多発性硬化症 私の発病経過(今後の参考のために)
多発性硬化症にかかって半年、ここで、再度、発病の経過をまとめておきたいと思う。というのも、後から振り返れば、症状を重くしなかったポイント・重くしたポイントが幾つかあったように思われる。 今後、このブログを見た人で、同じような症状が現れたら、早めに「神経内科」を受診してください。1、最初は指先の痺れから 最初は、1月下旬の指先の痺れ。ある日、髪の毛を洗っていると、何か感覚が変だなと思った。どこが違うのか良く分からなかったが、どうやら指先が痺れているのが分かった。感覚が鈍くなっていたので、頭を洗う時に変な感じがしたのだった。ただ、この時は、子どもが生まれた後で、よく抱っこをしていた。妻も同じように痺れたことがあると言い、腱鞘炎と思っていた。(振り返り) この時点では、何とも判断できず、しばらく様子を見ることにした。たが、そうするしかないだろう。2、数日後、左足が痺れているのに気づく 数日後、左足の皮膚感覚がおかしいことに気づく。腿を触っても、鈍くなっている。歩くには支障なかったので、2時間ほどのドライブを要する出張に行く。しかし、何かよく分からないが、怖くなってくる。とりあえず、通っていたA整骨院に行き、治療を受ける。(振り返り) この時点で、脳神経外科か神経内科を受診しておくというのもある。しかし、この程度の症状だと、受診しても様子見で終わることも考えられる。3、さらに数日後、両足に痺れ。起床時に、異様に足が重い。両腿に輪のような感覚。 両足に痺れが広がり、怖くなる。朝起きた時も、足が異様に重くなっている。これも気持ち悪かった。さらに、腿の辺りで輪を描いて締められている様な感覚あり。時折、めまいと吐き気。両足の感覚異常とめまいのようなものもあったので、脳疾患を恐れて、近くのB総合病院の脳神経外科を受診。MRIの予約をとる(約20日後)。 とりあえず、A整骨院の治療(足は筋肉痛のマッサージ)も続ける。12月に腰痛もあったので、腰に温熱療法。また、整骨院が加入する、MRIネットワークというものを利用し、B総合病院に行った翌々日、脳のMRIを別の紹介された外科病院で受ける。異常なしと言われる。(振り返り) とりあえず、選択肢としては、上記のようなものだと思う。脳神経外科では、緊急で脳CTを撮ったが異常なし。緊急性はないと判断したのだろう、MRI検査は緊急に入れず。握力もあり。 A整骨院では、エコーを撮ったが、筋肉に異常なし。マッサージは人畜無害。ただし、温熱療法は今から見ると、この病気の場合、危険。「両足に輪というのが不気味ですね」と言っていたが、さすがに原因を特定できず。このあたりは整骨院の限界か? A整骨院から紹介された外科病院の脳MRIには異常がなかった。実は、この脳MRI検査の時に、外科病院では、「脳に異常ななくとも、頚から来るときがあるからね」と言われていたのだ。この時、翌日でもすぐに頚のMRIを撮っていれば、診察は早く進んだだろう。お金がかかるのがイヤだった(MRIは1回5000~6000円する)のと、脳に異常がないので、すぐに危ないということはないと安心しすぎたのだ。4、約1週間後、心配になり、県下有数のC総合病院の神経内科を受診(2月上旬) 友人からは「整形外科」を奨められるが、A整骨院で「痺れ 病院でインターネットで検索したら」と言われたことを思い出し、検索して「神経内科」の存在を知り、県下有数のC総合病院の神経内科を受診。予約なしで行ったので、2時間以上待たされる。症状はほぼ同じ。両足の痺れと輪のような感覚。手足の脱力はなし。この時初めて「多発性硬化症」の可能性ありと言われる。 初診の翌日、血液検査と、誘発電位検査をする。後者は異常なかったらしい。MRIは、近所のB総合病院を予約しているので、それを待つことにして、次の受診日を決める。 職場で、「整骨院は注意しないといけない。以前、それでかえって悪化した人がいた」と聞き、A整骨院の受診をやめる。(振り返り) この時、初めて「多発性硬化症」という病名を知る。脳に腫瘍が出来ることがある、という情報はその直後、知り合いの人から聞いた。家に帰ってインターネットで調べると、「難病相談センター」が真っ先に出てきた。「難病」という響きだけで怖くなり、それ以上調べられなかった。「両足に輪」というのは、多発性硬化症や脊髄炎の典型的な症状。この辺りでもう少し研究しておくべきだった。 というのも、腰の辺りも重くなってきて、それはA整骨院で温熱療法を続けていたからだ。調べていれば、そんな危険なことは避けるだろう。ゆえに、職場の人のすすめで(たぶん、ヘルニアか何かのことだったのだろうが)、結果的に整骨院通いをやめたのは正解。 ちなみに、BとCという二つの総合病院を掛け持ちしたが、それでお医者さんに嫌がられることはなかった。B病院がC病院の系列である、ということもあるが、二つの病院を掛け持ちする人もあるのだろう。この時点では、最終的には、より規模の大きいC病院の判断に従うつもりでいた。 また、もうひとつ正解は、発病約2週間で、「神経内科」を受診していることだ。「多発性硬化症」は、眼科の受診や脳神経外科の受診からまわされることも多いらしいが、そういうことを経過せず、2週間で到達したのはかなり早い。もう少しで整形外科に行くところだったが、それを経由していたら、さらに時間がかかっただろう。5、さらに2週間たち入院を奨められる。さらに、腰もピリピリしてきた(3月上旬) 約2週間たち、近くのB総合病院で頚MRIを撮り、診察を受ける。その後、その画像をもらい、3月上旬にC総合病院に行き、見せる。すると、「検査入院します。いつから入院しますか?」と言われたので、「どのくらいの期間ですか?」と聞くと、「大体2週間」と言われる。「仕事の関係もあるので、翌週から」と答える。 その後、画像を撮った近所のB総合病院では、「脊髄炎」の可能性と言われる。「多発性硬化症の可能性あり」と言われた、と言うと、「今のところは分からない」と言われる。造影剤を使って再検査しますか、と言われるが、「翌週から別の病院で入院することになっています」と答え、断る。 この時期から、腰のあたりが何かピリピリする、と感じて始めていた。(振り返り) この時期になると、体はもうおかしくなっているし、判断もまずい。 まず、「入院しますか?」と聞かれた時に、「すぐに入院します」と答えるべきだった。2週間の入院と言うことは、すでにステロイドの投与を考えていたのだろう。もう少し勉強していれば、それに気づき、事の重大性に気づいていたはずだ。年度末で仕事が立て込んでいたのもあるが、まだ、自分の病気と向き合うのが怖かった、というのもある。 一方、B総合病院の判断であるが、当時は、MRIでは、頚椎の炎症のみであったので、この判断は妥当だと思うし、造影剤を入れて撮影することで、炎症が活動中なのかどうかも分かる。ゆえに、この判断も正しい。この時点で、造影剤を入れた検査を受けた方が良かったが、翌週から検査入院するので、検査代を惜しんだ。ばかなことだ。検査をすれば、同じように入院してステロイド投与をしたか、C病院を改めて紹介されただろう。6、その数日後、腰が痛くなり、C病院に行くも… さらに数日後、腰が痛くなってきた。痛くてどうしようもない、という程でないが痛い。自然と体が曲がってしまう。金曜日だったが、仕事を途中で休み、C総合病院に行く。しかし、11時30分までの受付時間に15分だけ間に合わず、帰ってくる。 その夜、妻子と寝ていると、腰が痛くて寝られなくなった。すぐ、病院に急行。午前3時前。当直医に診てもらうが、「脱力もないし、排尿障害もないし、3日後(月曜)に入院になっているのなら、その時、検査をした後で、きちんと治療をしたほうが良い。たぶん、多発性硬化症だと思うが、きちんと検査をしないと、病気によっては、ステロイドで悪化することもある。ベッドも緊急用以外ないし」というようなことを言われ、とりあえず、すぐに、ということはないと分かり、ひとまず安心し、痛め止めの「ロキソニン」を処方してもらう。(振り返り) ここで最悪な事件が起こる。通常、職場からC病院までは車で45分程度。それで間に合うと思っていたのだが、何と途中で渋滞。ガソリンスタンドの入り口でパトカーが取調べをしていて、そのガソリンスタンドに入る車が入れず、片側1車線の道は大渋滞。約10分程度止まる。 輪をかけて最悪なのは、C病院の受診をあきらめて帰ったこと。病院、特に大病院には、「緊急外来」や「時間外受付」があるのだから、それを受けるべき。うかつにも、そういうものを使ったことがないので、気付かなかった。 まだましだったのは、この日が金曜と言うことだったので、土日に開院している神経内科を調べたこと。その際、C病院のホームページを見て、「緊急外来」を知った。それで、その夜、緊急でC病院に行くという発想につながった。 この日の当直医(担当医でなかった)の判断もやむをえないのだろうが、「緊急用」でも、無理に入院させてもらうのだったかと思うこともある。 また、この1~2週間で症状が悪化しているが、部屋に暖房を入れ、羽毛布団を使用したせいもあるのではないかと思っている。体温上昇が症状悪化につながったのでは? 7、翌日、腹部に痺れ、緊急入院 土曜日は、痛み止めもあるし、土曜日の午前3時に病院に行ったから、とりあえず我慢する。 しかし、その夜。同じく、腰の痛みで寝られず。怖くなり寝られなくなって、日曜午前5時ごろからテレビを見て気を紛らわす。寝転がって子ども向けのアニメなどを見ていた。この時には、腹部まで痺れが広がっているのに気付く。 昼、たまたま、私の両親が来訪する予定だったので、それにあわせ、C総合病院に行くことを妻と話し合う。両親が来るまで、妻子と散歩をする。散歩の後、3人で縁側に座る。もう一度、こんな風に散歩をし、座れる日が来るのかと、少し大げさだが不安にかられる。 両親が到着し、「こうなったら入院させてもらおう」という結論に達し、子どもを母に預け、父の車に、妻と私が乗りC病院へ。この時には、痛みで私は車の運転ができなくなっていた。 病院に到着後、当直医に診てもらう。この日は、当直医は担当医だったので、緊急にMRIを撮り、胸椎にまで炎症があるのを確認し、髄液検査後、ステロイド投与が始まり、入院となった。(振り返り) このあたりでは、どうしようもない。しかし、金曜には自分で車を運転してC病院に行ったのに、日曜には運転できなくなっていた。症状の悪化恐るべし。それだけに、早く入院していれば、早いうちに治療できたはずだと思う。 多発性硬化症は難病だが、早期に治療を開始すればそれだけ、後遺症は少ない。金曜の段階で時間外でも行っていれば、感覚障害も含め、ほとんど後遺症が残らなかったのではないかと思うぐらいだ。つまり、ベタフェロンも必要なく退院できたかも、という気もしている(もちろん、ベタフェロンを早期に使った方が再発率が低い、というデータもあるので、ベタフェロンを使わないのがベストというわけでもないが…)。以上が大体の経過である。入院後の経過は、「入院」のカテゴリに書いている、「多発性硬化症で入院するまで」をご覧あれ(今から見ると、「入院するまで」は深刻に書きすぎている感もあるが…)。長文だが、読んで心当たりのある方は、すぐに「神経内科」へ。もし、神経内科がなければ、脳神経外科でもいいので受診を。*ここに書いてあるのは、あくまでも、「私の発病の経過」です。 発病には個人差があるので、私のような経過をたどるわけではなく、眼からくる場合もあります。 あくまで参考として捉えてください。