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人生を、見つめ直す… New! かめおか ゆみこさん

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森の声

2020.02.21
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カテゴリ:カテゴリ未分類
昨日、コロナウィルスの蔓延を防ぐために隔離状態になっているクルーズ船に乗り込んで、そのあまりにもずさんな実体を告発した岩田教授が、テレビのインタビューに答えているのを見ました。
そこで強調されていたのが「チームワークが取れていない」ということでした。

確かに、何人も専門家は乗り込んでいるのですが、ただみんな、その場に行って個人的に頑張っているだけで、専門家としての知識や技術が、現場での活動全体には反映されていないというのです。

本来、このような状態の時には、現場の責任者は何よりも専門家の意見を聞いて、それに従って全体に指示を出していく以外にないと思うのですが、どうもここの責任者は、専門家の言うことを聴くことなく、素人が、素人判断だけで指示を出しているようなのです。

そして、専門家を頭脳として活用するのではなく、単なる労働者として扱っているようです。

当然、私はその現場を見たわけではありませんから、岩田教授の言っていることが本当かどうかは分かりませんが、でも、多分本当だろうと思います。

なぜなら、それが「日本の当たり前」だからです。

近代的な意味での学校は、校長や、管理職や、普通の教員や、さらには生徒や父兄までも含めて、みんなで話し合い、チームとして、みんなで「子どもの教育」を考えなければいけない場のはずなのに、実際には教員はただの労働者として使われているだけです。

子どもの意見も、親の意見も無力です。先生の意見も校長には無力です。

さらには、校長ですら一労働者としての責任しか負っていません。

自分の役割に従って、管理し、指示を出す仕事はしていても、全体をつなげ、まとめるという「リーダーとしての仕事」をしている校長は少ないような気がするのです。

先生も同じです。「教える」とか「子どもを管理する」という仕事はちゃんとしていても、クラス全体をつなげ、まとめるという「リーダーとしての仕事」をしている先生は少ないような気がするのです。

そのような先生は子どもや親の意見を肯定的に聞きません。そのため、子どもも親も「言っても無駄だ」と諦めています。

このような教育ではいくら英語を教えても、国際社会で活躍できる人材は育たないと思います。いくら英語の発音が綺麗でも、自分の意見をちゃんと言うことが出来ないような人は、国際社会では役に立たないのです。
ですから、本当に国際社会で活躍できる人材を育てたいのなら、英語を教えるよりも先に「自分の意見を言う能力」を育てる教育をすべきなんです。


今時、英語は翻訳機があれば何とかなってしまうのですから。

でもそのためには先生や、校長が、ちゃんとリーダーとしての役割を果たす必要があります。そうでないと、意見を言わせるだけではバラバラになってしまうからです。

そしてそのためには政治家もまたリーダーとしての自覚を持つ必要があります。
でも、日本の政治家にはこの自覚が全くないようです。

官僚や役人が「あうん」の呼吸で動いてくれるので、わざわざみんなをつなげ、まとめる必要がないのでしょう。

今時の家族では、「お父さんはお金を稼いできて、お母さんは子どもの世話と家事をして、子どもは大人の言うことに従いお勉強をして」というように、自分の役割をちゃんとこなしていれば、家族同士のつながりがなくても何の問題も感じません。

日本の社会は、話し合ったり、議論したり、コミュニケーションを取り合わなくても、自分の役割に従って、自分のやるべき事だけをやっていれば、後は「あうん」の呼吸で何とかなるように出来ているのです。

だから、みんなをつなげまとめるための特別な立場のリーダーは必要がないのです。

でも、このやり方では、危機に対応できないのです。
変革も、進歩も出来ません。

子どもの遊びでは、リーダーがいなくても鬼ごっこは出来ます。縄跳びも出来ます。ごっこ遊びも出来ます。

でも、リーダーがいないと「基地作り」の様な活動が出来ないのです。
一つの目的に向けて、みんなで助け合うということが出来ないのです。

平面的な活動は出来ても、しっかりとした構造が必要な立体的な活動が出来ないのです。

子育ての場でも、お母さんはリーダーシップを発揮することなく、子どもに合わせようとばかりしています。その結果子どもがリーダーとしてお母さんに命令するようになります。

それでも、一人目の時は何とかなるのですが、二人目が産まれるとどうしようも出来なくなってしまうのです。


その時点で、「どうしたらいいんでしょうか?」と聞かれても、もうすでに「子どもがリーダー」という親子関係が出来てしまっているとそれを変えるのはなかなか難しいのです。

だから、「お母さんがリーダーになって下さい」と言っているのですが、「分かりません」「出来ません」という返事ばかりが返ってきます。

なぜなら、リーダーには「哲学」が必要なんですが、今の日本にはその「哲学」を持っている人が少ないからです。

親も先生も「よい子」を育てることばかりに熱心で、「哲学を育てる」という意識を持っている人は滅多にいません。

その「哲学」は「なんで?」「どうして?」を大切にするところから生まれます。






Last updated  2020.02.21 10:57:22
コメント(12) | コメントを書く


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Re:「リーダーがいない社会の悲劇」(自分の意見をちゃんと言うことの大切さ)(02/21)   ハピハピハート さん
哲学
「考える力」ですね⤴︎
これはほんとに人の成長に大事!
みんな考えているようで、物事の本質を考えられている人は少ないと、わたしも思います。
わたしがそーでしたから💧笑 (2020.02.21 10:12:31)

Re[1]:「リーダーがいない社会の悲劇」(自分の意見をちゃんと言うことの大切さ)(02/21)   森の声 さん
ハピハピハートさんへ

日本人は「正解を得るために考える」ことは出来ても、「正解のない問題を考える」ということは苦手です。

だから臨機応変が出来ないのです。 (2020.02.21 13:00:16)

Re:「リーダーがいない社会の悲劇」(自分の意見をちゃんと言うことの大切さ)(02/21)   ぱすてる さん
森の声さんのように、生きていくための哲学について考えさせてくれる方は、貴重な存在です。
とてもありがたいと感じています。
わたしの周りでも、哲学や正解が決まっていない話をしようとしても、面倒くさい人として扱われたり...
問題提起や意見を言ったとしても、正解のある話だけしかしない雰囲気で、悲しくなることも多いです。 (2020.02.21 14:13:00)

Re:「リーダーがいない社会の悲劇」(自分の意見をちゃんと言うことの大切さ)(02/21)   ハピハピハート さん
パステルさんのコメントも拝見させてもらいました。
そーなんですよね、哲学に付き合える人と、付き合えない人、別れるみたいですね💦
付き合えない人に伝えようとしても、険悪になるので難しいです。それでわたし傷つきました。それで「やさしさ探しの旅」も始めました\( ˆoˆ )/ (2020.02.21 16:37:39)

Re[1]:「リーダーがいない社会の悲劇」(自分の意見をちゃんと言うことの大切さ)(02/21)   森の声 さん
ぱすてるさんへ

現代は、社会が正解を押しつけるのではなく、自分の正解は自分で見つけなければならない時代ですよね。

でも、そのためには「自分の哲学」がどうしても必要になるのです。

それが羅針盤になるからです。

(2020.02.21 21:28:55)

Re[1]:「リーダーがいない社会の悲劇」(自分の意見をちゃんと言うことの大切さ)(02/21)   森の声 さん
ぱすてるさんへ

>わたしの周りでも、哲学や正解が決まっていない話をしようとしても、面倒くさい人として扱われたり...
問題提起や意見を言ったとしても、正解のある話だけしかしない雰囲気で、悲しくなることも多いです。

で、そういう人に限って、すぐ何かに依存しようとするのですよね。 (2020.02.21 21:30:22)

Re:「リーダーがいない社会の悲劇」(自分の意見をちゃんと言うことの大切さ)(02/21)   緑の鈴風 さん
森の声さん
お久しぶりです。こんにちは。
私はずっと「正解のない問題」の「正解を得るために考えて」きたのかなと改めて思いました。
前にも似たような質問をしたかもしれませんが、肌の色や出身や収入などで人の優劣が決まったりするのは私はおかしいと思うのです。これって、正解じゃないのですか?日本に住んでいても、外国に住んでいても同じ様な悲しい気持ちになることがあります。私は、アメリカの英語クラスで宗教の話になった時に、自分の家は仏教の〇〇宗だけど、結婚して〇〇宗になったと話したら、すごく驚かれました。そして、アメリカでキリスト教に出会って、自分で宗教を選ぼうと思ってクリスチャンになりました。聖書の御言葉に正解を求めていたのだと思います。それは、(その時は)依存だったかもしれません。
(聖書のお話は大好きです)でも、神さまがそうおっしゃるから、と盾を使わず、自分の正解に自信を持って前に進みたい、人の正解も聞いて、もっとしなやかに生きていきたいと思わされます。 (2020.02.22 08:17:01)

Re[6]:「リーダーがいない社会の悲劇」(自分の意見をちゃんと言うことの大切さ)(02/21)   ぱすてる さん
森の声さんへ
〉で、そのような人に限って、すぐ何かに依存しようとするのですよね。

ほんとうにその通りで。
依存したり支配したりする関係が、あまりにも周りに多すぎて、その中にいると疲れてしまいます。
依存している、させている、ことにも気づいていないと思われることも。

依存していたほうが楽(?)とばかりに、自分の頭で考えるより社会の正解や組織の論理を優先する大人の方が、いまは評価されやすいのかもしれないですね。
精神的にも自立した真のリーダーが必要なことすら、依存体質のぬるま湯(?)の中では危機感がなかなか伝わらない恐れも...
どこからはじめたら良いか、また考えたいです。 (2020.02.22 13:08:41)

Re:「リーダーがいない社会の悲劇」(自分の意見をちゃんと言うことの大切さ)(02/21)   @優香 さん
正にその様な母親です。
元々がリーダーになるタイプではなく。でも母親ですから、リーダーにならないといけないですね。
でもどうやってなったら良いかわかりません。 (2020.02.23 06:24:31)

Re[1]:「リーダーがいない社会の悲劇」(自分の意見をちゃんと言うことの大切さ)(02/21)   森の声 さん
緑の鈴風さんへ

>前にも似たような質問をしたかもしれませんが、肌の色や出身や収入などで人の優劣が決まったりするのは私はおかしいと思うのです。これって、正解じゃないのですか?

それは人が概念的に決めたことであって、その結果は決めた人ごとに異なります。
ですから、決めた人にとっては正解であっても、他の人にとっては正解ではありません。


>日本に住んでいても、外国に住んでいても同じ様な悲しい気持ちになることがあります。私は、アメリカの英語クラスで宗教の話になった時に、自分の家は仏教の〇〇宗だけど、結婚して〇〇宗になったと話したら、すごく驚かれました。

外国でも同じようなことは普通にあります。
ただ、周囲がみんなキリスト教だとそういうことが起きないだけです。


そして、アメリカでキリスト教に出会って、自分で宗教を選ぼうと思ってクリスチャンになりました。聖書の御言葉に正解を求めていたのだと思います。それは、(その時は)依存だったかもしれません。

大事なのは「キリストの言葉に何を読み取るか」であって、「キリスト教」というジャンルではありません。

(2020.02.24 16:20:26)

Re[10]:「リーダーがいない社会の悲劇」(自分の意見をちゃんと言うことの大切さ)(02/21)   緑の鈴風 さん
森の声さんへ
お返事をありがとうございました。
“それは人が概念的に決めたことであって、その結果は決めた人ごとに異なります。
ですから、決めた人にとっては正解であっても、他の人にとっては正解ではありません。”
自分がずっと正解だと信じているいくつかのことが、マジョリティの考えではないのかもしれない、という不安が心の中にあります。家の中にいる時は自分の哲学を持って子育てしているつもりですが、外に出ると、自分の意見をはっきり言えない、自信のない自分が嫌な時があります。
自分の感覚、感じ方を信じたくても、それを人に認めてもらえないと辛いと思う私は、自分ではコントローできない人の心を、コントロールしたいと思う傲慢な者なのかもしれません。 (2020.02.29 10:38:47)

Re[11]:「リーダーがいない社会の悲劇」(自分の意見をちゃんと言うことの大切さ)(02/21)   森の声 さん
緑の鈴風さんへ

>家の中にいる時は自分の哲学を持って子育てしているつもりですが、外に出ると、自分の意見をはっきり言えない、自信のない自分が嫌な時があります。

自分の意見を言おうと思うから言えないのです。

まず相手の言葉に耳を澄まして下さい。

そうすれば、自分が言いたいことが見えてきます。 (2020.02.29 18:39:08)


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