ああ勉強、勉強
最近は、郊外をテーマにした都市論を中心に読書を進めています。きっかけは『都市の社会学』(若林幹夫・ちくま新書)で、自分がもつ郊外のイメージに一番近い書き方をしていたので、好感を持つだけでなく、久々に本気に都市論に関わってみようかな、と考えました。 そして既読の三浦展のいくつかの著作を読み直したり、たまたま読んでいた昭和30年代論が都市論にも影を落としているとフムフム考えたり、宮台真司は避けてとおれないなあなどと思ったり…そんな日々を過ごしてました。ちなみに自分のスタンスを著作を通じてある程度定位すると、まずアンチ『ファスト風土論』であり、アンチ三浦展になります。三浦の郊外論はとてもわかりやすい批判だけれども、郊外に住んでいる人の実感を硬直させてしまうように思います。所詮三浦は郊外の通過者にすぎないと思えるような、無責任さを感じてしまうのです。一方、宮台真司とはスタンスは近いのですが、彼のやや性急に感じられる社会学的結論(特に『終りなき日常を生きろ』)には、生身の感覚として受け入れがたい。ぬるいのかもしれませんが、結論はいま少し留保したいというのが自分の考えです。では東浩紀はどうか。まだ著作を丹念に読んでないので何ともいえないですが、大雑把に言えばスタンスが近いように思われます。 さて、昨日ですが、小雨の降る札幌駅前、旭屋書店に行きました。知人に紹介された若林幹夫の著作を探すためです。書店の検索コーナーで調べてみたのですが、紹介された本は品切れ。自分がすでに持っている本以外では、1冊だけ書架に並んでいるとのこと。その1冊を見てみようと思いました。 ところが、社会学の棚を探せどなく、地理学の棚にも片鱗を見せず、まさかと思ってサブカルチャーの棚も見ましたが見当たりません。どこだどこだと、棚を探して見つけたところは…なんと建築関係の書籍の棚。 その若林幹夫の著作-『都市のアレゴリー』-はINAX出版の本。ここにいたってようやく納得がいきました。INAXやTOTOは良質な建築関係の本を出版しています。建築関係の棚にあるのは自然なことだったのです。 が、一方で、もすぐりは強烈な事実を前に呆然としてました。というのは、郊外論を地理学と社会学の連携で考えようとしていたのです。当然それらは郊外を考えるにあたり必須の切り口なのですが、もう一つ建築という視座があるとは意識してませんでした。考えてみれば当たり前のハナシで、インフラを含め街を実際にデザインするのは建築の仕事。そして棚を見てみれば、建築家による都市論も少なからずあるのです。自分の意識の中では、読まなければならない本が、しかもそれまで踏み入れたことのない分野で一挙に増えたことに震えました。ああ、石山修武や隈研吾あたりにも立ち向かわなきゃならんのか! そんなわけで、郊外論にハマったまではいいものの、途轍もなく先は長いのでした。