「仲間を作ろう」(人間らしさの育ちを支えるために)
ここのところ、私は「遊びの大切さ」を書いていますが、でも、いくら「遊びが大切だ」ということが分かってもそれだけで遊べるわけではありません。「子どもの育ちを支えるような遊び」には、「仲間」が必要だからです。またそれ故に、2歳ぐらいまでの幼い子どもなら一人でも遊びますが、3歳ごろから子どもは本能的に「一緒に遊ぶ仲間」を求め始めます。そしてそれは、社会性の目覚めや、外の広い世界への興味や好奇心とつながっています。子どもは3歳ごろから周囲の子や大人がやっていることに興味を持ち始めるのです。そしてその頃から家の中だけでは満足できなくなり、外に出ていきたがるようになります。家族以外の子や大人とも遊びたがるようになります。色々なことにチャレンジするようにもなります。でも、今の日本の状況ではそれがなかなか許されません。お母さん達の頭の中には「家の外は危険だ」という刷り込みもあります。だから出かけるとしても近くの公園ぐらいです。公園に行けば遊具があるので子どもはお母さんが相手をしなくても勝手に遊ぶことが出来ます。また、その場に来ている子と一緒にキャーキャーやっているだけで、子どもは一緒に遊んでいるような気にもなれます。また、子どもの頃に外で仲間と思いっきり遊んだことがないお母さんは、遊具のないところに行っても「遊具がないところでの遊び方」を知りません。そのため、子どもに遊びを教えることも、一緒に遊ぶことも出来ません。それに、外に出かけてしまうと「家事」が出来なくなってしまうので、そのイライラもあります。それで結局、家の中で遊ばせようとします。その方が安心だし、楽だし、家事も出来るからです。でも、それだけでは子どもは遊べません。退屈してしまいます。そして、お母さんにまとわりつき始めます。それでお母さんは、刺激的なおもちゃや、刺激的なスマホやゲーム機を与えます。そうすれば、それらのおもちゃや電子機器が子どもの相手になってくれて、子どもがお母さんにまとわりつかなくなるからです。子どもをお母さんから引き離したり、「外に出ていきたい」という欲求を抑えるためには、「日常生活の中にはないような強い刺激」が必要になるのです。それはつまり、「それだけ子どもは、仲間との関りや外で遊ぶことを求めている」ということでもあります。でもその結果、子どもは、刺激の強いおもちゃやゲームがないと遊べなくなります。自分の感覚で感じたり、自分の頭で考えたり、自分の意思で行動することも出来なくなります。そしてそれは、次第に学習や、対人関係におけるトラブルとして表れるようになってきます。そんな時、大人たちはその問題を解決するために、子どもに言葉で説得を試みます。でも,そういう子は「他の人の言葉を聞く能力」も、「自分の感じたことや考えたことを言葉で表現する能力」も育っていないので、その努力は実りません。そういう能力は「人と人との関わり合い」の中でしか育たないからです。仲間や他の人と関わらないで育っている子が、コミュニケーション能力を育てることが出来るわけがないのです。それでも9歳前ならまだ何とか手の打ちようもあるのですが、10歳を過ぎてしまうとそれがもうその子の「人格」として固定してしまうので、本人が自分の状態に問題を感じて、「何とかしたい」と思わない限り、そのままの状態が継続することになります。<続きます>