森へ行こう(心とからだと子育てと)

2023/05/16(火)09:44

「無駄を楽しむ」(自由に生きる能力が育つためには無駄が必要なんです)

簡単、便利、効率性を求める現代人は「無駄」を嫌います。 「無駄な時間」や「無駄な活動」を排除しないと効率的に結果を得ることが出来ないからです。 簡単で便利な機械を使うのも、そういうものを使えば「無駄な時間」や「無駄な活動」を排除し、簡単に、すぐに、効率的に、そして楽に結果を得ることが出来るからです。 現代の社会システムはそのような考え方を基にして作られています。また、そのような考え方を基にして現代人は生活しています。 「マイナカード」のようなシステムはそのような考え方の表れです。 その結果、町の中から「無駄な空き地」が消えました。でもそれと共に子ども達は遊び場を失い、人々が集ったり、「自然」と出会う場所が消えました。 人々の生活の中から「無駄な時間」や「無駄な活動」が消えました。でも、それと共に人々から「心のゆとり」と「自分の人生を自分らしく楽しむ余裕」が消えました。そして、「常に追われる生活」をせざるおえなくなりました。 買い物もネットで注文すれば、「わざわざお店まで買いに行く」という無駄な時間や活動を必要としません。 調べ物もネットで調べれば、わざわざ本を読んだり、図書館などに行ったり、自分の頭で考えなくても簡単に調べることができます。 そのうち「子育て」も自動化出来るかも知れません。 じゃあ、「私たちは幸せになったのか」、「本当に楽になったのか」、「賢くなったのか」というと、どうもそうは思えません。 デジタルの進化について行くことが出来ない人は生きにくくなりました。お店で注文することすら困難な人が増えています。 ついて行くことが出来きている人も、結果だけを求めて「無駄な時間」や「無駄な活動」を排除することで、「自分の時間」や「自分のための活動」を失いました。 「無駄な時間」や「無駄な活動」を排除することで、「自分の時間」が増えるはずだったのに、実際には余計に忙しくなっただけだったのです。 また、簡単で便利な機械は、人々から自分の頭で考え、自分の心や感覚で感じ、自分のからだを使って活動する必要を消しました。チャットAIの登場は「自分の意志で判断する必要」すらも消してしまうでしょう。 必要がなくなれば、当然、そのような能力は育たなくなります。子ども達も、「自分の頭で考え、自分の心や感覚で感じ、自分の意志で判断し行動する能力」を育てることが出来なくなります。 その結果、人々は、簡単で便利な機械の指示に従い、そういうものが与えてくれる刺激や豊かさを求めて生きるようになって来ました。 その状態は、ご褒美を求めてご主人様に従い色々な芸をする犬と似ています。 ゲームの言うことに従わないとゲームは楽しくなりません。だから、ゲームでばかり遊んでいる子はゲームの指示には従います。でも、そのような子は「ゲームが与えてくれる自由」の中では自由ですが、ゲームの外では不自由になります。「ゲームの外の世界で自由に生きるための能力」を育てることが出来なくなってしまうからです。 その結果、「自分の人生を自分らしく生きる自由」を失ってしまいます。 そして、人間は「便利な機械やインフラの主人」という立場を失い、逆に、そういうシステムの中に組み込まれ、そういうものを運用するための奴隷になりました。 機械と人間の立場が入れ替わってしまったのです。 人間は人間に取って一番大切なことを忘れていたのです。 それは、科学や機械が作り出す効率や合理性という視点から見たら、「人間という生き物」、「人生という時間」「自分らしさという価値観」そのものが「無駄なもの」になってしまうということです。 もし、神様が人間にその命と共に与えた課題があったとしたら、それは、「自分に与えられた無駄な時間をどう楽しみ、その無駄との関わり合いを通して何を学び成長するのか」ということなんだろうと思います。 私は、「生まれてきてよかった」という学びをするために、人は生まれて来るのではないかと思っています。でもそのためには「無駄を楽しむ心」が必要になるのです。 無駄なものなんてこの世界に一つもないのです。そこから学ぼうとしないから「無駄なもの」になってしまうだけなんです。 「無駄なもの」が存在しているのではなく、人間の意識が「無駄なもの」を創り出しているのです。

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