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カテゴリ:ときたま自分事
力を(私に力と呼べるものがあるとするなら)惜しむわけではないし、全力を尽くすことが嫌いな訳でもない。むしろ、そっちの方がやり易い。
ただ、自分のする事が果たして相手の幸せや気付きや成長に繋がるのか、と考えた時、出す手を引っ込める時がよくある。 これは私の性分なので、子育ても同じやり方をしてきたと思う。息子達は語らないが、娘には冷たいと不評。友達にも、私が子供(自分のだけではなく)を見るのは、可愛いと思う対象ではなく、育てる対象として見るんやなと言われた事がある。 大人の人に対しても、同じ。今、自分が関わる事がいいのか、今はその方自身が抱える時間なのか、すごく、考えてしまう。結果を提示したり、抜け出すアドバイスをするのが仕事なのだろうけど、いつも、過ぎたるは及ばざるが如しの一文が頭をかすめる。 それで手柄(?)を逃す事も多い。私の中の獅子座はそれにイラつくこともあるが、この時いつも思い出すのは、師匠の言葉。 「自分たちは一期一会の仕事。今この場でその人がわからなくても、いつか何処かでわかってもらえたらええ。そう思って仕事してる」 セッションして、その場で変化する人をみるのはとてつもない感動や。「この為にこの仕事してるの!」って言いたいくらい嬉しい。でも、本当に大切なんは、その人が自分の中で考えて自分の力で抜け出した時、(たとえ、それがアドバイス通りの方法やったとしても) その人自身がオリジナルの力と自覚する事やと思う。その為の布石の一つになれるんやったら、ありがたい。 私自身ほんまは、派手なドラマチックな人生が好みやけれど、ヒーリング・リーディングをするという仕事の性質を考えると、派手な賛美やパフォーマンスのようにとられる状況は要らんもんを生み出す気がして、敬遠する。 石であれ、カードであれ、色であれ、チャネリングであれ、その人の本当の力や姿を思い出させるきっかけや扉に過ぎないと思う。思い出したら、それをどう生かしていくのかもその人自身の自由意志。いつ使っていくのか、また、使わないのかも。 淋しいことではあっても、変化ということをしない自由意志もあるし。 出来れば、長生きしてみんなの変化を楽しみに眺める婆ぁになりたいワ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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