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カテゴリ:ときたま自分事
しまった!6月が終りに近づいている。月記にもならなくなる
今日、久し振りの友達と映画を見てきた。 「西の魔女が死んだ」 ずっと以前に原作を読んでて、どんな風に映画になったんやろうと楽しみにして行った。 上手に雰囲気を壊さず出来てたな、と思う。バリアフリー上映とか、話題になってて良い事やなぁ、と。 映画館で映画を見たのは久し振りで、原作読んだ時みたいに泣いたらカッコ悪~と思って、夢中になれなかったのと、音響が余りにも不自然に大きく聞こえて、少し残念な気がした。 特に森を駆け抜ける風の音。ほんまの森の中は、あんな風に聞こえるかな? こないだケーブルTVで観た「陽のあたる教室」のように、聴覚障害の方が響きで分かるようにかしらん?などと考えながら、観てしまった。ああいうのは、客席やのうてその中で感じなあかんなぁ。 あ~~、ブナ林の中へ行きたい! 本音はあのおばあちゃんのような暮らしが理想なんやけど、中途半端な荒地をどうもようせん私と、去年、あの撮影がされた辺りに暮らしながら、都会の喧騒が懐かしくて帰って来た友達は、「あの暮らしは、よっぽど性根が座っとらんと出来んで」と、意見の一致をみた。 娘であるママがおばあちゃんに言う「・・・信念が揺らがないっていうか・・・」のセリフに「そうそう」 あの原作を読んだ頃から、本当の「おばあちゃん」になった。ま、うちは「おばばー!」やけど。 こんなおばあちゃんになりたい、と思った。「ヨゾラノムコウ」じゃないけれど、振り返ってみると、びっくりする位、近づいてるんじゃないか?生活的には。 焦って何かしないと、と思ってた毎日から、随分楽しめるようになってるやんか。全然素敵さは無いけれど(^^:)庭は生えたい放題やけど。 ふと、思うのは孫達から、祖母の生き方はどう見えるんやろう?という事。 母になった娘からは? 映画の中では、揺らがない信念を持った母と距離を持った生き方をして、でもやっぱり母を亡くした娘のあの号泣。生前にもっと受容れあうべきやったのか、でも、でも、なんて書いたらええんか分からんけど、気持ちはスゴク分かる。 そう考えていくと、今度は自分からみた母は、祖母は、どうなん? 一人の女の生き方として、きちんと見れるやろうか。 女の一生は時代と共に大きな変化をしてるようで、でも母子の相互関係は永遠に難しいテーマを繰り返してる気がする。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.06.23 20:42:48
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