森へ行こう(心とからだと子育てと)

2020/09/12(土)15:31

「人と人をつなぐ言葉が失われた社会」

現代人は先祖代々受け継がれてきた「人と人をつなぐ言葉」を失いました。 生活の中から「人と人が繋がる必要性」が失われて来たからです。 そんな現代人の言葉は、「意味を理解し、意味を伝えるため」だけのものです。 言葉の中に「頭で解釈出来る意味」はあっても、「心や、感覚や、からだと響き合うような中味」がないのです。生活の中でそれ以上のことを言葉に求めなくなってしまったからです。 そしてそれは、心や、感覚や、からだを持たないAIが使っている言葉とよく似ています。 本来言葉には、 「意味を理解し伝える機能」と、 「自分の感情や感覚や考えを他者と共有する機能」と、 「自分の思考や、感覚や、感情を表現する機能」と、 「自分自身や、他者や、過去や、未来や、世界や、自然と繋がる機能」 などがあったはずなのですが、現代人の言葉の中には「意味を理解し伝える機能」しか残っていないのです。(正確に言うと、他の機能が消えたというわけではなく、非常に弱くなってしまったということです。) それは、現代社会では「意味を理解し、意味を伝える」ことだけが大切にされていることの表れでもあるのでしょう。現代人は、心や、感覚や、からだで感じことに対してあまり価値を感じないのです。 だから、そういうことを積極的に体験する場も減ってきているし、それらを扱う言葉も消えてきているのです。子育てや教育の場でもそういうことは大切にされていません。 確かに、いくら深く感じることが出来てもテストの成績が良くなるわけではありません。むしろ競争の場では、「感じる能力」は弱点にすらなってしまう事もあるでしょう。 相手に共感していたら、競争など出来ないからです。 その結果、「言葉」も「情報を記述し、伝え、理解するためのもの」になってしまいました。それは相手の心や、感覚や、からだにではなく、頭にだけ届くような言葉です。 「頭から出た言葉」は相手の頭に響きます。 「心から出た言葉」は相手の心に響きます。 「からだから出た言葉」は相手のからだに響きます。 「思考から出た言葉」は相手の思考に響きます。 「記憶から出た言葉」は相手の記憶に響きます。 これが言葉の原則です。 この原則があるから、幼い子どもはお母さんから言葉を学ぶ過程で、心育て、感覚育て、からだ育てが出来るのです。また、思考力や記憶力もお母さんとの言葉のやり取りで成長して行くのです。 教科書で学んでいるのは「頭から出た言葉」に過ぎません。 仕付けや子どもとの関係作りがうまく行かないのは,お母さんが「頭から出た言葉」だけで子どもに話かけ、頭の働きだけで子どもの言葉を理解しようとしているからです。

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