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馬車道にある神奈川県立歴史博物館で展示されている「富士山大噴火-宝永の「砂降り」と神奈川-」を見学してきました。
富士山の中腹にポッカリと穴が開いているのをご存知ですか? これは、いまから300年ほど前の1707年に噴火した跡です。 その時に神奈川・東京では大量の砂が降り、甚大な被害を蒙りました。
富士山は、死火山ではなく、今後も噴火する可能性があるといわれています。 そこで、富士山が噴火したらどのような影響があるかをシミュレーションする材料として、見学をしてきました。
(時系列的な状況) ●まず、噴火の前ぶれとして、大きな地震がありました。 1703(元禄16)年11月23日 元禄地震が発生 マグニチュード8.2 震源は相模湾 1707(宝永4)年10月4日 宝永東海地震が発生 マグニチュード8.4 震源は東海~南海沖 ●宝永地震のあと、富士山周辺では、地鳴りがあり、火山性群発地震が続きました。 ●富士山大噴火 1707(宝永4)年11月23日 午前10時 大音響とともに富士山・南東中腹から噴火。 11月23日-11月26日 噴火が最も激しかった。 12月8日まで、小康期と活動期を繰り返して、噴火が続いた。
(噴火の様子) ●溶岩の噴出は無かった。 ●大量のテフラ(火山から噴出された岩石、火山灰の総称)が噴出され、偏西風で東方に流された。 ●その結果、富士山の東側の駿東郡北部から相模国西部にかけて大量にテフラが降下し、被害が甚大になった。 ●逆に、噴火口に近いところでも、富士山南麓から西麓にかけての被害は少なかった。
(11月23日の江戸の状況) (1)前夜から地震が続いていた (2)午前10時ころには、戸や障子がガタガタ振動した(空振現象) (3)遠雷のような響きや地鳴りが聞こえた (4)昼頃から灰色の砂が降り始め、夕刻には黒色の砂に変わった。 (5)灯下が必要になるほど暗くなった。 (6)12月8日まで、砂降りや空振現象は続いた ただ、11月25日には、駿河吉原宿から噴火を知らせる第一報が届き、原因がはっきりしたので、江戸の人達に混乱は無かった。
(砂降りの状況) ●噴火口の東役2Kmの御殿場長坂遺跡では、火山灰が1.8から2m堆積した ●神奈川県・県央部の山沿いで60cm以上 ●横浜市沿岸部でも10cm ●現在の藤沢市羽鳥で25cm ●現在の横浜市中区根岸で25cm ●現在の逗子市桜山で7cm
(直接被害) ●噴火口から東へ11Kmの須走村(静岡県小山町)では、降下した焼石で多くの家が炎上した。焼け残った家も倒壊し、大量の降砂に埋没した ●神奈川県では、耕地、水路、道路、山野など総てが降砂で埋め尽くされ、生活と生産の基盤が破壊された ●当時の農民の主食の麦が全滅した
(二次災害) ●山野に降り積もった降砂が河川に流れ込み、川底が上昇し、洪水や氾濫の危険が高まった。 ●特に、酒匂川流域に大量の砂が流れ込み、酒匂川治水の要所の大口堤が決壊し、その後、氾濫を繰り返す暴れ川になってしまった。
(今、富士山が噴火したら) 当時と同様の風が吹けば、神奈川県は大量の降砂に見舞われ、都市が機能しなくなると考えられます。 ●高速道路、新幹線を含め、交通機関が機能しなくなり、物流や人の流れが止まる。当時でも砂を捨てるところに困ったらしいので、道路などに積もった砂を撤去するのに時間がかかると思われる。 ●降砂や飛来した石などで、電線や変電所が被害をうけ、停電の可能性が考えられます。 ●農作物が被害を受ける これらは、個人や企業レベルで備えようとしても備えることができない事態であるため、被害が発生した時に、政府や地方自治体が主力となって、いかに迅速に対応するかが問題になると思います。
この特別展は11月19日(日)まで展示されています。 入場料は大人800円です。
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