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2007.02.21
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カテゴリ:一枚の写真
いきなりですが、東京が『都』になったのは、一体いつのことでしょうか?

明治か大正か・・・まさか平成ではありますまい。
ちょっと考えてみて下さい。(都民の皆さんは知ってるかも?)


話は変わって今から58年前の1949年(昭和24年)9月、インド象の
『インディラ』が、上野動物園にやってきます。これは、まだ戦争の傷跡残る
日本に対して、独立後僅か2年のインドが示してくれた友情の贈り物でした。

GHQの占領下にあった日本では、当時、民主主義を根付かせるという観点で、
『子供議会』という学習活動がありました。その議会で子供達が、
『動物園に象が欲しい』という議決をします。

そしてその子供達の熱意が大人を動かし、ついにはインドのネルー首相のもとにも
届き、ネルー首相の愛娘の名前を頂いた、象の『インディラ』が贈られたのです。
(上写真)敗戦に打ちひしがれた人々の喜びようは大変なものだったと思います。

詳しくはコチラ

そもそも当時の上野動物園には象がいませんでした。象だけでなく猛獣の類もいま
せんでした。有名な話ですが、戦時中に殺されてしまったからです。

1943年(昭和18年)9月3日朝日新聞の記事
     
     東京都では空襲などの非常時に際しての万一を考慮して、
     上野動物園に飼育する最も危険なライオン以下の猛獣を
     このほど穏やかな方法で処置した・・・

『穏やかな方法で』とありますが、実際は悲惨な処分が行われました。
エチオピアの皇帝から贈られたライオン2頭をはじめ、北極グマ、黒ヒョウ、
ニシキヘビ、そして3頭の象を含む約30頭の動物の命が断たれてしまいました。

なぜこれらの動物が殺されなければならなかったのか?

これには理由がありました。ここで最初の東京『都』の話に戻ります。

戦況の悪化が見え始めた1943年7月、帝都東京は、その防衛と行政の組織再編から
それまでの『東京府』『東京市』を廃止し、『東京都』の設置を行います。つまり、
現在に続く『東京都』はある意味戦時体制のままであるとも言えるわけですね。

その初代東京都長官には、大達茂雄長官が就任します。
彼は、前年2月に日本が占領した『昭南市』(シンガポール)の市長をしていた
人物でした。彼は南方にいたため、戦局が日増しに悪化していくのを肌身で
知っていました。いつ東京が爆撃されてもおかしくはない。そう考えていたそうです。
しかし、肝心の東京では未だ緊迫した雰囲気はなく、のんびり構えている、
と彼の目に映ります。そのため、内地の人々への注意喚起の必要からあえて
この処分を命じたと言われています。 なんともやり切れない話であります・・・

そして『象のいなくなった動物園』に、再び象がやってくるのは戦後になってから
のことでした。でも、インドがイギリスから独立したのが1947年。
つまりインドもまだ貧しい頃でした。それを押して日本の子供達のために
贈ってくれたネルー首相の心はいかばかりか。

ネルー首相の回想
日露戦争当時を振り返って

     日本の戦捷は私の熱狂を沸き立たせ、新しいニュースを見るため毎日、
     新聞を待ち焦がれた。5月の末に近い頃、私たちはロンドンに着いた。
     途中、ドーヴァーからの汽車の中で、対馬沖で日本の大勝利の記事を読
     み耽りながら、私はとても上機嫌であった。

日露戦争を境に、多くのインド人留学生が日本へやってきます。中には、太平洋戦争
中に日本軍と共にインド国民軍を率いてイギリス軍と戦ったチャンドラ・ボースなども
いました。

そのような関係で日本に対して篤い友情と協力を示してくれた部分もあったと思います。
今年はインド独立60周年。また、日本とインドの交流年でもあります。
改めてインドについて考えてみるのも良いかも知れないですね。


蛇足・・・

インドでは、昭和天皇の大葬の礼の際に、異例の3日間の喪に服しました。
また、今でも毎年8月6日になると、インド国会では、広島・長崎の原爆犠牲者に
対して黙祷を捧げております。

また、近年こんな話がありました。

     平成10年1月、インド国民軍(INA)から、インド解放のために戦い、
     インパール作戦で散華した日本帝国陸軍将兵に対して、感謝状が贈られた。

     われわれインド国民軍将兵は、インドを解放するために共に戦った戦友とし
     てインパール、コヒマの戦場に散華した日本帝国陸軍将兵に対してもっとも
     深甚なる敬意を表します。

     インド国民は大義のため生命を捧げた勇敢な日本将兵に対する恩義を末代に
     いたるまでけっして忘れません。われわれはこの勇士たちの霊を慰め、御冥
     福をお祈り申し上げます。

・・・決して先の大戦を肯定するわけではありませんが、
こういう歴史もあったということですね。





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Last updated  2007.02.21 03:18:11
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