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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2020.09.13
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カテゴリ:カテゴリ未分類
現代の教育は知識を教え、覚えることで成り立っています。でも「知識の発見の仕方」や「知識の伝え方」は伝えてもいないし、学ぶことも出来ません。

「知識を疑う」ということも、「知識の確認の仕方」も伝えていません。

それどころか「学校で教えられた知識」を疑うことすら禁止されています。教えられた通りに覚えないと叱られてしまうのです。
そこにあるのは、「正解の押しつけ」だけです。それはまた「思想の管理」につながります。

でも子どもたちは本能的に自分で発見したいのです。自分で発見するから自分の世界が広がり、学ぶことが喜びになるのです。

ですから、「知識」(正解)を押しつけられているだけの子どもたちは苦しくなります。先生の言うことにも納得できません。でも、そのことに違和感を感じてもそのことを言ったり反発したりすることは許されません。
また、先生が言った通りに覚えたり行動したりしないと、成績が悪くなったり、先生からの評価が悪くなり、それが親に伝えられると、親から叱られたり、親からの評価も低くなってしまいます。

そういう状況で子どもに出来るのは、「勉強をしない」とか「宿題をしない」というサボタージュ(消極的自己表現)だけです。

また子ども自身も、自分の考えや、感覚や、感情を表現する能力が育つような子育てや教育を受けていないので、どうしたらいいのかが分かりません。

ただし、幼い頃から仲間と群れて遊んで育った子どもはそういう言葉を持っているので、ちゃんと自分の意見を言ったり、親や先生に反発することも出来ます。

「僕には学校の勉強が必要がない」とか「学校に行く必要を感じない」とはっきりと言う子もいます。

私の知っている範囲では、そういうことがちゃんと言えるのは、自然の中などで仲間といっぱい遊んで育った子どもたちだけです。仲間との遊びの中で「自分の感情を相手に伝える言葉」が育ったのではないかと思います。

でも、そんな風に子どもが自分の素直な感情を言い出すと、お母さんも先生もその子を「問題児」として扱い始めます。

そんな時は、その子の言葉に耳を傾け、話し合い、お互いに出来ることを模索すればいいのですが、大人達がそういう学びをしてこなかったので、そういう対応が出来ません。さらには、「子どものワガママを許していいのか」などというようなトンチンカンなことを言い出す大人までいます。

子どもたちのサボタージュも、反発も、みんな大人がやっていることの結果に過ぎないのですが、でも、ほとんどの大人はそのことに気付かないのです。

「疑う」ということが肯定されない子育てや教育を受けてきたからなのでしょう。「どうしてこんな校則があるんですか?」と聞いただけで「反抗的だ」と扱われてしまうのです。

正解を覚えるだけの教育を受けてきた人は、子どもが思い通りに行動しなかったり、育たなかったりしても自分たちがやっていることを疑うことが出来ません。
その結果、子どもたちの正当な欲求や、反応や、サボタージュを「矯正しなければいけないこと」と考え、説得したり、脅したり、アメとムチで調教しようとします。

そして、子どもたちはそのような子育てや教育を受けているうちに「長いものには巻かれろ」とか、「偉い人の言うことは疑うな」という習性が身について行きます。

その結果、多くの人が「先生」や「政治家」や「テレビ」といった「ある種の権威を持つもの」が言うことをそのまま信じるようになりました。

疑問を呈したり、対話や議論を求めること自体が「反抗」として受け取られてしまう社会が作られてしまいました。

テレビに出ている人がみんな「早くワクチンが出来るといいですね、私も早く打ちたいです」と言っているのを聞くとぞっとします。世の中にはワクチンに対して否定的な意見もあるのですが、そういう意見は肯定的には扱われていません。
有無を言わさない状態で「ワクチンありき」で話が進んでいるのです。

と書くと、反社会的だとか反抗的だと思われるのかも知れませんが、私は「何かを決めるためにはもっとちゃんとした情報開示と議論が必要なんではないですか」ということを言いたいだけです。

「ワクチンなんて必要がない」とか、「ワクチン止めろ」ということを言っているわけではありません。私が言いたいのは、「そういう過程を踏まないと後で後悔しますよ」ということだけです。





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Last updated  2020.09.13 08:12:33
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