わたしは 母親が亡くなる近くに お墓にはいない
塩釜神社のそば(中ではない) いるから(降りるから)といわれましたが
哀しくなり 行くものの 一度として 逢うことはありませんでした
それで 昨年 昭和33年生まれなので年男なので
塩釜神社に行きました ・・・
本殿は氏子のかたが いらしたので 脇のところで
呼ばれていくと わたし一人 ご祈祷を受けることになっていました
実は この わたし一人 というのは 別なところでも
あったんで 「孤独な運命だなぁ」と感じました。
そのあと 氏子さんのも終わり こちらも終わりで
なんか じろじろ見られるので こそこそと出ました。
それで 母親がいるというから(本人が言うのは勝手ですから)
そこに行きました
それで 「しおがまの釜は 本当の釜で 盗人がゴミを捨てる」
そういう言葉を思い出し いろいろ考えてたんですが
すこし その言葉を聞いてみようかな と感じました。
というのも どうも一族の力を釜とさしているらしく
塩釜神社というのとは 関係がないもちものらしい感じがするのです。
もし 神社に関係あるものなら ある団体から「力を貸しません」
と言われる筋合いは ないし わたしは誰のためにもなり力なら
誰でも使えればいいなぁ と感じていたんですが
このときは 一人で ご祈祷をうけて意識が
そちらよりになっていたもので そう考えたんですがね
こういうのを幻想と呼ぶのかもしれません
それといまいる一族が 災難続きで すこしおかしすぎるとか
塩釜の人が 7年間で しつこく出会うもので
1.あるひとは家に食べ物を売りに きたんですが
彼氏の家が霊的な災難があり 塩釜にいる母親と仕事をすると
2.あるひとは 職場で上司がいないと わたしを怒鳴り
「親殺し 妻殺し 汚い 」とか 早朝お掃除の方が
「殺されるわっ」と騒がれた方なんですが 仕事熱心な方で
今は恨んではいません そういう生き方もあるのかなぁ と
3.あるひとは ちょうどわたしが災難にあったころ
リストラされ 塩釜が実家で親が亡くなり歓迎されないけど帰るか
こういう人たちなのですね 「汚い」とかいわれたのも
もしかして 「釜のゴミ」なのかなぁ とか考えてみることにして
つまり 本当は関係のないことを括りで考える
こうすると精神的な問題なら非合理が 合理的に処理できる
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ワーク
あなたの人生の中で 非合理な扱いとかされたり
どうして馴れ馴れしいんだろうとか
なんで あそこで知り合ってしまったんどろうか
そういう人間関係を 何かのキーワードで 括り(くくり)ましょう
大切な人やご先祖につながる なにかが見えるはずです
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最終更新日
2007年01月28日 11時34分51秒
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