森へ行こう(心とからだと子育てと)

2023/05/18(木)07:56

「世界を救うのは経済ではなくアートです」(その1)

人間が人間らしい心とからだの状態を維持して、人間らしく生き生きと生きるためには「無駄な活動」が必要です。 また子ども達の人間らしい心とからだの状態を維持して、人間らしく生き生きと生きるため能力を育てるためにも「無駄な活動」が必要になります。 なぜなら、人間が、人間らしい心とからだの状態を維持して、人間らしく生き生きと生きるためには「精神の自由」が必要になるからです。 ​「行動の自由」ではなく「精神の自由」です。​ でも現代人はその「精神の自由」という考え方や感覚が分からなくなってしまっています。 現代人が求めているのは「行動の自由」です。そして、「行動の自由」は「与えてもらうもの」です。 それに対して「精神の自由」は、自らの意志で感じ、考え、行動し、自己成長を通して自分自身で手に入れるものです。「精神の自由」を得るためには「成長」が必要になるのです。 そして、その時に必要になるのが「無駄な活動」なんです。 「無駄な活動」の中に「自分なりの意味」を見つけ、その「無駄なもの」を「自分にとって意味のあるもの」に変える行為を通して、人の精神は自由になっていくのです。 「自分にとっての価値や意味」を自分の感覚や、思考や、行動を通して創造するのです。 ​その「無駄な活動」の中で一番大きなものは「生きる」と言うことです。 あなたが生まれてきた意味や価値は、「精神の自由」を得ることで、あなた自身が創り出すしかないのです。​ 一方、「社会的な価値や意味」は「与えられるもの」であって、自分で「創造するもの」ではありません。 その「社会的な価値や意味」には「正解」があります。そして、「正解」に合わせて感じ、考え、行動してもそこに「精神の自由」はありません。 それはAIの思考と同じものです。 「精神の自由」を持っていないAIは、「問いに答える能力」は持っていますが、「問いを発見する能力」は持っていません。 そして子どもの教育で一番大切なことは「問いに答える能力」を育てることではなく、「問いを立てる能力」を育てることです。そしてそれは、子どもの「精神の自由」を育てることで可能になります。 その能力を育てることが出来なかったら、人類は滅亡への道を進むことになるでしょう。なぜなら、「精神の自由」を失った人は、社会が間違った方向に進んでいてもその流れに合わせることしか考えないからです。 そして、その「精神の自由」を育てるために必要なのは「社会的な正解や価値がある活動」ではなく、「自分で意味や価値を創造する活動」なんです。その「自分で意味や価値を創造する活動」をするためには、社会的には「無駄」と言われているような活動が必要になるのです。 それは、コロナが流行り始めた頃に、政治家や医者によって「不要不急」と言われたような活動です。 ちなみに、大人から何も言われず好き勝手に行動している子どもは、少なくとも肉体的には自由です。「行動の自由」は得ています。 でもそれは、「野生動物の自由」であって「人間の自由」ではありません。「精神の自由」も得ることが出来ません。 そこを分からずに、子どもに「野生動物の自由」だけを与えていると、子どもは自分勝手に行動する「野生動物」のような状態に育ちます。 かといって、禁止や、指示や命令を押しつけられて育っている子は「野生動物の自由」も「人間の自由」も得ることが出来ないので、「生きている意味」を失います。 そして今、子どもでも大人でも「生きている意味」を失ってしまった人が増えてきています。 そういう状態の人の中には「自由」を求めて「死」を選ぶ人もいます。 <続きます>

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