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カテゴリ:映画
バットマン・ビキンズ(2005米/ワーナー)140分
監督・脚本:クリストファー・ノーラン 原案・脚本:デビッド・S・ゴイヤー 出演: クリスチャン・ベール マイケル・ケイン リーアム・ニーソン モーガン・フリーマン 渡辺謙 ゲイリー・オールドマン ケイティ・ホームズ ストーリー: 幼馴染のレイチェルと遊んでいるときに古井戸に落ちた大富豪の御曹司ブルース・ウェイン、井戸の奥の洞窟に棲む無数のこうもりに自衛的攻撃を受け、その恐怖がトラウマになる。そんなある日、家族で街へ出かけたウェイン一家に銃を突きつける強盗が現れ、幼いブルースの目の前で両親は射殺されてしまう。成長し大学を終えたが、世の中に悪のはびこる構図と正義の弱さに幻滅し失踪。悪を知り犯罪を知り、犯罪を消滅させるすべを探して放浪。チベットの山中で導師に出会い厳しい修行の場に身をおき心身を鍛える。しかし彼にはトラウマがあり、しかもその修行集団にはある大きな存在理由があった。やがてブルースはゴッサムシティに戻り、留守の間にすっかり後見人に乗っ取られているウェイン社内でひそかな行動を開始する。 一方、正義感の強いレイチェルは自ら悪と対峙するため検事になっていた。惹かれあっていた幼馴染の二人だったが、期せずして再び出会ってしまう。心乱れるブルースは、悪と真正面から戦う彼女の存在が気がかりでならなくなる。そんな時、ウェイン社で秘密に開発している兵器が消える。闇に動く何者かが大きな犯罪を企んでいた。 以下雑文: キャストとかをもっと詳しく知りたいので、パンフレットを買ってくれば良かったと後悔。 旦那と飛び込みで見た(海外からの友人を見送った帰りに、偶然通りかかった映画館で上映開始2分前に入ったので・・・) アクション&SF(恋愛はだめ、戦争ものは飛行機が出てこないとだめ)映画好きの旦那が無言でついてきてくれるのは、こういう映画。 そんなわけで、原語字幕版をまずは観賞。(あとで吹き替え版を見にいくぞと今は思ってます、そのときパンフを買うかな) 1980年代以降のバットマン映画、たぶんとりあえずは全部劇場で見ている(バットマンマニアでもファンでもないが、公開時がいつも見に行きやすいタイミングなんだなこれが)。今回のこの作品が一番大人向けで、脚本が練れていて、面白かったのではないかと思う。 別段、キャラに強烈に魅力があるのかと問われると、実は主人公の印象が一番薄い。脇にあまりにも役を立たせるのがうまい役者を全面的に要所にちりばめてあるせいだ(モーガンフリーマンしかり、ゲイリーオールドマンしかり、リーアム・ニーソンにマイケル・ケイン)が、これは監督が意図してのことであると思う。主演のクリスチャン・ベールという役者自体は完全に負けているわけではないが、バットマンという強烈でストイックなキャラクーを背負っていなければ、単に大金持ちのウェインなだけでは、おそらくミスキャストとも思える地味な存在だった。それにしても、吹き替え版が気になる。バットマンになっているときのクリスチャン・ベールの強烈に低く渋い威圧感のある声を、吹き替え版で忠実に再現するのだろうか(主演の吹き替えは壇臣幸さんのはず)、今から吹き替え版をみるのが楽しみ。でも、こういう低い声はアジア人には容易に出せないし、日本語のせりふには不向きなのではと思う反面、この声の威力が、実のところバットマンという存在そのものの演出に一役かっている部分というか、恐ろしい正義をなす存在としての小道具のひとつであるため、吹き替え版でもそういう演出をしないと映画としての演出効果の一部が失われてしまい意味合いが変わってくる。日本語版をつくるのは実はむずかしかったかもしれない。 さて話しを戻す、この作品、子供向けで無いないのは脚本そのものである。演出も脚本もまったく子供の観賞は考えていないのではと思えるほどに激しい暴力描写もあるし、心の底の闇や心理的な抑圧およびトラウマとその克服の過程の描写は大人を説得できるものであり、抜群の描写だった。両親を殺されてから、心理的な放浪をつづけ、最後にバットマンになってゆく主人公としてのキャラが、黒いダークで根暗なオーラを燦然と放っていて異色だ。 とにかく、子供だまし感が過去で一番少ない。バットマンというコスチュームの演出には犯罪者と犯罪行為を否定するために用いる精神的な攻撃手法としての恐怖というキーワードと、犯罪行為抑制への伏せんとしての精神的トラウマ、威圧感や恫喝という意味でのアイコン(シンボル)としての存在、それがバットマンであり、彼が非合法警察行動を個人で敢行する為の自己防護的手段でかつ効率的な攻撃手段としての戦闘コスチュームがバットマンの衣装であり装備である。 犯罪者も、その犯罪をなす動機が単純明快ではないところ、主人公の存在にも現代の科学と人間社会が存在するのに必要な病魔・病巣が生み出す土壌として存在している。最近のX-メンなどみ見られるDCコミックヒーローとその敵たちの存在理由とその誕生の必然性をうまく動機付けた話づくりになっているのと同じように、このバットマンも自らの存在価値を見出し己の内なる恐怖と両親を殺された憎悪のマイナス感情の捌け口として昇華したものがバットマンなのである。 さて、すこし脇にも触れおく。渡辺兼さん、いい役でした(英語もお上手)が、出番すくない。リーアム・ニーソンの役をやらせてもらえたらよかったのに、と思えるぐらいリーアムがおいしい役である。またゲイリーオールドマンが意外な役で出ている。彼である必然性はないが、悪役が続いていた彼なので、こういう地味な役はちょっとどころかかなり意外で、最後まで疑ってしまう私はいけない映画ファン。 監督がメメントやイムソニアなど一連の恐怖の演出に長けてる方なので、やはりそういう意味でも今回のメインテーマは恐怖である。観るものも演じるものも、共通一環して、世の中を支配する恐怖とは何か、個人の心の底にある恐怖に対峙するにはどうするか、など、心理の深い部分をさりげなくつついてくる、考えさせてくれるものがある作品だ。外宇宙の敵に教われる宇宙戦争や、あくまでも夢物語であるスターウォーズよりも、むしろ身近な存在感をはなつバットマンの方が、映画マニア的に話として面白いかもしれない。大作上映ラッシュに押されて早々に終了させてしまうには惜しい秀作だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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