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鳥取フォーラムから帰ってきてはや一週間。 参加した皆さんのレポートが、Facebookでどんどん発信されていくのを読みながら、感じたことをさっと言葉に変えられるってすごいなぁと感嘆していました。 大山に降った雨や雪が、何年もかけてじわりと地表にしみ出すように、いつかは澄み切った言葉で表せるといいなぁと言い訳しつつも、あんまり日もあけられないので、とりあえず持ち帰ったことを書きだしておこうと思います。(いつものことながらたいへん長いです。) 会場となった大山は開山からちょうど1300年。 神在ます山とされながらも、地元の人たちは親しみを込め、よいことやしあわせなことがあれば「だいせんさんのおかげ」と感謝の念を捧げながら仰ぎ見るのだそう。 長い間大切に守られてきたおかげで残ったブナの森、見る角度によって表情を変えるその姿は凛としておおらかで、紅葉は美しく、そしてとても寒く、夜は満天の星にのまれそうで、料理が美味しくて、毎年フォーラムで会える仲間との再会に喜び、新たな出会いは思いを深め、充電いっぱいになって帰ってきました。 今年はおひさまさん2人がいっしょに参加してくださったこと、岐阜県がバスツアーを組んで、来年のぎふフォーラム実行委員メンバーと長い道のりを楽しく往復出来たこともあり、岐阜チームとしての交流も深まりました。 参加した分科会は以下の通り。 ◉オープニング 「絵本ライブ&マジックショー」大友剛氏 ミュージシャン&マジシャン&翻訳家の大友さん。お名前を聞いたことがあるなと思っていたら、我が家で何回読んでも爆笑必須の「えがないえほん」の方でした。 これは、大人に変なことを大声で言わせるという絵本。 本家の大友さんの読み聞かせが聞けて光栄です。 音楽と絵本の組み合わせは子どもたちにも人気で、大友さんの絵本は短くシンプルで面白いので、読み聞かせが苦手な人や、お父さんにもオススメします。 アメリカで大人気のねこのピートシリーズから、"なにがあっても、歌をうたってまえにすすむ、それがだいじ!"という「ねこのピート だいすきなしろいくつ」 子どもたちが、何の山に登ったかの部分と、靴が何色になったかをいろんなものに置き換えたりして、自由に歌う事例では、子どもたちの視点の素敵さを紹介してくださいました。 シンプルだから、子どもたちの想像でどんどんストーリーがかわる。ひろがる。 うちでも「だいすきなしろいくつ」が、だいすきな友だちの名前になって、〇〇かなりさいこう~とか歌っていました。 フリースペースたまりば 西野博之氏 子どもの居場所づくりに取り組んでいる、川崎市子ども夢パーク所長、西野博之さん。 運営するフリースペースたまりばのトップページには『だれもが「生きている」ただそれだけで祝福される。そんな場をみんなでつくっていきたい。』と書いてあります。 たまりばは活動場所の多摩川(タマリバー)からの命名。 わたしはようちえんの仕事がお休みの日に「自分を生きる学校Mii」という小・中学生の平日昼間の居場所をしているので、こうした居場所にかかわる人たちにたくさん出会ってお話を聞く機会があります。 みなさん強い思いを持って子ども達と関わられていて、その手段(doing)は違うけれど、大切にしている(being)部分は同じ。きっと先駆者である西野さんの影響も大きいですね。 勇気づけられるとともに、何度も聞いて確認することで、大事なことを見失わずにいられるので、今回も西野さんの言葉をじかに聞くことができてうれしかったです。 子どもを取り巻く環境や生きづらさを生む背景と、文部科学省の最新データからお話ははじまりました。 お話からキーワードをいくつか。 ・遊びの大切さ、非認知能力を高める。遊びが数値化されない人間として生きていく力を育む。 ・「不登校はダメ」ではない。自分にとって意味のある時間だったと思えるように支えることが大事。 ・子どもを信じる。森のようちえんで、生きていくのに大切な命の根っこはちゃんと育っている。この子はこの子のままでだいじょうぶ。 ・困った子なのではなく「困っている子」。子どもを変えるのではなく、まわりがその子と一緒に楽しく過ごせるスキルを身につける。得意なこと強い分野に光をあてる。 ・正しさが子育ての苦しさを生んでいる。「正しい母さん・父さん」を頑張らない。親だって失敗していい。 ・まだ起きてもいないことで悩まない。問題が起きたら具体的に悩もう。 ・親にできるのは「クウ・ネル・ダス」に気を配ることだけ。(食べてる?眠れてる?うんち出てる?) ・今持っている力で今を生きる。 ・この世に生まれたこと、いま生きていることの"奇跡”、生きているだけですごいんだ。 ・うまれてくれて、ありがとう。あなたがいてくれて、しあわせだよ。を届ける。 ・子どもの「いのち」を真ん中におき、「子どもの最善の利益はなにか」を考える。 西野さんが伝えてくださったことは、いますぐできること(とわたしは思う)。居場所をつくるとか、そういうことからではなく。 子ども、若者と関わる大人が、その子の素のままをただ認めてくれたらいい。大丈夫だよという安心を届けたい。 わたしはここにいる(いまこれを書いている傍らで6人の子ども達が好き好きに過ごしている)たった数時間だけでも、安心して好きなことをしているのを感じてるのが好きなのだけど、先日も悲しい電話を受けたばかり。それは、Miiで安心して過ごしてくるから、家で荒れて困っているというもの。 かまってほしい思いを、不器用な形でしか表現できないこともある。こころが壊れていくのを守るために、暴言を吐きドアを壊すかもしれない。そんな彼らを、どうかひとりでもわかろうとしてほしいし、それを毎日受け止める親も、しんどさや自分の弱さを出し合うことができ、つらかったら逃げることが許される社会をつくっていきたい。 これまでに出会った子どもたちのことを思い出して、簡単にはいかない重苦しさや、真っ暗な海をひとりで漕いでいるような気持ちになるときもある。 わかっているけどそれができないんだと話す親も子も、いつまでも苦しそうで、堂々巡りの悪循環をおこしている。 彼らから聞こえてくる家や学校の様子は、そもそも守れないようなルールや正しさ、おどしのような叱咤激励であふれていて、孤独を感じ、自分には無理だと言い、毛を逆立てるように(特に親に)怯えている。 対面して互いの苛立ちを言い合うとか、背を向けて舌打ちしたり罵詈雑言を吐くのではなく、となりでその子のしていることをそっと認めて、したいようにするのを見守ったり、ひとりごとのように助かるなぁ、なんてつぶやくことから、はじめてみたらどうだろう。 それができないから困っているというなら、『自立とは一人でなんでもできることではない「助けて」が言える。適度に依存できる力。』と西野さんがおっしゃっている。 孤独にしない、地域で育ちあう場がある、失敗も含めて、たくさん挑戦できる、それを保障していこうという場が、そこここにある。探してみればいくつも見つかる。 「原さんの強みは、そういう場所をたくさん知っていること、それがあるって知っていることだね」と、むすこの担任の先生に言われた。あなたにはそういうつながりがあって、いつでも話を聞いてくれる人がいていいねと言われることがあるけど、わたしもはじめはそんなつながりの輪の外にいると思っていた。でも、勇気を持って一歩踏み出せば、輪の中にいることに気づけるし、いつのまにか迷惑をかけるのもかけられるのも怖くなくなっている。「適度に」依存できるというところがむずかしいけど、子どもの「いのち」を真ん中におき、「子どもの最善の利益はなにか」を考えたら、誰でもそんな風にできるし、そうなっていくと思いたい。 居場所に関しては、どうしても語りたくなってしまう。それでもこれだけ書きたいのは森のようちえんに多くの可能性を感じているから。 今回フォーラムで出会った人たちが、西野さんの話に共感して、その後の交流会でも西野さんを取り囲んで熱心にお話を聞く姿があったし、Facebookなどでもつぶやいておられた。 偉そうに私が言うことではないけれど、ぜひその先に一歩踏み出して、子どもの思いを受け止め、わかろうとしつづける存在が増えていってほしい。 ◉早朝分科会 「ロープ1本で作り出す森遊び ~森で役立つロープワークの基本と実践~」 講師:宙の森研修所 田中誉人(たかひと)氏 エイトノットくらいはできると思っていたけれど、毎日手を動かさないと忘れてしまうものですね。 今回のワークはロープ1本で森にどんどんダイナミックな遊びを作っていくもの。 田中さんは由来や注意点を語りながらするすると手を動かして、数種類の基本のロープワークを見せてくださったけれど、あまりに早すぎて追えず。 資料とにらめっこしてようやく二、三の結びを練習したのに、森に出た途端、あれれ?となってしまった。 大事なポイントは、正しい結びかたを正しく結ぶこと、そしてしっかり締め、整えること。 「Tie Dress Set」の三つ揃ってはじめて機能する。結びやすく、解けやすい。しかも美しいロープワークです。 一般的なロープワークの本ではタイのことは書かれていても、ドレスやセットについて触れるものは見たことがなく、ネットで探しまわって、ようやく一冊だけドレスやセットについての記載がある本を見つけました。買ってみようかな。 Knot Craft and Rope Advance 機能するノット -Tie Dress Set 森では、大きな木に一本のロープをかけて作るブランコや、スラックライン、ハンモックを体験。 まわりに支えてもらって挑戦すると、視点が変わるオモシロさや、ドキドキ感に思わず「わぁ!たのしい!これすぐやりたい!」と叫ぶ仲間たち。ビビって自分の限界を感じることもあるし、うまくいって自信になることもある。 失敗したり再チャレンジしたり。ロープ一本で森遊びが深まるのを感じます。 木を傷めないための工夫や、安全管理のこと、ロープや木の知識はもちろん、状況に応じてリスクを発見するチカラも必要。まずは、資料を見なくてもささっと正しく結べるように日々練習して、子どもたちに展開したいです。 ◉分科会A 「ユニークなポスターの作り方」 講師:電通 日下慶太氏 気になっていた『商店街ポスター展』の仕掛け人、日下慶太氏の分科会。 商店街ポスター展って?→https://www.advertimes.com/20150615/article194663/ 森わらからは、わたししか受けないだろうと思っていたら、おひさまさんのペペちゃんも参加していて、今回は会場でたびたびおひさまさんや岐阜チームと出会えてとてもうれしい。 コピーライターとして勤務する傍ら、写真家、セルフ祭顧問、UFOを呼ぶバンド「エンバーン」のリーダーとして活動しているそうで、只者ではない空気を醸し出していた。UFO、ほぼほぼ呼べるって。ほんとですか! 自伝「迷子のコピーライター」の紹介もあり、「ユーラシア大陸横断、就職、病気、挫折、出会い、別れ……。コピーライターという枠を超え、人生の迷子になった著者が、あらゆる違和感と向き合った末にたどり着いた〝ある想い″。」という説明文に、おもしろい広告の原点がここにあるのかと、日下氏の人生を深堀したくてわくわくする。 「広告は飛ばされ、じゃまなもの、広告なんて誰も見たくない。だから、見てもらう工夫が必要。じゃあそれってなんだろう。」というところから、はじめに、自己紹介をつくるワーク。 見てもらうために大事なことは「客観性」「サービス精神」「シンプルに」この3つ。 よりよく見せたい、いいものだからわかってほしいという、ある意味親バカ精神からうまれる、ともすれば自慢になってしまう表現を、それって他の人にとっておもしろい?みんな言ってない?嘘くさくない?とばっさり。 「何を言えばいいか」を、俯瞰して冷静に、客観的になって見てみることで生まれるもの、そして、「じゃあ、それをどう言ったら伝わる?」ということに落とし込む。 さらにそれに、見てもらうための工夫をする。 簡単に言えば、サービス精神たっぷりに、ちょっとでもおもしろく、わかりやすくする。 それは、たとえば「森のようちえんって素敵です。」ということを、何がどう素敵と感じているか、具体化したり、個人的に掘り下げていくことからみつかる。 素敵なのはどんな事実か、どれくらい素敵で、どんな場面にそう感じたのか。 そして、わたしたちが素敵だと感じた瞬間を切り取って、そこにあった具体的なエピソードや事実を、ワンビジュアル&ワンコピーで表現するというもの。 「個人的に」というのがまた、わかりやすかった。キャッチコピーを書くとなると、途端に神様視点になったり、第三者になる。ときには謎のコピーライターが降臨してしまう。 そんなことよりも、わたしたちが日々の活動で心動かされたことの方がよっぽど伝わるし、誰か他のスタッフや子どもの言葉や行動からひろった表現でも良い。どれだけ多くの視点を持てるかがポイントで、自分の視点で見るのか、保護者の視点で見るのか。スタッフの視点か子どもの視点か、近所のおばあちゃんの視点か、はたまた空や草や虫からっていうのもあるかな… 自己紹介も、自分にまつわる事実を具体的にどんどん書き出すと、そこから、客観的に見てひっかかる面白いところが見えてくる。ついつい、コピー風になってしまうのを、日下さんがストップをかけてくれて、事実事実、具体的に、とつぶやきながらいくつも出していく。 自分のことは難しかったけれど、ようちえんやMiiの活動のことなら出しやすかった。 「やりたいことを好きなだけできる」というふわっとした表現が→「田んぼで平泳ぎ」「アリを4時間観察し続けている」など。自分が活動中に感じたキラッとするエピソードは、それだけでキャッチコピーになる。 最後はそれぞれのつくったポスターを発表。どの活動も、「へぇ」「それってどういうこと?」と興味が湧き、その先を知りたくなるものでした。 岐阜フォーラムに向けて、どんなポスターなら見てもらえるだろう。ぜひ実行委員で共有したい。 ◉分科会B 「農の世界/菌の世界」 講師:丸瀬家 丸瀬和憲氏/タルマーリー 渡邉格氏 智頭町の森のようちえん、まるたんぼうの話をしていたとき、智頭町?それってたしか…とつながったのが、刊行以来売れ続けている『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』の著者、渡邉格さんの店・パン&クラフトビールの「タルマーリー」だった。 いつか直接話を聞いてみたいと思っていたので、フォーラムの資料で名前を見つけたとき、まっさきに申し込みを決めたのがこの分科会。 いっしょにお話をされた丸瀬家の丸瀬和憲氏は、失礼ながら当日まですっかり抜けていて、あわてて会場でプロフィールを探した。 丸瀬さんは、鳥取で生まれ、建築学を専攻するため上京。並行してレザー職人を目指し、大学卒業後フィレンツェにわたってからは3年ほど、自転車で13000kmを旅しながら手縫レザー製品を作っては売っていたという、また深掘りしたい人生を歩んでいる。視野の広さや主体性の根っこはどこから?どんな子ども時代を過ごされたんだろう。 「手縫だから皮と針と糸があればどこでもできるし、テントと寝袋があれば寝るところもバッチリ、ぜんぶ自転車に詰めると思ったけど、よくよく考えたら、もうひとつ「売るところ」がいったんですよね。」と笑いながらも、露店で売ろうと広場にいたら、お値段や価値がその場所にふさわしくなくて売れなかった話。 それで、つくったバッグを持って歩いていたら、それはどこで売っているのと聞かれ、そのご縁で販売してくれるお店も見つかったというから面白い。 品番で皮を発注すると、届くものが発注したときと違うことに違和感を覚え、皮(一頭一頭)と直接出会い、その動物のエネルギーを感じてつくるやりかたで、フィレンツェのお店に卸し、そのお店の紹介でウィーンのお店にも卸せるようになって、順風満帆に思えたのだけれど… 「生きてるー!」って、たくさんのいのちに支えられてるんだなぁ。ある日そう思った丸瀬さんは、もっと生命に関わる仕事がしたい、とより多くの生命にたずさわれる農業を志して帰国。 「国語・算数・理科・畑・・・」子どもたちが日常365日毎日農にたずさわれたらいい、とまたご縁あって出会った古い牛舎を改修して、いまは「土ある暮らしの学び舎」をつくっています。 そのボロボロの牛舎がまた、ご自身のおじい様が約40年前に廃校となった校舎の建材でつくったものだった、というところがまた、面白いご縁です。 渡邉格さんはのっけから「パンは食べない方がいい」「うちの子どもたちも食べない」「殺人パン」や「冷凍パン」の話をしていました。わたしも某パン屋に勤めていたので、省力、効率化アップばかりの置いておくだけで何倍にも膨らむ冷凍パンや、紙パックに入った起泡性が優れた殺菌凍結卵に違和感を感じていて。それにしても、格さん、パン屋さんでしたよね…。 お二人の掛け合いから、丸瀬さんが「本当にしたいミッションは天然麹菌の採取がしたい」とおっしゃったのを機に、菌の話に。 「大気中に農薬や化学物質があると、きれいな麹菌が降りてこない」「スタッフが病むと青カビだらけになる」「ヘリコプターで農薬の空中散布があると、10日ぐらいは黒カビが生える」「〇〇リーズ(除菌もできる消臭スプレー)をつかわないでね、大気が化学物質で汚れれば、それを分解する菌が増えるだけ。」「行楽シーズンは全くダメ。排ガスがあるから菌が真っ黒になる。」「失敗するほうがいい。うまくいかない条件がわかるから面白い。」 格さんの「菌本位」の暮らしからうまれる一言一言や、ここには書けないような話が次々と出て、会場はどよめく。 野生の麹菌は周りの空気に敏感に反応するから、人と人の関係が悪かったら、しばらくは降りてこないのだそう。 格さんは日々、このカビを“味見”して、その出来具合を自分の“舌”でたしかめている。 真似しないでくださいね、というけれど、「わからないものを、わからないまんまうけとる。」「頭で入る情報より体に取り込む情報」「生きていくための能力、本能。」「身体性に戻る。」「たいていのことは身体が教えてくれる。」「ものをつくっていると、あきらめの境地になる。すべて「自分で」と奢らない。」「自分って可能性がない、と思うと楽。」という言葉には、格さんが日々確かめてきた真実がある。 タルマーリーの「発酵」と「地域内循環」は、できるだけ地元で採れた自然栽培の農産物を使い、地域の経済循環を高めていく「腐る経済」のキーワードの一つだけれど、空気、水、天然菌、草木、気、人も含めた里山の環境まるごと全体を整えることが、菌を取りやすい環境づくりにもつながっていて、そういうことを考えると、ただ農薬や肥料の使用を全否定してもはじまらないという。 地域の人たちに徐々に自然栽培の輪が広がっていく。それは何年かかるのかわからないけれど、私たちが考えるよりずっと長いスパンで考えることなのかもしれない。 森づくりで、自分たちが関わる木の100年先の森を考えている。それを切るときには自分はもういないと言っていた、林業の人の話を思い出した。 智頭町に移ってから、人とのつながりのなかで格さんの思いに共感し「腐る経済」の環に入ろうとする仲間が増えているのだそう。 「あるがままをおろしたい。里山を食べるパン。」これからも続く探求のその先にわくわくする。 「いいものも、悪いものもない、自分がどう生きたいか、だから。」という格さんと、森のようちえんはその根っこをちゃんと育てている。「森のようちえんで子育てしてよかった。」と奥様の麻里子さん。 教育の話も、菌の話も、経済の話も何時間でも話が尽きないので、続きは夜の交流会で、といったんお話は終わったけれど、まだまだ聞いていたかった。 交流会でも少し話せたけれど、ぜひまるっと1日語りあかすような会を岐阜で実現したい。 ◉分科会C 「森に行かない母ちゃんを誘え!」 講師:池田尚氏 長崎県諫早市の『こどもの城』の館長、池田尚さん、呼ばれたい名前は「コーチ」。 ニックネームや本名は、私じゃない人がつけた名前。だから、「私はここにいますよ」「私ここにいていいですよね」という思いを込めて、呼ばれたい名前で呼びます。という話から始まったコーチのお話。 出会うのは3回目。私が開始ギリギリに会場に着いた時、「おお、ゆかりちゃん!僕の彼女が来たよ。」と笑顔で迎えてくださって。こういうところに惚れてしまうやろ! 『こどもの城』は、諫早市が運営している全国的にも珍しい施設で、自然の家と、児童館と、子育て支援施設と、大人の遊び場、学び場、地域づくりの場でもある。 慣れたお母ちゃんは「おとなの城」なんて呼んだりもする。 「ふらっと来れば遊ぶとこ ねらって来れば深いとこ」「妖怪せんば」「イランシェア―」など独特の方言で、核心をつく。 ちなみに「妖怪せんば」のせんば=せねばならない。「~べき」とか「~しないと」と主体性がないのにやろうとする時現れるらしい。 イランシェア―=いらぬ世話(余計なお世話・おせっかいやき)だ。いらん世話とは「ここにおっていい」ということ。 ある子どもの城ベテランお母ちゃんは「子どもの城がなかったら、刑務所にはいっとった。」と言いながら、二人目の子育てに悩むお母さんから赤ちゃんをさっと抱きあげる。おしゃべりも、笑顔も得意ではないお母ちゃんが、スタッフでもないのに主体的に関わっている。 二人目で悩んでいたお母さん、いまは三人目を産んだそう。「だって、他人が助けてくれるから。」と。 子どもの城では「あんた、育児ノイローゼたい。」「泣かしとき、泣かしといていいけん。」そんなぶっきらぼうな関わりに救われる人が多い。 分科会のキーワードは「異質」「同じと違い」「失敗」「安全」。 キャーキャーと騒ぎになった毛虫を殺したお父ちゃんに、まわりが拍手喝さい。そんな場面を見て泣いたスタッフがいた。知らないから差別する。わからないから避ける。なら知ってもらったらいい。 コーチに会う前、わたしは子どもたちに「嫌ならやらなくてもいいよ。」と思っていた。 「どうして学校へ行くの?」という問いに「好いちょうもん増やすためたい。」というコーチ。嫌なことを避けて通れば、その先ずっと嫌なままだ。いつか好きになるって道があること。体験を通して「好かんもん好きになっとうやん。」そんなことがある。 むすめが年長の時、手縫いが嫌で、大変で、泣きながら何日もかかって仕上げた雑巾や手提げバッグ。いまも宝物で「たいへんだったけど、すごく楽しかった。」と言っているのをわたしは知ってる。 自己紹介ひとつから、コーチは簡単には終わらせない。 自分だけじゃなく相手を思わないとできないこと、信頼することを次々と体感させていく。 つい頭で答えを探しがちになる私たちに、「わたしと違うあなた」をただ知って、そのまま受け止めることに気づかせてくれる。 2チームに分かれて、その中から2人だけ選び、コーチがその2人の名前をハングルで書いたものをヒントに、あるアイドルの名前をハングルで書くゲームは、アイドルの名前に含まれる母音がある名前を見つけるために、どんどんアイデアを出し合って共有する。かな文字とハングルに共通点があるというヒントにたどり着いたら、2人を選んでコーチのところへ。それをたよりにアイドルの名前が書けた時、それまで関心をもったことがなかったハングルを知って距離がぐっと縮まる。 あたまに「〇〇〇」というキーワードがあった時だけコーチの指示に従うゲーム。コーチの巧みな話術にみんな引っかかるので、みんなどんどん失敗する。「安心して失敗できると、人は笑うんだ。」と気づいた。 野口整体の分科会をされていた山上亮さんが、「相手にからだを委ね、相手は委ねられたからだと対話しながら、相手の意思を尊重する方向に誘導されてゆっくりと倒れると、人は笑う。」と言っていた。そうやって、からだから笑うって、自分になるヒントかもしれない。奥深い! タイトルになっている「森に行かない母ちゃんを誘え!」の話。 長崎フォーラムの分科会で、実際に「森に行かない母ちゃん」二人に来てもらって、分科会参加者に、どうしたら森に来てくれるかを話し合ってもらった時「わかんないからできない」「どうしよう」と結局良いアイデアが出なかった。 そのとき、「森に行かない母ちゃん」は「なんでもいいから手を引っ張ってくれたら行ったのに。」と言っていた。 「いいけん来い。」の一言でいい。「森のようちえんのお母ちゃんたちは、なんでわかってから連れてこようとする?」コーチの言葉にドキリとした。 私たちが、森のようちえんに我が子を通わせていて、良いと思っていることがある。なら、大切な人を誘ったらよかったのだ。岐阜フォーラムにむけて、この一年は「森に行かない母ちゃん」をどんどん誘ったらいいんだ。 「いいけん来い。」とは言えないけれど「いいから、おいで。」なら言えそうだ。 最後に、コーチの弾き語りで『おかえり』の歌をみんなと歌った。 ともちゃんの『わたしをママにしてくれてありがとう』とセットのようなこの歌。 パパも歌える、いていいんだよ。失敗しても大丈夫のメッセージ。 いっしょに歌った男性陣が感激しているのを見て、ぜひお父ちゃんに歌ってほしいと思った。 ◉「星取県」星空観察会 実は、星空観察会の前の晩にも、真夜中にふらりとホテルの前の山へ夜空を見に行った。 怖さよりも感動が先に立つと後先を考えずに動いてしまうのは、わたしの悪い癖です。(防寒対策とスマホの電波状況はしっかり確認して) スキー場の奥まで進んだところでイノシシの掘り起こした穴にうっかりはまりそうになって、我に返ってホテルに戻ったけど、空いっぱいにくっきりと浮かぶ天の川と、星の奥行きに圧倒されました。 こんなにくっきりとした星空ははじめてです。星座のことはわからないし、そんな説明よりも、見上げた瞬間自分の芯からの涙が出るような感動。心が震えるってこういうことなんだなってテンションそのままにホテルに戻ったところで、おやすみ前の岐阜チームの皆さんと出会って、おもわず分かち合いたくなってはしゃいでいました。あれがわたしの素です。 翌日は大勢での星空観察会。道路の端に横になってみたら、ちょうど長い長い流れ星が見えて、その時間を誰かと共有できたことに感激。森のたんけんたいのこばちゃんとエリカのウクレレの演奏に合わせ、誰かが星をみていた?と森のようちえんのうたを奏でるミニコンサートもあって、体は芯まで冷えそうでしたが、心はフォーラム最終日に向けて、ほっこりあたたまりました。 ◉基調講演 「森もサバンナも北極もいのちでいっぱい」 あべ弘士氏 あべ弘士さんは25年間旭山動物園で飼育係をされていて、廃園の危機から入園数日本一に到るきっかけとなる行動展示のアイデアをスケッチに残し退園。その後絵本作家をされています。 『あらしのよるに』シリーズと聞けば、ピンとくるのではないでしょうか。 北極圏に浮かぶ島々に滞在した時の体験を元に生まれたのが「ふたごのしろくま」シリーズ。 あべさんがシロクマの親子と出会ったときの感動や興奮が、ラフ画から感じられて、それがまた絵本になるともっと素敵になっています。 「親子の会話が聞こえてくるようだった。」と写真にアテレコをするあべさん。 母親が海に入る。2頭の子グマが後に続く。一頭はお兄ちゃん。積極的で勇気がある。もう一頭は内気な妹。ママ待って、はやくおいでよ、なんて親子の会話をスケッチにおこす。 海に飛び込むまで躊躇していた妹もとうとうそっと海に足を差し入れて泳ぎだし、やがてゆっくり沖の島を目指して冷たい海を泳いでいった。 そんな姿がそのまま「ふたごのしろくま」という絵本になった。 あべさんの動物たちにむけるあたたかいまなざしと、想像力&創造力の源はきっと子どもの頃からの自然体験や原風景にあると思うのです。 森わらっこたちにも、日々生き物を、いのちを愛でるすがたがあります。 てのひらにカマキリをのせている子の横に並び、ぼくも、つぎはわたしも、と頭のてっぺんへはい上がろうとするカマキリの動きに沿って指から指へとうつす様子や、3、4歳の子が、森の散歩道で死んでしまった生き物に葉っぱをかぶせ、花を置いてから、しばらくして、その花をもう少しだけ近くに置きなおしたりする姿、そういう瞬間を邪魔せず、大切に大切にしたい。 他にも、分科会には出られなかったけれど、自主交流会や食事の時間がたっぷりあったので、偶然同じテーブルになった人たちともお話できて、気になっていたおうちえんの大下億充さんやトエックの伊勢達郎さん、里山倶楽部のポッキーさんこと新田章伸さんのお話も聞けた。 男性として、父親としての視点は、自分にはないもので、そのまま真似してもうまくいかないことが多いけれど、長く野外体験や子どもの居場所をやってきた方達の言葉は重い。 森のようちえんのお母ちゃんたちへの愛あるダメ出しには反論したくなることもあるけど、そこに「自分が握りしめているものさし」があることに気づけるのも、フォーラムのいいところ。 今回のフォーラムで「どうして参加したんですか?」といろんな人に聞く中、講師としてはじめて森のようちえんを知って「呼ばれたから来た」という何人かから、「森のようちえん」「全国フォーラム」という名前に敷居の高いイメージを感じていたけれど、すごく良かった。森の子育てフェスだね。とか、もっと森のようちえんの外の人にも知ってもらえるといい。参加して本当に良かった。と言われた。 参加したおひさまさんからも、たいへんだったけど来て良かった。また次も参加したい。無理しても参加してよかった。と振り返りを聞いた。参加した誰もがハマる魅力がフォーラムにはある。 今回学んだ、自己満足や親バカにならないような告知で「いいからおいで」とお母さんたちに伝えていこうと思う。 閉会式では、来年の開催県として、鳥取より引き継ぎがあり、この3日間、来年の実行委員の動きをイメージするために、鳥取チームの動きを見て回ったり、最終日に動画配信のお役があったこともあって、いよいよという気持ちが高まります。 鳥取実行委員長の西村さんから、ともちゃんに横断幕をわたし、二人がハグした場面で、急にわぁあと1年なんだ!と実感が増しました。 最初から最後まで動き回っていた鳥取実行委員のみなさん。おもてなしの気持ちをいっぱい受け取って、楽しく快適に過ごせました。みなさん、お疲れ様でした!ありがとうございました。 そして、フォーラムに行ってらっしゃいと送り出し、月曜日は休園にして休ませてくれたスタッフやおひさまの皆さん。今年もありがとうございました。
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最終更新日
2018年11月13日 23時50分43秒
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