|
カテゴリ:カテゴリ未分類
「遊びとは何か」と聞かれたら、私は「自由を楽しむこと」と答えます。
ですから、そこに「自由」があるなら勉強も遊びになります。でも、「自由」がないのなら「鬼ごっこ」や「縄跳び」も退屈な労働になってしまいます。 「自由」こそが「遊びの本体」なんです。 でも、多くの人が、「遊び」を「形」だけで判断しています。ですから、嫌々やっていても「鬼ごっこ」は「遊び」だし、楽しくやっていても「お勉強」や「仕事」は「遊び」ではないのです。というか「勉強」や「仕事」を楽しく遊んでいると、「勉強(仕事)は遊びじゃないんだからもっと真面目にやれ」などと言われてしまいます。 特に日本人は、「中味」を見ずに「形」や「型」だけで物事を判断する癖があるので、見かけだけの「中味がない勉強」や「中味がない仕事」でも、一生懸命にやっている(ように見える)のなら許してくれます。 勉強(仕事)をしていなくても、ちゃんと椅子に座っていて勉強(仕事)をしている振りを見せていればOKです。 そしてそれが日本の会社の仕事や、学校の勉強の生産性の低さともつながっています。 まただから「子どもとの遊び方が分かりません」などと悩む人がいるのです。 そして、「遊ぶためのハウツー」を聞きたがるのです。 仕事や、勉強や、遊びを「形」や「型」で考えている人に、「形」や「型」を教えても、仕事や勉強の生産性は上がらないし、「遊び」も楽しくなりません。 大事なのは「自分に与えられている自由」「自分が能力として持っている自由」に気付き、その「自由」をどう楽しむのかということなんです。 その「楽しんでいる姿」が他の人には「形」や「型」に見えるだけなんです。他の人には遊んでいる人の内側は見えませんからね。 宮沢賢治はボートに乗ってリンゴを湖に落とし、沈んではうかんでくる様子を見て遊んでいたそうです。 その宮沢賢治の童話の中に雲を見て遊ぶカエルが出てきます。 実際、アリの行列を見て遊んでいる子もいます。見えない友達と色々やって遊んでいる子もいます。 石を並べて遊んでいる子や、雨の音を聞いて遊んでいる子もいます。 そのような「遊び」を「形」や「型」で理解しようとしても無理ですよね。 仕事だって、勉強だって、遊び方だって自由自在なんです。だから自分の興味や能力に合わせて自由自在にやり方を変えてもいいのです。 実は、仕事の仕方、勉強の仕方、遊び方を考えること自体が「楽しい遊び」なんです。 工作をしている時、子どもはよく「作り方を教えて」と聞いてきます。でも、私としては「作り方」を考える過程こそが一番楽しい時間なんです。 皆さんもお子さんと一緒に「遊び方」を考えてみて下さい。「遊びを発見する楽しさ」が分かるようになれば「遊び」は自由自在になります。 それは勉強や仕事にも良い影響を与えます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.03.25 06:57:47
コメント(0) | コメントを書く |