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カテゴリ:BL
香籐の役は、生活に疲れた男が駅前銀行に押し入る話だった。
10代での早すぎた結婚、幼子が居ながらも男を作って家を出た妻、病弱の娘の面倒を看るために会社を欠勤し失業。重なるサラ金からの借金の返済を迫られ、あげくに借金の形にと娘がやくざの人質となってしまう。そして強要されたのが手っ取り早く大金を手に入れることができる銀行強盗。押し入った先の銀行で偶然にも出会ってしまった、幼なじみの女性行員。最後には、この女性行員含め3人を人質に取り、警官隊に包囲され、銀行に立てこもってしまう男。追いつめられ、絶望しながら、娘の安否を思い、必死に金を要求する。もはやどこにも逃げ場などなく、射殺されるか、人質を解放して逮捕される以外に道がない事を自覚する犯人。それが香籐の役であった。 『や、山根組だ、そこの組長が、娘を、お、俺の娘を拉致してる、娘を解放させろ、俺の娘を保護しろ、そ、それが、この3人の人質を解放する条件だぁ』 絞り出す声は、すでに枯れ果てていた。 繰り返される警察との駆け引きシーン、昼過ぎから始まった立てこもりシーンの本番撮影、すでに連続して丸々10時間以上にわたって延々と、クライマックスへと繋がる緊迫シーンの撮影が続いていた。 『はい、カット、OKです、1時間休憩して、シーン157、今日はそれでラストとします。』 『あ、香籐さん?お疲れでしょうが、今日、どうしてももうひとシーン、157まで録ってしまいたいとの監督のご意向ですので、もうひとがんばり、宜しくお願いしまっす』 カットの声とともに咳き込んだ香籐の元へ、助監督が走り寄ってのぞき込んだ。 香籐は、もたれかかっていた壁から身を起こすと、何でもないですよといった顔をして助監督にうなずいた。 小さな声で、 『すみません、叫びが多かったみたいで、声かすれちゃって、バスで吸入してきます』 香籐は、ドレッシングルーム代わりにあてがわれたミニバスに戻った。 マネージャの津田が後を追うように後から入って来て、携帯電話を香籐に手渡した。 『岩城さんに電話してください、留守電入ってました』 『えっ、岩城さん?なんだろう・・・この時間、起きてるかな?』 時計は夜の10時を廻っていた。 香籐はマネージャの津田が、借りてきた吸入の準備をしている間に、岩城へコールバックした。 『・・・あ、岩城さん、電話くれたって聴いて、もう寝てるかとか思ったんだけど、大丈夫だったかな?』 『よっ、撮影順調か?休憩時間か?今、話して大丈夫なのか?』 岩城の声は、すこし息が上がっているようだった。 『岩城さん、どうしたの、また夜にエクササイズしてるの?長い撮影ロケから帰ったばっかりなんだから、すこしは体を休めてゆっくりすればいいじゃん、せっかくのお休みなのに』 『おまえこそ、声、嗄れてるじゃないか、大丈夫か?』 『うん、今日ずっと叫びっぱなしでさ・・・でもあと1シーンとったら予定終わりだし、あと明日はもうはあんまり叫ぶシーンないはずだから』 『そうか、で、おまえさん、その明日の撮影だけど、台本どうする気なんだ?』 『・・・えっ?・・・』 とたんに、リビングのソファーに置いた台本の所在を失念している事に香籐は気がついた。 『リビングのソファーに置いてあったのは、明日の台本じゃないのか?香籐』 『うぉああああっ、い、岩城さん、俺、プロにあるまじき行為、台本忘れっちまったよぉ!』 『ははぁ俺が帰ったのがそんなに嬉しかったのか、命の次に大事なはずの、仕事道具の台本を忘れて家をでるなんてな、そうだろう?こいつは、ずいぶんと書き込みがしてあるしなぁ・・・こんな風に演技プランを台本に書き込んでるとは、長いこと一緒に暮らしてきたけど知らなかったな。よほど凄い作品なんだな』 『あ、そ、そうなんだけど、い、いま津田さんにお願いして、い、今から取りに行ってもらってもいいかな?はははっ・・・』 『いや、その必要はないよ』 『えっ?』 『もう其処まで来てるんだ、今日は一日ごろごろして眠れそうにないから、運動がてら走ってきた、なんだぁ~随分近いところでロケやってるんだな、あ、ついたついた、このバスだな』 最後の岩城のセリフは電話の声と生の声がオーバーラップしていた。 『走ってきたっていったって岩城さん~?』香籐の声が裏返った。 『それでも15キロぐらいはあったでしょう??』 香籐がびっくりして、身を投げ出していた簡易ソファーベッドから立ち上がった。 バスの蛇腹開きのドアが押し開けられ入ってきた人影は、まさに岩城その人だった。 その出でたちは、TVでは決して見せない平日のトレーニング姿。薄手で吸湿性の高いランニングシャツに短パン、ソックスにマラソンシューズ、スポーツキャップ、半透明の夜間ランニング用の黄色いサングラス。ちょっと見には、俳優岩城京介とは気がつかれないラフな出で立ちだ。腰にはドリンクボトルホルダーがついた大きめのヒップバック。 岩城は、首から垂らしたタオルで額の汗をぬぐうと、ヒップバックを前に回してファスナーを開き、ころんと丸めてゴムで止めた形 でビニール袋に包まれた台本を、無造作に取り出した。 『すまない、丸めないとバックに入らなくて、ま、一応汗でぬれたらまずいかなと思ってビニール袋に入れてきたんだ。丸めたのは悪かったかな?そんなに長時間じゃないから、広げればすぐ元に戻ると思うけど』 『い、いや、もともと丸まったような形がついてたでしょ、俺、考え事しながら持ち歩くときに無意識に丸めちゃう癖あるからさ、その、えっと、あの、ぜんぜん問題ないよ。』 香籐は呆然と岩城に観とれていた。15キロ走ってきたとさらりと言ってのけた岩城は、さほど息も荒れていないし、そんなに大汗をかいている風でもない、外は初秋とはいえ、まだ蒸し暑さが残るというのに。 そんな岩城が、サングラスをはずして胸元に刺す。薄手のランニングシャツの丸い襟ぐりがサングラスの重みでV字になって下がり、締まった胸板がすこし垣間見えた。 『岩城さんもあっちで走り込んでたんだ、だから痩せて見えたんだ、夕べ』 岩城がボトルの水を口に運びながら、にっこりとした。 『おいおい、とっとと気がついてくれよな、俺だって、鍛えてるって電話で何度も連呼するお前さんにあてられて、それじゃ少しは相応しい体にしておかなくては、並んだ時に恥ずかしいかなって思ってさ、ただでさえ最近世間じゃ、この年はおじさんなんだって言われる事が多くて、けっこうショックだからな』 岩城が涼しく笑う。香籐はその綺麗な笑顔に、撮影の疲れがいっぺんに吹っ飛んだ気がした。(そうか・・・夕べは疲れた顔していたのと、すぐにベットに二人でもつれ込んじゃったから、岩城さん変わったのって、よく観察してなかった。そう言われれば、結構綺麗な小麦色に日焼けしてるし、上半身が締まってるよ・・・) 薄手のランニングシャツを通しても、岩城の健康そうな胸板のラインがちらちらと見え隠れした。すかさず、昨夜の激しく求める感情がよみがえって来るのを、香籐は必死で理性で押さえた。 まだ、仕事が残っている。 『ありがとう岩城さん、助かったよ、ずっと現場に缶詰だったんで、ぜんぜん気がつかなかった、なにしろ持ってきたお泊まりバック、まだぜんぜん開けてる暇も無くってさ』 『その声、かすれ気味だな、ほら吸入しろよ、津田さんが準備できたって顔してるよ』 振り返れば、二人のじゃまをしないようにとマネージャの津田がバスの前半分のスペースで待機していたが、そこに簡易に設置されたテーブルには吸入器がもくもくと蒸気を上げていた。 『香籐さん、準備できてます、吸入しちゃってから、お話のつづき、してくださいな』 『あ、はい、ごめんなさい』 『俺、すこし休んだら帰るよ、もう用はないし、香籐は今夜はここに泊まるんだろう、それに撮影もまだ残ってるみたいだし、じゃまになっちゃまずいからな。しかし良くこんな都心に近い駅前の銀行をロケに使えたもんだな・・・』 駐車場の片隅に止められた香籐の楽屋兼宿泊用のバスからは、かすかに駅前の喧噪と電車の音が聞こえる。ここは紛れもない大都会のまっただ中、撮影機材やらなにやらで、やや広めの駐車場には様々な車が止めてあり、多くの人間が出入りしていた。さらに近隣の有料駐車場も何カ所か借り切って、短期決戦でのロケが敢行されていた。そして今回ロケに使われているのは、ほんの数日前まで本当に銀行として使われていた某信用金庫の駅前支店、最近はやりの統合の波に逆らえなかった銀行が閉じた直後の支店を、香籐演じる三村が襲撃して人質を楯に警官とやりとりするシーンの撮影の為に使っている。もともとの設備をまるまま借り切りで全面的に使用する契約だ。そうすることで、通常のスタジオセットでは出せないリアルな演出が可能になった。一種ドキュメンタリー風のカメラワークを狙い、撮影中はメインのカメラと平行してハンディカメラが何台も同時に役者を追っていた。また演じる役者も、一部にアドリブを交え、その場のレスポンスを重視したリアルな演技で監督の要求に応えていた。 そんなわけで、犯人が要求を繰り返し、人質を脅し、取り囲む警察が投降を連呼する緊迫のシーンが数時間続いていた。主役の三村を演じる香籐は、長丁場での叫びのシーンの連続に、ついにのどが荒れてきていた。しかし監督はそれも犯人が声を嗄らして叫ぶ姿にリアリズムがあると、むしろ喜んでいる風だった。とはいえ、完全に声がでなくなってしまっては役者として演技ができない、翌日には別のシーンの撮影もある。沢山の撮影スタッフや裏方が制作を支えている。そして何よりも、エキストラや出演俳優など、多くの人間が、今回の社会派ドラマの主役に抜擢された香籐の演技に注目している、所詮アイドルに毛が生えた程度のゲイの元AV男優だとは絶対に思われたくない、だからこそ、役者として踏ん張りどころであった。香籐は、目の前でドリンクを飲みながらリラックスする岩城を見るうち、張りつめていた緊張の糸がぷっつりと音を立てて切れる思いがした。ほっとする自分を意識した。 『岩城さん、ごめん、おれ、こんなところに、わざわざ来てくれなくっても・・・』 『馬鹿だな、気にするな、こんな近所で撮影しているってのに、終わるまでは家に帰って来ないって自分から決意したぐらいなんだから、おまえは演技に集中しろ』 『・う・ん・』 岩城がうなだれた香籐の顔に被さってきた髪を、無造作に手でかきあげた。 『がんばれ』 『ありがとう、岩城さ、』 香籐がそういいかけた時だった、バスの外が急に騒々しくなり、人の怒声がとびかった。 何かがドスンとバスに当たり、続いて女性の悲鳴、そして銃声がした。 『え、な、何』と香籐 『銃声?、まさか、撮影用は音でないですよね』 マネージャの津田がそう言いながら、半開きのドアまで歩み寄った。 外の様子を窺おうとして身を乗りだそうとしたまさにそのとき、折り畳み式のドアをこじ開けるようにして、津田を押し戻す手と銃口が見えた。 『な、何を?』 津田が後ずさりをすると、ドアから若い男が女性を伴って押入って来た。 それは、顔面を蒼白にした撮影助手の女性だった、名前・・・香籐はとっさに思い出せなかった。彼女は恐怖に顔をこわばらせながら、男に促されてバスに入って来た。 男が、バスに踏み込むなり、大きな声でわめいた。 『おい、そいつ、このバスを今すぐ出せ、出すんだ、さもないとこの女を殺すぞ。この銃は本物だ、今の銃声をおまえらも聞いただろう』 まだ、20才にもなっていなそうな、あどけなさの残る顔立ちの若者だった。 必死の形相と剣幕で、女性ののど元に銃をぐりぐりと押しつけ、すぐそばの津田にバスの運転を命じた。女性は喘息のように息をひきつらせ、全身をこわばらせた。 バスの奥手のソファーベッドに向かい合って腰掛をかけていた香籐と岩城は、とっさに中腰になって立ち上がろうとしたが、すぐに押しとどまった。 下手に相手を刺激するのは得策でないことの判断はすぐについた。 何か、異常事態が起きていた。 『バスを出せ、今すぐだぁ!』 つづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.01.10 17:46:19
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