小林麻央さんが34歳の若さで乳癌のため亡くなりましたが、その理由として3つの過ちがあったと言われています。乳腺専門医としてその過ちを検証してみます。
最初の過ちは市川海老蔵の付き添いのような形で一緒に人間ドックを受けましたが、授乳期であったためはっきりとは診断出来ず、要精査となり、東京虎ノ門病院を受診しました。ここでも授乳期であったため、はっきりしこりが乳癌とは診断出来ず、3か月後(麻央さんのブログでは半年後となっていますが、・・・。)に再検査に来るように言われたとのことです。授乳期は乳腺自体が増殖していてしこりが判りにくくなっているうえに、乳管の一部が詰まってしこりになる所謂うっ滞性乳腺炎によるしこりがよく出来ます。また授乳期ですとマンモグラフィーも避けられることが多くしこりがあっても穿刺吸引細胞診は乳漏を作る危険があって避けられることが多いのです。その後夫妻はそれほど重大なこととは考えずに次に受診したのははっきりとしこりが判るようになった8か月後でした。
その時点で乳癌の診断がついて、標準治療(乳房切除+抗がん剤治療)を勧められたのですが、夫妻はそれを拒否してしまいます。 その理由は3人目の子供が欲しかったということと、乳房を失いたくないと言う女性特有の感情、もうひとつはその時に元慶応大学放射線科講師の近藤 誠氏が書いた「医者に殺されない47の心得」などと言うでたらめな本がベストセラーとなり、その影響もあると思われます。標準治療と言うのは時代により変化していきますがその時代の最善の治療と考えてもよいと思います。この時に標準治療を受けていれば、乳癌のステージとしてはIIと推測されますので、5年生存率で95%はあったはずです。
夫妻は標準治療を拒否して、代替医療をいろいろ模索して結局気功療法に辿り着きます。気功とは手かざしで念を送り免疫機能を高めて癌の増殖を抑制すると言う話ですが、これは医療と呼べるものではなく、もう信仰の領域です。遠隔転移も明らかとなり、局所も潰瘍化してどうしようもなくなってから聖路加病院へ入院してもまだ標準治療を拒否し続けたようです。これを聞いて私も昔診た患者さんを思い出しました。その患者さんは30台半ばの方でしたが、近くで評判の内科医に相談したところ、その先生はOリングテストと言う代替医療にはまっていて、難しい診断や治療法の選択を決めるのに患者さんと先生が親指と人差し指で輪を作って引っ張り合いどちらの輪が切れるかで診断をつけると言うまじないのようなことをしていたのです。その結果乳腺のしこりは乳癌ではないと言うことになり、放置されることになったのです。人間は弱い心の持ち主で乳癌でないと言われるとインテリほどそれを信じてしまうようです。私のところへ来たのは乳癌が潰瘍形成を起こし、どうにもならなくなってからでした。もちろんすぐに細胞診で乳癌の診断は着きましたがすでに遠隔転移も起こしているステージIVの段階でした。入院して感受性のあったハーセプチンと言う分子標的治療剤による治療を始めましたが、例の評判の内科医は病院まで乗り込んで来て、その薬が合うかどうかOリングテストで検査すると言います。幸いこの薬は合いますと言うご託宣でしたが、その時にはまだその先生の言うことを患者さんは信じているようでした。亡くなる3日前に薄れ行く意識の中で、「あの先生の言うことを信じていた私が馬鹿だった。」と悔やみましたが時すでに遅しでした。