2011.11.02

「自分自身の主人公として生きる」(依存でも排除でもなく)

カテゴリ:カテゴリ未分類
私はいつも機械文明や、競争原理や、ゲームや、テレビや、合理性、経済性ばかりを求める社会のあり方などに文句を言っていますが、だからといって「そういうものを捨てて昔の人のように生きなさい」ということを言いたいわけではありません。

そんなこと出来ないし、また無意味だからです。それに、問題の本質はそんなことではありません。

死の危険を伴う重大な病気や怪我の時、この薬を飲めば、手術をすれば治ると分かっているのに、「そういう近代的な方法は使いたくない、伝統的な方法だけで治す」という選択をするのは困難です。

宗教的な信念からそのような選択をする人もいますが、それが社会全体の流れになるということはあり得ないと思います。

なぜなら、少しでも可能性があればそれを求めて挑戦するのが人間の本能でもあるからです。それを宗教的な理由から否定するとしたら、それもまた束縛です。そこには「精神の自由」がありません。

私が機械文明や、競争原理や、ゲームや、テレビや、合理性、経済性ばかりを求める社会のあり方などに文句を言っているのも、そのようなものに依存している現代人がそのことによって「精神の自由」を失ってしまっているからなのです。

排除する生き方も、依存する生き方も、「精神の自由がない」という点においては同じなのです。

それはつまり、テレビやゲームに依存した生活をしている人も、そういうものを100%遠ざけようとしている人も基本的には同じだということです。「好き」と「嫌い」は仲間だということです。

それに対して私が言いたいのは、依存するのでも、ヒステリックに遠ざけるのでもなく、ただ単純に「そういうものに依存しない生き方を目指しませんか」ということなのです。

文明も、機械も、便利な道具も、テレビも、ゲームも、経済も、合理的な考え方も、競争もみな「道具」に過ぎません。

その道具を使いこなす「主人」は、私であり、あなたであり、人間のはずです。でも、実際には、その主人であるべき私や、あなたや、人間が、そのようなものの奴隷になって振り回されてしまっています。

だから、「生きている実感」も「生きている喜び」も感じることが難しくなってしまっているのです。そして、子どもも大人も成長を目指さなくなってしまっているのです。

「道具」が悪いわけではありません。「道具」は必要があって生まれてきたものだからです。そうではなく、「道具」に依存したり振り回されている私たちが悪いのです。

だからこそ、そのようなものに囲まれて暮らしている現代人は、子どもの頃からそのようなものを使いこなすための能力を育てる必要があるのです。

そして、だからこそ子どもたちには、自然や仲間と関わり合いながら、感覚や、からだや、空想力を使って遊ぶ遊びが必要なのです

その能力の基礎は7才から9才頃までに出来上がります。この頃までに母国語の基礎が固まります。それと同じように、この頃までに「からだや感覚の使い方」や「空想力」や「常識」の基礎が固まるのです。

大人になってからこれらのものを変えようとするのは非常に困難です。

ただ、昔の子どもたちにはこのような遊びしかありませんでしたが、今では遙かに簡単で、便利で、派手で、魅力的で、子ども目を引くようなおもちゃが氾濫しています。

昔の遊びは遊ぶことで楽しくなりました。お手玉や、けん玉や、竹馬を見ていてもそれだけでは楽しそうには見えないのです。

わらべうたも、木登りも、かくれんぼも、楽しそうに遊んでいる仲間がいるから「楽しい遊び」として受け入れるのですが、楽しく遊んでいるところを見たことがなければ、そのような遊びは存在していないのと同じことです。

それに対して、企業が作ったおもちゃは見ただけで欲しくなるように出来ています。また見るからに楽しそうに出来ています。

それは、それらが「子どもの育ちを支えるためのもの」ではなく、「企業が利益を上げるためのもの」だからです。

企業にとって関心があるのは「売り上げ」であって「子どもの育ち」ではないのです。そこを理解していないとおもちゃ会社に支配されることになります。そして子どもが犠牲になります。

そのような魅力的なおもちゃに対抗して子どもたちが自然や仲間と関わり合いながら、感覚や、からだや、空想力を使って遊ぶようになるためには、とりあえず子どもが小さい時だけはそのようなおもちゃを遠ざけることが必要になります。

それは、そのようなおもちゃが「悪」だからではなく、ただ単純に幼い子どもには刺激が強すぎるからです。そのようなおもちゃは、とにかく買わせるのが目的なので過度に刺激的に作られているのです。そして、だからすぐに飽きてしまうのです。

刺激が「刺激的」に見えるのは最初だけなのです。そして、さらに新たな刺激を求めることで刺激に対する依存症を引き起こします。

また、強い刺激はデリケートな感受性の育ちを阻害してしまいます。

また、子どもを孤独にしないことも大切です。孤独な子どもは甘いものを欲しがるように、刺激的なおもちゃを欲しがるからです。これは大人でも同じです。孤独な大人は手軽な刺激によって孤独を癒そうとするのです。

孤独な人ほど、アルコールやタバコに依存してしまうのはそのためです。





TWITTER

Last updated  2011.11.02 09:03:53
コメント(0) | コメントを書く