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あーやん2さんから以下のようなコメントをいただきました。
森の声さん 毎日、示唆に富む記事をありがとうございます。とても共感し、心が動きました。 幼稚な大人や精神年齢の低い子どもが増えたのは、一般には以下の原因でしょうか? *甘やかされているから(責任を学べない) *親の過保護・過干渉(主体性を発揮出来ない、試行錯誤の機会を奪う) *その一方で、躾が出来ていない(社会性や良い価値観を学び損ねる) また、環境要因で言えば、以下のことが影響していますか? *遊びの喪失(場所、人)から、成長出来ずにいる *管理教育の行き過ぎから、主体性が育たない(忖度ばかり学ぶ) *大人中心の生活スタイル(成長をさまたげる) 親も、子どもも、先生も困っているならば、どうしたら良いのか? 成熟した大人になるには? どこに、成長のチャンスがある? それに対して私は、 >*甘やかされているから(責任を学べない) >*親の過保護・過干渉(主体性を発揮出来ない、試行錯誤の機会を奪う) >*その一方で、躾が出来ていない(社会性や良い価値観を学び損ねる) これは全部違います。 全く違うと言うことではないのですが、主観的しか判断できないことなのでこれは外します。 「甘やかし」にしても「子どものためになる甘やかし」と「子どものためにはならない甘やかし」があります。 親の過保護も必要な場合もあります。 仕付けも「子どものためになる仕付け」と「子どものためにならない仕付け」があります。 >*遊びの喪失(場所、人)から、成長出来ずにいる >*管理教育の行き過ぎから、主体性が育たない(忖度ばかり学ぶ) >*大人中心の生活スタイル(成長をさまたげる) これらも、「一般論としてはその通りです」としか言えません。 私が一番の大きな原因として考えているのは「伝承から切り離されてしまっている」ということです。 あーやん2さんが書かれていることは全て「方法論」ですよね。 そして「方法」は使い方次第です。 でも、「伝承とつながっているかどうか」は「人間として存在出来るか出来ないか」という問題です。 とお答えしました。 このことについてもう少し説明させていただきます。 「成長」するためには、「成長する方向」が必要です。 種を植えて、水や肥料をやり、お日様に当てても、空間的に伸びていく方向が閉ざされていたらちゃんと成長は出来ませんよね。 このことを知るのにちょうどいい例があります。 無重力の状態で種を植え育てても、種は芽を出し成長することが出来ます。でも、まっすぐに上に向かって育つことが出来ないのです。無重力状態では「上」が存在していないからです。そして、「上」がないので成長する方向が定まらないのです。 大きくはなるのですが一般的な意味での成長が出来ないのです。 以下はJAXAの「植物は無重力でどうなるの」というタイトルの記事ですが、ここに写真も載っています。 http://www.jaxa.jp/article/special/kibo/takahashi_j.html 子どもの環境で言えばそれは「あこがれ」とか「お手本」になります。 「あこがれ」や「お手本」がない環境で育っている子は、あーやん2さんが言われるような環境を全部整えても、成長出来ないのです。 逆に、「あこがれ」や「お手本」があれば、子どもは追い立てなくても、管理し、指示を出さなくても、自分の意思で成長しようとするのです。 (昔の群れ遊びの場では、大きなお兄ちゃんやお姉ちゃんがその「あこがれ」や「お手本」になっていました。) 「子どものあこがれ」になることが出来るような、大きな子や大人がいない場では子どもは成長出来ないのです。 大人を馬鹿にするような子は成長出来ないのです。だって「大人を馬鹿にする」ということは、そのまま「自分の中の可能性」を否定することなんですから。 いっぱい色々な体験をさせ、いっぱい色々なことを学ばせ、十分に自由を与えても、「どっちの方に向かって成長したらいいのか分からない子」は迷走するばかりで上に向かって成長出来ないのです。 アメリカの有名(だそうです)な社会学者が、昔、「ネイティブアメリカンの子育て」について研究したそうです。(名前を忘れてしまいました。) 一口に「ネイティブアメリカン」と言っても、アメリカには様々な文化を持った、様々な部族がいるのですが、彼が不思議に思ったのは、若者がしっかりと育っている部族もあれば、どうしたらいいのか分からない不安定な若者が多くて、部族の存続自体が困難になってしまっている部族もあったからです。 その違いをもたらす原因を調べようとしたのです。 そこで分かったことは、子育ての方法にはあまり関係がないと言うことでした。 厳しく育てている部族でも、子どもを大切にして優しく育てている部族でも、両方のパターンがあったのです。 じゃあ何が違っていたのかというと、白人が来て「おまえ達の子育てのやり方ではダメだ」と言われ、自分たちのやり方を捨て、白人が言うような「伝承につながらない新しい子育て」をしてしまった部族では子どもたちが不安定になっていたそうです。 「伝承につながらない子育て」では、大人は子どもの「あこがれ」にも「お手本」にもなりませんから。 同じようなことが世界中で起きています。 それに対して、白人にあれこれ言われても、「これが自分たちのアイデンティティーだ」と先祖から受け継いだ伝承をしっかりと子どもたちに伝えようとしている部族では、若者達は安定していたそうです。 大人が成長の方向を示すことが出来たからです。 でも、私たちはもうすでに「日本人としての伝承」を失ってしまっています。新しく作られた商品としての歌や踊りは存在していますが、親から子へと受け継がれてきた歌や踊りは存在していません。 でも、お母さんや大人が、お手本となってお料理でも、遊びでも、自然の中の遊び方でも、勉強でも色々なことを伝えることは出来ます。 いわゆる「お袋の味」というものも伝承の一つの形です。 自分に伝えられた伝承はなくても、子どもに伝承することは出来るのです。 その際大切なことは「情報に振り回されない」ということです。 ちなみにお勉強を伝えるということは、「勉強を教える」ことではなく、「お母さんが楽しく勉強する姿を子どもに見せる」ということですからね。勘違いしないで下さい。 大人が「成長する喜び」を子どもに見せていれば、子どもも成長したくなるのです。 「文化」はその伝承を守ろうとしますが、「文明」はその伝承を破壊しようとします。 だから、伝承されてきた「文化」を捨て、新しい「文明」に依存しすぎてしまった社会では、必然的に子どもは成長する方向を見失い、成長出来なくなってしまうのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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