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シルバーナの船室 (ペンギンの○○です!)

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2004.11.19
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カテゴリ:カテゴリ未分類
生でスポーツ観戦をしたことありますか?
私は、特別にスポーツ観戦が好きな(なのかな?)わけじゃないと思うが、とにかく男の人が真剣勝負で渡り合うのが大好きだ。
おそらく、ライブがスキなのだと思う。
勝つ者、負ける者、いずれもぎりぎりの状態まで追い込み、追いつめられる。力と気力とそして才能のぶつかり合い。心の強さの戦い。
心で戦うのは、相手ではなく自分自身、自分自身の弱さを自覚したときの恐怖、練習不足を認識したときの悔しさ、すべてを費やしても及ばない力が不足していると感じるときのどん底の不安、ミスを犯すかもしれないという自分への疑念、不信感・・・
たとえ相撲であっても、 何であってもスポーツのすべての試合(勝負事)には起承転結の現実ドラマがある。ゴングと同時にまぐれ当たりのKOパンチが決まったボクシングの試合は別だと思うが・・・
すべての試合には、息を飲み極限の緊張に押し殺されそうになる始まりの瞬間、
早く己がペースをつかもうと必死にあがく序盤、だんだん状況がつかめて来てすこし冷静になれる中盤、泣いても笑っても、あれよあれよという間に後戻り不可能になる終盤、そして決着。
この流れの中で、恐れ、おののき、怒り、苦しみ、猛り、我を忘れ、脱力する
私も、高校2年のとき、一瞬だけこのまま理系に進まず、体育の教師になろうかと日体大のことがちらっと脳裏にかすめた体育会系(いまでも)である。なぜか今は非常に遠い仕事だが、スポーツの試合の経験だけは数有るので、このへんの感覚は痛いほどよく分かる。とはいえ、プロの厳しさは、私ごときの想像をはるかに超えていると思うが・・・

演劇も、音楽のライブステージも、突き詰めれば似た感覚の世界ではないかと思う。同じとは言わないが、共通する部分も有るのではないかと。
ライブは一種の試合である。
スポーツ競技の場合試合相手が、同じ競技の相手であり、プラスオーディエンスがいる。演劇や音楽のライブの場合は、オーディエンスこそが試合相手である点で、違いが大きいかもしれないが、根底にあるものは同種の感覚であると思う。

私は試合が練習よりもスキだった。試合そのものは、苦しくつらいばかりで、楽しい瞬間は本当にほんの一瞬、思い通りに体が動いたり、自分が主体的に動いた結果が予想以上に良い結果をもたらした時ぐらいであったが、それでも、自分の限界を考えずにどんどんチャレンジしてゆくその瞬間のスリル、恐怖を乗り越え一歩前に出た時の快感、これらは何事にも代え難く忘れられない記憶として体に刻みこまれる。いわゆる成功体験というやつだ。

そんなわけで、試合は観るのも大好きだ。
ことのほか、ライブステージが大好きだ。
ステージでの真剣勝負が、自分の持てる力を一生懸命になって発揮しようとチャレンジしている瞬間が、その刹那が永遠とも感じられるほどに、その人の息づかいやオーラがまぶしい、ライブが好きだ。
挑戦している人は、絶対に眼が光り輝いている、そしてその汗する顔が、姿が、美しい。
だからこそ、私は、負ける人よりも、努力して努力して勝つ人が、才能のある人が大好きだ。
本当に才能のある人は、絶対に努力を惜しまない。
これはごく最近、友人と話しをしていて得た知見だが、
出来る人、才能のある人とは、その芸に秀でている人ではない。
出来る人の本質は、努力するという行為を長く真剣に続けられるという才能を持つ人の事である。
私のような凡俗は、すぐに何でも投げ出してしまう。怠けてしまう。もういいや、どうせ出来ないって簡単に決めつける。限界の縁が見えてしまう。
だが、才能があるなと思う人は違う。
彼らは、努力を全うする事ができる。けっして簡単にあきらめない。己が限界を簡単には見極めない。人より高いレベルに至ってもそこが限界であるとは思っていない。有る意味で自己を過大評価したナルシストであるが、それをプラスに転化する人であり、自分を信じ、いや信じ込ませて、出来ると信じてさらに努力する。そしてどんどん高いレベルへと突き進む。
それが才能を持ち、それを発揮している人の真の姿である。
彼らは才能を発揮する為の苦しみを知っている。だから努力を惜しまない人に対して優しく寛容である、だが努力をしていない人には冷たく無関心だ。
そういう人たちは別の世界の人に映るのかもしれない。だから関係がないと思うのだろう。
(つづく)





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Last updated  2004.11.22 08:21:12
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