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日本語では「気質」を「気の質」と書きます。
そして、「気」という言葉は、「気分」、「天気」、「気になる」など様々な使われ方をしています。 気功などでは「気」を操っています。 それに対して、英語では「temperament」や「disposition」などという言葉が使われているようです。 その意味は 「temperament」 気質, 気性, 機嫌, 為人, 気色, 気立て 「disposition」 気質, 処理, 性質, 配置, 気性 ですから、日本語の「気質」という言葉とは大分言葉のニュアンスが違います。シュタイナー教育も含め、ヨーロッパの人たちはこのような感覚で「気質」を理解しているのでしょう。 ちなみに語源を調べたら、 temper 「混ぜる、調節する」 ラテン語で tempus が「時間」で、それに -are という「反復を示す不定詞語尾」がくっついて、「(適切に)混ぜ合わせる、組み合わせる、調節する」などという意味の動詞 temperare になり、それが語根となったもののようだ。 と書いてありました。 https://shuminogo.exblog.jp/15587681/ ここに「混ぜる」と出てきますが、昔のギリシャ人は気質を人間の中の四種類の体液の割合によって決まると考えていたようです。 以下はウィキペディアの「四体液説」の説明からの引用です。 「血液・粘液・黄胆汁・黒胆汁」の四体液説と「気・水・火・地」の四大元素との対応、「熱・冷・湿・乾」の4つの基本性質の関係。 四体液説(よんたいえきせつ、英: Humorismまたはhumoralism)とは、「血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁」の4種類を人間の基本体液とする体液病理説(英: humoral pathology)である。体液病理説(もしくは液体病理説)とは、人間の身体には数種類の体液(ラテン語: humorは古代ギリシャ語: χυμός、chymosの訳語で、そのまま「体液」を意味する)[1]があり、その調和によって身体と精神の健康が保たれ(Eucrasia)、バランスが崩れると病気になる(Dyscrasia)とする考え方で、古代インド(アーユルヴェーダ)やギリシャで唱えられた。インドからギリシャに伝わったとも言われる。 気質を表す「多血質」「胆汁質」「粘液質」「憂鬱質」という言葉も、この体液との関係で付けられた名前です。 その四つの体液は黄・赤・緑・青などの「色」で表現されています。 黒胆汁が強いと憂鬱質で、黄胆汁が強いと多血質です。 ちなみにこのウィキペディアのページには 脾臓の機能が悪い場合には、黄胆汁は煮詰まったように黒胆汁となる と書いてあります。 つまりこれは調子が悪いと多血質は簡単に憂鬱質のようになってしまうということでもあります。 でも、東洋における「気」の考え方はこれとは全く別のものです。 西洋の「気質」は体液の組み合わせによって決まるのですから、当然その対象は「人間」だけに限られます。 でも、東洋においては「人のからだの中の気は天地の気と共鳴し合っていて、人の気の状態は天地の気の状態と密接につながっている」と考えられて来ました。 東洋では、「人間」と「自然」の境目がなかったのです。 実際、「天気」の状態が人の「気分」、つまり「気の状態」に影響することは誰でも知っています。明るいところにいる時と暗いところにいる時とでも「気分」(気の状態)は異なります。 自然や周囲の状態が人の「気の状態」に強い影響を与えているのです。そしてそれは「一時的な気質」の変化として表れています。 これは経験的な事実でもあります。 気質を「四つの体液の組み合わせ」として考えているだけでは、こういう現実が見えてこないのです。 その場合の「気」とは動的なエネルギーのことです。そして「気」は上昇したり、下降したり、拡散したり、集中したりします。 「気が散る」とは「気」が拡散してしまう状態です。そして多血質の人は「気が拡散しやすい」という特徴を持っています。それはその人の「からだの状態」とつながっています。 また「気」は、共鳴したり、反発したりもします。「気が合う」という時には共鳴しているのでしょう。「気が合わない」時には反発しているのでしょう。 胆汁質と憂鬱質は相性が悪いですが、粘液質と憂鬱質は相性がいいです。 ギリシャ人は、体の中で起きているこのような変化の原因を四つの体液の組み合わせによって説明しようとしたのでしょうが、東洋人は、これを「天地の運行を支えている気(エネルギー)の働きの表れ」として考えたのです。 ちなみに2000年前の中国にも「気質」の考え方はありました。 「体液」が関係しているとしても、その「体液」を「天地の気を受け取るアンテナとして機能している」と考えれば矛盾はありません。 もっとも現代医学ではその「四体液説」自体が否定されていますけど。 また、「四体液説」に基づく「気質」は、黄・赤・青・緑などの色に例えられていますが、東洋的な「気質」は「色」というよりも「音」(音楽)に近いものです。 その人の「気質」は、「その人の命のエネルギーが奏でる音楽」なのです。 だから「気が合う」とか「気が合わない」という状態が生まれるのです。 そして私が考え、皆さんに伝えている「気質」はその「音」の方です。西洋的な「色」の方ではありません。 ただ、「色」は言葉で説明できますが「音」は言葉では説明が出来ないので、便宜的に気質の勉強会などでは「色」で説明したりしています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.08.22 07:12:46
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