先生のラグビー日記

2007/09/20(木)22:53

漢字の話

日常(117)

 夏休みに実施した漢字検定の結果が来た。学校での実施、好評だったので来年はもう一工夫して参加者を増やそう。中学校だけでなく、近隣の小学校に呼びかけて見るのも面白い。うちの息子たちも合格できました。片方落ちたらどうしよう、と心配していましたが杞憂に終わりました  ところで、植物の茎で、同化物質を流す管を「師管」という。こどもの頃、どうして「師」の字が使われているのか不思議でならなかった。その理由が分かったのは、大学にいるときのことだった。  もともとは「師管」の「師」は「篩」と書いた。訓読みすると「ふるい」、そう、「ふるいにかける」のふるいである。つまり、顕微鏡で見た形状が篩のように見えるから「篩管」と書いていたのだ。  ところが、「篩」が当用漢字から外れたために教科書で使えなくなってしまった。そこで「師」の字を当てたのである。  初めてこれを聞いたとき、あまりの馬鹿らしさに力が抜けた。「篩管」ならわかるが、「師管」では何のことやらさっぱり分からないではないか。その他にも「絵を描く」というのはダメで「絵をかく」とするのが正しいとか、「子供」はだめで「子ども」とするように(もっとも、これは教科書会社によって扱いが違うそうな)とか、よく分からない理由で漢字の使用には制限がかけられている。なんのこっちゃ。  漢字はどんどん使った方がいい。読めなければルビを振ればいい。漢字を減らすと国民の文化水準は上がるのかといわれればこれは明らかにNOである。今ほど漢字の使用制限がされている時代はないのに、若者の多くが本を読もうとはしないことからも明らかである。  むしろ、たくさんの漢字を知っている者の方が進んで本を読もうとする傾向は強うように思う。繰り返すが、漢字の多さと読書の困難さとは直接的に関係がない。  話は違うが、忘れ物の罰として漢字練習させる先生ってまだいるのかなぁ。

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