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子育ての勉強会でお母さん達に、「もし、子どもがニュートンみたいに、〝どうしてリンゴは落ちてくるの?〟と聞いてきたらどのように答えますか?」と聞くと、「重力があるからよ」とか、「熟したからよ」とか、「風が吹いたからよ」などと答える人が多いです。
でもこれは大人の理解の仕方に過ぎません。 それは「知識による説明」です。大人は知識で説明されると分かった気になってしまうのです。 でも、知識は単なるラベルに過ぎないので、ラベルを貼っただけの空っぽのビンを与えられた子どもは、次第に「なんで?」「どうして?」を聞かなくなります。聞いても「空っぽの答え」しか返ってこないのですから。 「空っぽの答え」しか与えられなかった子どもは、「空っぽの言葉」で「空っぽの思考」をするようになります。でも、その「空っぽの言葉」や「空っぽの思考」では、自分の人生や、命や、自然のことを考えることも、語ることも出来ません。子どもと話し合うことも出来ません。子育ても出来ません。 「なぜ?」「どうして?」と聞いてくる子どもは「正しい答え」が欲しいのではなく、「考えるヒント」が欲しいだけなんです。つまり,本質的には自分で考えたいのです。子どもは「知識を集める」ことよりも「考える」ことをしたいのです。 自分の頭で考えるから理解が進むのです。そして、自分の頭で理解したから納得が生まれ、納得することで自分の世界が広がり、さらには安心が生まれるのです。 「理解」は子どもの成長につながりますが、ただ「知識」を得るだけでは子どもの成長に繋がらないのです。「知識を得ること」と「理解すること」は違うのです。 だから子どもは「知識」を求めないのです。 古代の人も、「どうして毎日、日は昇り日が沈むのだろう」とか「どうして雨が降るのだろう」とか「どうして病気になるのだろう」と考えました。それは考え、「納得する答え」を見つけることで「安心」(つながりの感覚)を手に入れることが出来たからです。 「正しい知識」が得たかった訳ではありません。そのような文化の人の所に現代の教科書を持って行って色々な「正しい知識」を教えても、その人達の考えは変わらないと思います。納得出来ないからです。 古代の人と同じ感性を持っている子どもたちも、知識を得たくて「なんで?」「どうして?」と聞いてくるわけではないのです。 それに、幼い子どもは「知識」の意味や価値をまだ知りません。「知識」と「現実」がどのように繋がっているのかも知りません。 大人の世界では「知識」は価値を持っていますが、子どもの世界では「知識」には何の価値もないのです。 実は、「知識」がどのような価値を持つのかは、お金の価値と同じで社会が決めているのです。私たちは「知識が価値を持つ社会」に生きているから知識に価値があるように感じているだけなんです。 アマゾンの奥地で自然と共に暮らしている人の所に行って「地球は丸いんだよ」と言ってもバカにされるだけです。 そして子どもたちもまた知識が価値を持たない世界に生きているのです。 社会というものがちゃんと理解出来るようにならないと知識の価値も分からないのです。 子ども達が群れて遊んでいる場をよく観察してみて下さい。子どもたちが大切にしているのは「知っているか知っていないか」(知識)ではなく「出来るか出来ないか」です。それは「理解出来ているか理解出来ていないか」の違いでもあります。 子ども: 「どうして落ちてくるの?」 お母さん: 「重力があるからよ」 子ども: 「重力ってなあに?」 お母さん: 「地球がものを引っ張る力の事よ」 子ども: 「地球ってなあに、どうして地球はものを引っ張るの?」 この先説明できる人いますか。 説明できない人は知識は持っていても理解は出来ていない人です。 こんな時、子どもとちょっと体験できる事があります。 例えばちょっと重いものをヒモにつり下げて子どもに持ってもらいます。子どもが「重いよ」と言ったらヒモを切ります。そこで「どう、何か変わった?」と聞けば「楽になった」「軽くなった」と答えるかも知れません。 木の実を落とすと木が楽になるのです。物理的にはこれはエネルギーがより安定化するための現象です。 それを「重力」と名付けているだけです。 リンゴとは逆に、ヘリウムや水素が詰まった風船が空に上がっていくのも重力があるからなんです。(分かりますか?) 立っているより寝ている方が楽ですよね。それも同じです。そのようなことを意識的に体験をさせるだけで子どもは自分で考え始めるのです。 また、別の説明の仕方もあります。 リンゴの実が落ちるとお腹をすかせているクマさんが喜ぶの。 そして、リンゴの実を食べて、色々なところでウンコするでしょ。 するとそこからリンゴの芽が出て、新しいリンゴの木が生えるの。 すると、リンゴの木は自分の子どもが広がるから喜ぶの。 こういう説明の仕方もあります。「知識」ではなく「物語」で答えるのです。 科学的ではありませんが、命の実相にあった答えではあります。そして、この説明なら子どもも納得できます。 リンゴが実を落とす理由は一つではないのです。 どちらの説明の方を好むかは子どもによって違います。知的な思考を好む子は前者のような「自分でも体験できるような説明」の方を好むと思います。 そして、こういう体験を通して子どもは「考える言葉」を身につけていくのです。 いくら知識をいっぱい溜め込んでも「考える言葉」は身につかないのです。 でも、子どもに考える言葉を身につけさせるためには、大人がまず自分の頭で考える必要があるのです。 そんな時、「正解を求める人」は「自分の頭で考えていない人」です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.09.14 09:01:52
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