信があり、思慮深く、優しい人に育つでしょう。 素材の特性を無視して「自分が作りたいもの」を無理矢理作ろうとすれば、何かの形になる前に壊れてしまうこともあります。 子どもが「どういう大人に育つのか」という点において親の影響はものすごく大きいですが、親がどんな育て方をしても、子どもが持って生まれた材質自体を変えることは出来ないのです。 そして変えようとしてはいけないのです。 そんなことしたら子どもは「自分が否定された」と感じるだけです。 自分が否定されていることを感じながら育った子が自分を肯定できる大人になることが出来るわけがないのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.08.18 06:59:20
コメント(0) | コメントを書く |