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カテゴリ:BL
バスは、たまに乗用車を追い越したが、遮るものはなかった。
程なくして、海に近い多摩川沿いの道へ出た。 突然、バスの前方に沢山のパトライトの明かりが見えた。 検問であった。 警察が先回りをして、行く先を塞いでいた。 『あいつらもみんなぶっ殺してやる』 はるかに検問が迫っていた、バスがこのまま走りつづければ、道路を遮るように止めてあるパトカーと激突するか、警察官を跳ね飛ばすしかない。右は住宅とビル街、横道にはことごとくパトカーが止まっていた。そして、左は多摩川だった。 川沿いの道で、バスは追い詰められた。 『行くも地獄、止まるも地獄じゃぁ』 『やめろ・・・今なら・・・まだ・・たいした罪にはならない、誰も、死んじゃいないんだ・・・だから・・・早く・・・車を・・・止め・・ろ』 岩城の苦しそうな声も男の声も、香籐にはずっと遠くのように聞こえた。 『うるさい』 『君はまだ若い、やり直せ・・・生きていれば、やり直せる・・・時間が経てば、苦しいことも嫌なことも、忘れられる時がくるんだ・・・』 その時だった、バスが急ブレーキをかけた。 男はブレーキをかけた津田を突き飛ばし、運転席から引きずりおろすと、ハンドルを取って、アクセルを踏み込んだ。しかし、バスは急ブレーキのせいで、体勢が大きくゆれ、バランスを崩しながら蛇行しかけていた。そこへ男が思い切りアクセルを踏み込んだため、バスは勢い良く斜めに前進し、川沿いのガードレールに激突した。 激しい衝撃がバスを大きく揺さぶった。 香籐はもうろうとしながら起き上がろうとしていたが、再び倒れこんだ。 大きな衝撃が続き、ガラスが割れる音がした。バスが大きく傾き、そして激しく前後した。 『落ちる』 女性の叫ぶ声がした。 そして、再び激しい邀撃が、車中の全員を引っ掻き回した。 窓ガラスに何かがぶち当たり、割れた。フロントガラスも激しい衝撃で前面にヒビが入り、大きくへしゃげた。 バスは川に落ちていた。 濁流のような水が、フロントガラスをぶち破り流れ込んできた。 いつのまにか津田が香籐たちのそばへ転がりよってきた。 香籐の周りで声がした。 『岩城さん、フロントが割れてます、そこから外へ出ましょう、奴は失神してます』 『津田さん、彼女を連れて出てくれ、俺は香籐を』 『岩城さん、その体で大丈夫ですか?』 『大丈夫、先に行って』 『岩城さん?』 最後の声は自分の声らしかったが、香籐には見当がつかなくなっていた。 濁流が全身を巻き込み、あっという間に前後左右が判らなくなった。 そのとき、腕を引っ張る者が居た。 岩城の手の感触だった。 殴られ脳震盪状態で朦朧としている香籐を、岩城は動かせるほうの右腕で引き寄せ、大きく砕け散ったバスのフロントガラスの開口部近くまで香籐を運びながら移動した。 バスの前面近くまでたどり着いたところで、流れ込む濁流が全身を巻き込み押しつつみ、水中に没する形になった。数箇所の窓ガラスが割れていて、どこからも水が勢い良く流れ込んでいたが、どの窓も人が通るには狭く感じた。 岩城は香籐を必死に自分の体へ引き寄せ流されなまいとした。だが、フロントの開口部は、依然内側へ流れ込む水の勢いが強く、弱っている彼は、その勢いに抗う力では泳げなかった。失血が激しい岩城に急な運動は無理であった、程なくして彼は力を失い、バス後方へ流され始めた。 香籐は自分の腕を握る手の力が急に弱まるのを感じた。 全身が冷たい水に浸かったせいで、意識が戻り始めていた。 (岩城さん・・・岩城さん・・・?) 岩城が自分から離れ漂い始めるのが、おぼろげに見えた。 香籐は、とっさに頭の痛みを忘れた。鳥肌が立った。全身に力がみなぎるのを感じた。 離れてゆく岩城の腕を逆につかんで、思い切り引き寄せ引っ張った。 目の前、はるかに、サーチライトのような明かりが交錯するのが見えた。 (あの明かりを目指せばいいのか?・・・) 香籐は、ぐったりとしている岩城の体を引き寄せると、自分の胸に掻き抱いた。 (離さないよ・・・どんなことがあっても、一緒に死ねたら本望だけど・・けどそれはずっと先だ、今は違う・・こんなことであなただけ死なせはしない、俺達は生きるんだ・・生きてくれ岩城さん) 香籐は息が苦しくなるのを覚えた、自分も、もう、あまり意識を長くは保てそうになかった。 とにかく、必死に前に進んだ、足でもがいて車の外で出た、そしてひたすら足でこいで、水面とおぼしき方向を目指した。 ついに顔が水面に出た。 香籐は必死に岩城を引っ張り上げ、彼の顔も水面に出るようにと持ち上げた。 二人は流された。川は前日の雷雨のために水量が増していた。 川岸からサーチライトと人の声が途切れながらも聞こえてきた。 『こっちにも、2名、流されてる』 川の水は海に近いせでかなり塩辛い、流される二人は、どんどん海に近づいていた。 『しっかり』 流されていながらも、必死に岩城を支えていた香籐の腕を、力強く引く腕が現れた。 『警察です、私につかまってください、その人は彼が運びます』 必死に岩城を離すまいとしていた香籐は、最初とまどって岩城を誰にも渡すまいとして抵抗したが、すぐに助けと気がついて指示に従った。 泳ぎに自信がある警官が、命の危険も顧みず助けに来てくれたのだった。 力強い警官の腕に引っ張られながら、香籐は岩城を視界に入れていた。そして彼が先に岸にたどり着いた時に、心底ほっとした。やがて意識が朦朧とし、体に力が入らなかった。 声も出せない状態だった。眼の焦点も良くあわない、誰が誰やら、どこがどうやらわからなかった。 そして、意識がぷっつりと途切れた。ブラックアウト。 (岩城さん・・・) 岩城は、ぐったりしている香籐をぼんやりと眺めていた。救急隊員が自分の傷の様子を見ながら、消毒と止血の手当てをしてくれていた。意識がはっきりしているわけではなく、自分で体を動かせる状態でもなかった。 ただ浮遊する意識が、自分の体をいとおしんで離れがたく漂っているようだった。周囲の様子がおぼろげに感じられた。眼を開けているのではなく、意識だけが浮遊し、それが周囲の様子を感じ取っていた。岩城の体は救急車の中だった。香籐は別の救急車に居た。今の岩城に、近くの別の救急車で手当てを受けている香籐が直接見えるはずはない。だか、岩城には、すぐ隣に横たわる香籐の存在が感じられた。(香籐はすぐそこに居る)手を伸ばせば届く距離に香籐の存在を感じるのだった。今は意識を失って眠っているが、その寝息は安らかだ。岩城の意識が、寝息をたてる香籐のすぐそばまでやってきていた。 (香籐、俺を助けてくれたのか・・・ありがとう・・・無理させたな・・・香籐) 岩城は、香籐の上に、ゆっくりと舞い降りた、そして静かに体を重ね、深いキスをした。 香籐の上にかぶさるように横たわり、香籐の全身を岩城の意識が包み込んだ。 (香籐・・・) やがて、岩城は自分の意識が遠ざかるのが判った。浮遊してる感覚が薄れ、香籐の存在感が急に薄れた。そして、冷えた体に意識の流れが戻ってくるのを感じた。戻った自分の体では、ひどい苦痛と寒気が襲っていた。 (やれやれ・・・) そして、あふれ込んだ苦痛を回避するように、岩城の意識が完全に遠のいた。 次に岩城は、自分の手を握る、とても懐かしい、よく馴染んだやさしい感触を感じた。 遠くから、ずいぶん遠くから香籐の声が聞こえた。 『岩城さん、岩城さん、起きてよ、岩城さん』 そこは眩しかった、ずいぶんと眩しく感じた。岩城は目をすぐには開けられず、徐々に光に馴染ませるように薄く眼を開いた。 『岩城さん!!』 大きな香籐の弾む声が、すぐ耳元で響いた。 『だめですよ、香籐さん、病室でそんな大声だしちゃ』 津田さんの声も聞こえた。 『おにいちゃん、ばかみたいに喚くから、岩城さんびっくりしてるじゃないの』 どうしてそこに居るのかわからなかったが、香籐の妹の洋子さんの、かわいらしい笑顔が目の前に見えてきた。 『洋子・・・さん?・・・』 『なんだよぉ・・・最初に呼ぶのは俺の名前じゃなくって洋子のほうかよ、岩城さん、こんなに心配した俺をほっぽらかって、ひどいぜ』 顔をむければ、枕もとに香籐が頬を膨らませて座っていた。 岩城が、ふふっと微笑んだ。 (香籐・・・) 『さあ、しばらく二人にしてあげましょう、洋子さん』 そう言ったのは、津田さんと香籐の後ろに立っていた、岩城のマネージャだった。 なんだ、彼女も居たのか?他にも誰かいるようだったが、よくわからなかった。 程なく、香籐を残して、全員が静かに病室を出ていったようだった。 『香籐・・・』 岩城は自分の発した声が予想に反して弱くかすれていることに気がついた。 『岩城さん、危なかったんだよ実際、川で助けられて手当てを受けてたとき、俺も意識なくて知らなかったんだけど、岩城さん一回心臓止まったんだって、俺それ後で聞いてもうひきつけ起こしそうだったよ。だから、もう、すっごく心配したよ、だって・・・』 香籐のハンサムな顔が見る間に崩れ、子供の泣き顔のようになった。眼に涙をためている。 『香籐、頭・・・大丈夫か?』 実際に香籐の頭には、ぐるぐると包帯を巻いてあった。 岩城が、右腕を少し上げ、香籐の頭を触ろうと試みたが、腕は予想以上に重く、思うように持ち上がらなかった。 香籐が涙声で鼻をすすりながらも、今度は満面に笑みを浮かべた。 『ああ、これね、3針縫ったよ、あんにゃろう、おかげで撮影が2週間も延びちまった。この損害誰が見てくれるんだ、まぁったく』 『そうか・・・延びたのか撮影・・・殴られたからな』 『岩城さん』 『ああ・・・香籐、俺もおまえが無事でよかった、それに、生きてもう一度おまえにこうして会えてよかったよ』 『岩城さん、もう、絶対に俺を先に置いて行こうなんてしたら駄目だよ、絶対、絶対に許さないから、そん時は、地獄のそこまででも、絶対に追いかけて行くからね』 香籐の顔は真剣だった。 岩城は再び、ほほえんだ。 『ああ・・・地獄の底まででも、俺を追ってつれもどしてくれ、あの時みたいに・・・な』 『岩城さん』 『洋二・・・愛してるよ』 香籐がぽかんと口をあけた。 『い・・・』 あけた口がふさがらないまま、はあぁっと息を吸う音がして、香籐の顔が横たわる岩城の顔に覆い被さった。 二人は、長い間、静かに静かに、唇を重ねあった。 無音の部屋で、唇をむさぼる音だけが、かすかに二人の間から漏れた。 岩城の右腕がゆっくりと上がり、香籐の頭を押さえた。 香籐の両手が岩城の頭に周り込んだ。 そのままの姿勢で二人は何度も、言葉を発せずに唇を重ねた。 それは、二人にとって、永遠とも思われる長い時間だった。 (愛している・・・) 短編おしまい お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.01.14 00:32:54
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