昨日、碧南の市古靖男さんの奥さんから電話があり、ご主人が1月30日に亡くなって、今日お通夜だと言う。え~、あんな元気だった人が、・・・。
市古靖男さんと知り合ったのは15年前くらいに遡るだろうか。碧南で碧南マンモストライアスロンという子供の大会をしていたころです。その頃私は愛知県トライアスロン協会の理事長をしていて、子供の大会を何処かでと思っていましたが、加藤高峰さん、市古さんたちが中心となって、碧南市トライアスロン協会を立ち上げて、いろいろと市の方と交渉してくれて、立派な子供の大会を創ることが出来ました。
その後、碧南のマンモスプールそのものが閉鎖されてしまったために、幸田町のハッピネスヒルに子供の大会は移されるのですが、確か8年くらい続いたように思います。
その後もJTUの審判資格を取ってくれて、あちこちの大会でマーシャルとして協力していただきました。
市古さんが”スナック市古”のマスターだと言うことも判り、何回かスナックにも足を運びました。そして、ご自身もトライアスロンで一度宮古島に出て見たいという夢をかなえて、その時の写真がいつも店に飾ってありました。
そう言えば最近あまりお見かけしないなと思っていたら、2年ほど前に胃癌の手術をされたようです。半年ほどで再発して闘病生活を送り、体調も悪かったようですが、先に亡くなったお父さんの葬儀、法要を気丈に済ませたという話です。享年66歳、まだ惜しまれる年です。
お通夜には大勢の人が参列していました。碧南市飲食店組合の役員などもして、人柄がよかったことが偲ばれます。トライアスロン協会からも7~8人の方が来ていました。
祭壇の横には元気だったときのレースの写真、自転車が飾られていました。
父親思いの市古さんの俳句が飾ってありました。
市古さんの分も宮古島頑張ってくるからね。どうぞ、安らかに