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森の声

2020.12.21
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カテゴリ:カテゴリ未分類
しばらく「からだ」のことを書いてみます。

自己肯定感が低い人の一つの特徴として「からだの緊張が強い」ということがあげられます。
それは自分を防御するために、日常的に、無意識的にからだを緊張させているからです。

動物などでも危険を感じればからだを固めるでしょうが、それは一時的なものであって、普段からからだを固めて暮らしている動物はいないのではないかと思います。特に野生動物では皆無だと思います。

ただ例外もあります。それは日常的に飼い主に虐められているイヌやネコなどのペットです。長い期間、いつ怒鳴られるか、いつ叩かれるか、いつ殺されるか分からない状態で暮らしていると、緊張がからだから抜けなくなってしまうのです。

すると、からだが動かなくなります。筋肉が固まったままになってしまうからです。人を信じなくもなります。新しいことを怖がり、新しいことに挑戦しなくなります。

人間でも同じようなことが起きます。日常的に自分を守らなければならないような状況で暮らしていると、緊張でからだが固まり動けなくなってしまうのです。
すると、意識も、興味も、感覚も閉ざされます。感情は否定的な感情しか働かなくなります。

すると、自由に感じたり、自由に考えたり、行動することも出来なくなります。新しいこととの出会いや成長を望まなくなります。チャレンジしなくなります。そして、小さな安心を求めて同じことばかりを繰り返すようになります。

子どもがそのような状態になってしまうと心と、からだと、知性の育ちに遅れや偏りが生じます。

このような状態の人が、一度「この苦しみから抜け出すためには死ぬしかない」などと思い込んでしまうと、その考え方から抜け出せなくなってしまいます。

その状態に陥っていない第三者は「なんでそんなバカなことをするのか」とか「他の選択肢はなかったのか」などと言いますが、徹底的に無力感を感じている人に取っては「死」は、苦しみから自分を解放してくれる希望でもあるのです。

死を選ばない場合でも、毎日、強い緊張感のなかで無力感を感じながら生きている人は、一度発見した結論を手放せなくなってしまいます。
その結論が、「溺れる者はワラもつかむ」の「ワラ」になってしまうからです。新興宗教にはまってしまう人もいます。
「ワラなんか掴んでも助からないよ」というのは「溺れていない人の論理」です。

そんな時、多くの人はそれを「心の問題」と考えて心のケアをしようとします。でも、外部から心の中に働きかけることは出来ません。特に7才を過ぎてしまった子の心に働きかけるのは非常に困難です。

親子であっても子どもの心の中にまで働きかけることは出来ないのです。

あと、これが非常に大きな問題なんですが、大人が意図的に虐待しなくても、子どもが生きている環境が、子どもの育ちを支えないような状況、さらには否定するような状況だと、そこに大人の悪意はなくても、子どものからだは虐待を受けている時と似たような強いストレスを感じて、心とからだを固めて身を守ろうとしてしまうのです。

狭い部屋の中に子どもを閉じ込めるだけで、「子どもの心とからだの健全な成長」という視点から見たら、十分な虐待です。

からだを動かしたい盛りの子どもに「ゲーム」という「頭の中だけで遊ぶ遊び」しか与えないのも虐待です。ゲームでばかり遊んでいると、子どもはからだを動かすことを億劫に感じるようになります。すると、からだの健全な成長が阻害され、「からだの育ち」が支える「心の育ち」にも影響が現れます。

いくら子どもが喜んでいても、子どもの命の働きを阻害するような行為は虐待なんです。「積極的な虐待」ではないかも知れませんが、「消極的な虐待」ではあります。
子どもがチョコレートやアイスクリームが好きだからと、食べたいだけ食べさせたらそれもまた消極的虐待です。

ファンタジーの世界の中で心を自由に広げたい時期の子どもにお勉強を強制するのも虐待です。

動きたい盛りの子どもに「ジーッとしていなさい」と要求するのも虐待です。

一方的に子どもらしさを否定し、大人の価値観に合わせて考え、感じ、行動するように要求するのも虐待です。

でも、それを虐待と感じている大人は滅多にいません。

でも、そんな大人の思い込みとは無関係に、子どものからだはそれを虐待と感じて、それに合わせたからだの状態になってしまうのです。心もです。

それは「子どもの意識の問題」ではなく「子どもの命の働きの問題」だからです。まただから、社会の変化や生活の変化に合わせてくれないのです。もちろんコロナにも合わせてくれません。


心はからだの表れです。そして同時にからだは心の表れでもあります。それは紙の裏と表の関係に似ています。しかもその紙はメビウスの輪のような状態になっています。表をたどっていくと裏とつながっているのです。
「からだ育て」を怠ることは「心育て」を怠ることと同じなんです。






Last updated  2020.12.21 10:20:22
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