モーツァルト最後の弦楽五重奏曲
ヴォルフの「モーツァルト最後の四年」という本を読んで以来、モーツァルトの晩年の室内楽を演奏するように務めてきた。弦楽三重奏曲は大分以前に演奏したし、弦楽四重奏曲も数年前に全部演奏している。クラリネット五重奏曲も同様だ。あとはピアノ三重奏曲と弦楽五重奏曲が残っていた。ピアノ三重奏曲は曲を決めるときにモーツァルトに誘導するようにして、すべての曲を演奏することができた。そして5年ほど前から弦楽五重奏のプロジェクトが始まった。ここではK.515から始めて、K.516, K.593と演奏してきて、昨日から最後のK.614の練習が始まった。 モーツァルトの K つまりケッヘル番号はK.626(レクイエム)で終わりなので、K.600以後はモーツァルト最後の年である1791年だ。特別に扱われる曲が多い中で、この弦楽五重奏曲は演奏されることが少なく、CDもYouTubeも有名なK.515, K516に比べると驚くほど少ない。私も、今回モーツァルト最後の作品群に特別な関心を寄せるまではこのK.614を聴いたことがなかった。 父のレコードやCDのコレクションを聴いて育ったので、モーツァルトの室内楽は演奏する前からしつこく聴いており、知らない曲は少ない。今回のK.614はモーツァルトの知らなかった曲を演奏するという非常に稀なケースになる。せっかくなので、最初の練習まで音源を聞かないように努力し、個人練習もあえてせず、合奏の練習で始めてパート譜を開いて初見で演奏するようにした。初めて聴く曲の衝撃を味わいたかったのだ。 特に意識せずに聴いたらK.200番台くらいに感じるような、ハイドン的な整った感じがある。シンプルに聞こえる。だが、細部は後期独特の凝りに凝った作りだ。終楽章にはこのころのお約束でフーガが出てくるが、これはよくあるフーガっぽいというレベルではなく、かなり厳密だ。緩徐楽章では明らかに音がぶつかる箇所があり、耳障りの良いモーツァルトの音楽を逸脱している。チェロはこの頃の室内楽としては負担が軽い。古典的な支える仕事を担当する場面が多く、プロシア王の弦楽四重奏曲やK.515からK,593の弦楽五重奏曲で見られるような名人芸は要求されない。 演奏していてとても良い曲だと思うが、聴いていると地味に感じられるのかもしれない。この曲もまた、一年ほどかけて練習し、どこかで本番ということになる。