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カテゴリ:人間モリス
ウィリアム・モリスとはいったい何者であったのか?多くの人が、その問いを持ちながらモリスに近づき、そしてその多彩さ、あまりの巨大さにとりつく島のない思いを抱き、茫然とたたずんでしまうのではないでしょうか。 人間は他人を見る時、誰しも自分の器、自分の色眼鏡でしか見ることができないものですが、どんなにちっぽけな視点でしかなかろうと、やはり私は私にとってのモリスを淡々と追い続けていこうと思います。
そしてその壮大な歴史ドラマの中で、語られた登場人物の次のセリフが強烈に心に刻印されました。 「この世のすべては、しょせんは男女の仲のこと。男が女をいつくしまいで何の正義よ。道学者や政治家を信ずるでない。軍人や富豪にあこがれるでない。一人の男の出世のかげに、何人の女が泣くものよ」
人間の精神性をことさらに低めようとするわけではありませんが、ままならない現実生活を生きていくためには、心の中に、制度的な妻とは別の《理想の女性》を描き、その理想化した女性に好かれるためにこそ、仕事に邁進する。そういうことはありうることであって、有名な例ではベートーヴェンが生涯抱き続け、創作の糧とした《永遠の女性》があげられます。その永遠の女性はいったい誰だったのか、をめぐっていまだにいくつかの説があるようです。モリスも、そういった視点から見るとなかなか不可思議な男でした。妻の裏切りを知りながら、その不倫相手のロセッティを手助けするような策を弄しています。なぜなのか?その屈折した心理の真相は、おそらく永遠に解かれることはないでしょう。 モリスが、彩飾手稿本の研究を続け、その試行錯誤の作品を作るなかで、もっとも美しく仕上がった二冊ともを、そのジョージアナに贈っているのです。そして、1891年10月3日、モリスが息を引き取るときも彼女は傍らで見守っていたと言います。 たんなる友情関係以上のものがあったのか、なかったのか。これはもう想像するのみです。ただ、私は個人的にモリスの仕事というものが、どうも全てが未完で、すべてが可能性であるようなまま止まってしまっているという思いが強いのです。つまり、多彩な仕事をすればするほど、その仕事のひとつひとつには人生のピントが合っていなかったのではないか?と思わざるを得ないのです。まるで巨大ながらんどうのような存在です。 上述の『邪宗門』の世界にみるように、このように社会的に素晴らしい立派な業績を残した偉人が、おうおうにして人生のフォーカスが、実は仕事ではなく理想化した心の女性像に向かっていたということはあるのだろうと思うのです。
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Last updated
2017.08.07 15:55:45
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