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カテゴリ:映画
好きな俳優(声優)の汚れ役、ヤラレ役(きわどい表現だ)にどこまで耐えられるか?
役者(声優)に惚れた場合、ありきたりなヒーロー役じゃなくて汚れ役みたいなのの方を、進んで観たいと思うか? もしも、あこがれの人が、たとえばゲイでヤられてるドラマをを正視(視聴)できるか? 落ちぶれたり、やさぐれたり、狂気になってしまたったり、どうしようもない憎々しい悪だったりしても平気かな? ロマンチスト度では男性の方が女性より上らしいから、平均的に考えると、ヒロイン役系の女優(声優)は落ちて汚れる役は源氏名でやるか、売れなくなってきたときの最後の手段にとっておくべきかもしれない? さて、男優(声優)さんファンはどうかな?幸い、最近のハリウッド映画にはありきたりの2枚目ヒーローなものと、そうでないものがバランスよく製作されているし、俳優さんも、自分の役の幅やカラーを限定したくないという発想からか、さまざまな役をこなすので、そいういみでは、カッコイイ2枚目役だけ好きです、じゃ、その役者さんファンと自称できないだろう。 声優さんファンも同じだ、人気実力のある声優さんほどBL(ボーイズラブ)に出演している頻度も高い。それを避けていては、その役者の持ち味の一部分しか味わっていないことになる。すなわち、ファンになることというのは、毒をくらわば皿までである。 この間友人と見に行った猟人日記(邦題)はあのユアン・マクレガーがお尻を丸出しにして年上の女の人など、つぎから次から感情に流されるままにヤりまくっていた。 文字にして書いてしまうと、すごくヤラシイのだけど、映画みてるときはそんなこと思わなかったから不思議だ。自分のどうしようもない人生をのろってるふうでもなく、惰性のように流される主人公が、次から次へとかかわる女性に甘えて行く様に、御芝居の底知れない面白さを感じ、ユアンの演技派としての才能の発現に酔いしれる1本だった。こういう映画はただハンサムなだけの人ではこなせないなと思った。 ところが、どうも開き直れない役者さんもいて、例えばトムクルーズだ。彼はカッコイイ役は積極的にやるけど、それとカッコイイ悪役もやるけど、切れた狂気のげごげろ男は絶対にやらない。演技者として、汚れきれない落ちきれないイメージの人だ。役者として幅の狭いほうじゃないかと思う。 一方、汚れ役が大好きなブラッド・ピット、12モンキーズに観られるように、初期は美形の自分をわざと汚す役を好んで選んでいたらしい。そればトロイで綺麗な2枚目を演じたりもするから、メリハリが面白い役者であるが,最近綺麗な役が多いので、ちょっとファンとしては面白く無い。 役の難しさでは3段階あると思う、素人なんでいいかげん適当な解釈だが 第1ステップは、ありきたりな普通のいい人。これはなんにも役作りを考えなくても、普通に真面目に演じれば大概の人はできるはずだ。 第2ステップは、へんな人、切れた人、色物系の1st段階。これは、ちょっと作りこめば、簡単である。むしろ素人に近い場合、普通の人以上に照れが入らず上手くやれる場合もある。 以上の2ステップは、素人をだませる、初歩的な演技力で、だいたいの役者さんならこなせる。 さて次が第3ステップだ 2枚目というのは、ありきたりな類型的な演技でも第1ステップの延長上でこなせると思われがちだが、それを実践すると、実は絵に書いた大根に映る。類型的でない、リアリズムがあって、しかも存在感があって、どうしようもなく惹かれる魅力をぷんぷんと放つ2枚目、それを演じるには、役者自身が心の中に、完全にそのキャラクターの人生から経験を作り上げ、その厚みのある想像力の土台の上でその役を演じないとならない、つまり想像力のない役者は、だれもが惹かれ惚れる魅力的な2枚目を演じることはできない。しかも類型的なセリフを類型的でなく、しかも色物でもなく、正統にしかも魅力万点でしゃべるのだ。この才能は、ナルシストの性格を持ちあわせない役者はむつかしい。単なる想像では実現できない。なぜ、映画でも御芝居でもそして吹き替えでも一定の限られた役者だけがこの主役に抜擢されつづけるのかの真相は、このナルシズムの追究というか研究がきちんと体内に出来上がっている役者の数が以外に少ないことにあると思う、実際へ平凡な生き方をし平凡な考えと価値観しか持たないままで居た人間が、ある日突然首相になって演説してみろとか、会社の社長になって講演してみろと言われて、台本はあるので演技じるだけだって言われても、それがやりこなせるだろうか? 脇専科の人にも聞いてみたい、もちろんステップアップのチャンスを窺っていて普段からマインドトレーニングをしている人は別かもしれないが。類型的でない2枚目がすんなにこなせるだろうか? やっぱり、第1、2ステップから第3ステップに大きなハードルがあると思う。 そして最後の第4ステップが、底知れない悪役やどろどろの人間役である。 切れた役、でも、普通さも併せ持ちながら、よくよく眼を凝らし疑ってみると恐ろしく異常であり、その不気味さや怖さや異常さが、観るものの想像の範疇を大きく逸脱するため、鳥肌が立ち痺れる。そんな悪役ができる人がまた限られる。 そんなわけで、第3、4ステップをこなせる人の人数がすくないため、同じ人があっちにもこっちにも出てきてしまうのだ。声優も俳優も同じである。おもしろいな・・・露出度の高い人にはそれなりの理由がある。 そして、この2から3へのステップというかボーダラインを越えられる人と越えられない人の差が凄く大きい。越えた人のファンは応援しがいがあって、ものすごく気持ち良いんだけど。続きは別の機会にあらためて。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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