ミニマリストと、生活必需品。イタリアの発表に思うこと、のお話。
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2020/03/12
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全30件 (30件中 1-10件目) まいめもりー
カテゴリ:まいめもりー
ahead6月号が届きました。 ![]() 母ちゃんが17歳のときに初めて買ったバイクのことを 「忘れられないこの1台」で書いてマス。 母ちゃんにもセブンティーンの頃がありましてん、という証拠写真。 でも、この写真を発掘したときは、思わず吹き出しました。(汗 ![]() ↑web版でも読んでいただくことができまする。
2010/12/07
カテゴリ:まいめもりー
母ちゃん、こんなヨーロッパのバイクにも乗ってたことを
昨日の自分のブログを読み返しながら思い出した。 イタリア車、ラベルダ1200LTD。 (モノクロ写真・・ 堀さんが所有していた一台である。 一緒に行った九州ツーリングで、このバイクを駆ける堀さんの背中と 腰高のテールが、とびっきりカッコよかった。 ![]() ↑雨の九州ツーリングで、跨らせてもらった(再びモノクロ・・ ワタシには手ごわくて扱いにくそうな大人のバイクであったが、 黒にゴールドのシャープなラインと、その独特なスタイルに憧れ 思いっきり背伸びをして堀さんに譲ってもらった。 東京から母ちゃんちまで、約500キロの道のりを自走して帰るというので、 点検整備してもらった村山モータースさんの店先から、堀さんと お店のスタッフさんたちに見送られて出発したことを鮮明に憶えている。 ↑創刊されたばかりの女性誌「VIVI」 でもいま思うと、母ちゃんが憧れたのは、黒いラベルダではなく、 タフなじゃじゃ馬を容易に操る堀さんに、だったような気がする。 RIDE5 東本さんが描かれた堀さん
2010/09/28
カテゴリ:まいめもりー
ケガの遍歴をあげたらキリがなく、脊椎骨は4個ばかり
くっ付いたままで、その濃いキャラは毒舌ギャグでも、 シュールなネタでもなんでもこなす、お笑い芸人ふう。 そんな、元カワサキワークスライダーが 「ちゃんと見とくこと。」と、 自分が取材された記事が載っているという、 こんな雑誌を教えてくれた。 ![]() 「未確認走行物体」のコンテンツで紹介されているページには 現役の彼が250のライムグリーンを菅生でテストする 写真と、当時を思い起こす記者さんの手記。 カワサキ250レーサーの開発にこんなストーリーが あったとは知らなかった。 それにしても、 左下に紹介された現在の彼は、しゃべらないと クールなんだけどなあ・・(笑 彼の記事にも増して、 巻頭にあるモノコックのKR500のルポに登場する ライダーさん達とサーキットの名前が懐かしい。 WGP350ccで、片山敬済さんが日本人第一号の チャンピオンに輝いた77年は、母ちゃんがはじめてサーキットを 走った年だった。 どのバイク雑誌だったか、安良岡健さんが、自身のそれまでの コンチネンタルサーカスへの転戦記を、連載で綴って いらっしゃったのも確かこの年だったと思う。 ヨーロッパのレースに憧れていたこの頃の母ちゃん、 次号を楽しみに待って、一番に読んだ。 キヨさんや、和田さんがスポット参戦していた77年は カワサキがWGPに布石を打った年。 その翌年の78年から82年までは、飛ぶ鳥を落とすような 勢いだったWGPでのライムグリーン勢であった。 母ちゃんが中山、鈴鹿とサーキットに足繁く通っていたあの頃に カワサキは250、350で隆盛を極めていたので 強く記憶に残っている。 悲願の、500でチャンピオンを獲得することは出来なかったが コーク・バリントン、グレッグ・ハンスフォード、 アントン・マンク、と250と350のリザルトの上位に並ぶ ミスターカワサキ達の名前は、胸キュンものである。 また、2004年、20年以上の時を経て中野真矢選手が カワサキに表彰台もたらした記事もある。 巻末のキヨさんへのインタビュー「カワサキよ、頑張れ!」は カワサキに対する熱い想いが語られていて感動モン。 グリーンモンスターファンは必見ですヨ。
2010/08/31
カテゴリ:まいめもりー
![]() なんやら懐かしい香りのするこのマフラー。 この画像に思わず目を奪われたヒトは、母ちゃんと同世代かな。 当時のエキゾーストノートさえ、耳の奥深くから鮮やかに よみがえってくるのではないだろうか。 ステンでもチタンでもない集合管、アルミでもカーボンでもない サイレンサー。 これぞスチール製の「The手曲げ集合管」 キレイ!!↓ ![]() 70年代初頭、POPの手によって初めて作成された集合管は、 アメリカでも日本でもレーシーな舞台で輝かしい戦歴を残してきた。 この鉄管を、30年の時を経て今まさに手で曲げている職人さんこそ、 そのPOPの最後の愛弟子、K君である。 こだわりに拘った、この鉄製の手曲げは某有名ショップからリリースされる 直前なので、このマフラーに秘められた鳥肌モンのストーリーは ここでの紹介を控えなければならないのがちょっと残念。 K君とは、彼がドク須田さんちのメカニックさんだった時 堀さんと母ちゃんの4耐初戦のメカを努めてくれたご縁。 ↑右から須田さん、K君、母ちゃん(’80) そう、母ちゃんが決勝を1周も走ることができなかった、 「燃えたGSX400」での幻の4耐である。 厚木から、このマフラーを装着したデモ車を2台積んで彼が関西に やってくると、ぱらまた君から連絡をもらった。 「会いたい!」 須田さんとは、数ヶ月前も電話でお話をさせていただいたが K君とは、29年振りである。 なんとしても、再会を果たさねば。 ぱらまた君は、「燃えたGSX400」=「焼き入れGSX」で、 翌81年の4耐をアダチ君とペアで駆けて表彰台をゲットした レジェンドライダーである。 ![]() ↑このポーズが年代を・・・(笑 家も近いので、5年ほど前に奥様も一緒にお好み焼きを 食べながら同窓会をして、昔ムカシの写真をいただいたりした。 そういえば、81年の4耐は、ドク須田さんチームが 出走させた3台のGSXがワン、ツー、スリーフィニッシュで 表彰台を独占した伝説の年だったなあ・・ 待ち合わせ場所の某バイクショップでお茶をいただいていると、 懐かしい2サイクルの独特の排気音が、店の外から聞こえてきた。 まず母ちゃんの目に飛び込んだのが、オレンジのマッハIII。 オレンジに過反応する今日この頃(笑 ![]() ぱらまた君のお友達T君は、こ~ゆ~系のバイクばかりを 30台以上お持ちだそうで。(驚 しかも、右サイドカバーに =古レストア=と油性ペンで 書かれていて、あえてその年代の雰囲気を残したレストアである。 ピカピカじゃあないのが、イイなあ! 快適とか、速いとか、乗り心地がいいとか、そんなコトは こ~ゆ~系のバイク乗りさんには「つまらない」ことなのかなあ。 楽しそうでイイなあ。 で、 29年前とちっとも変わっていない?!K君・・だった ような気がするような。。。 母ちゃんと4ヶ月しか歳が違わない彼も、同じだけ歳を 重ねておいででシタ。(笑 K君絶賛の、デモ車1号ゼファー。 ![]() 母ちゃんも試乗させてもらったが、「ホントにナナハン?」なパワー。 アクセルを開けた分以上に、スルスルと身体を前に押し出してくれる そんな感覚。 排気音はマッハの音にかき消されてしまうほど上品ではあるが、 紛れも無いアノ頃の「The手曲げ集合管」音。 デモ車2号Z1。 ![]() この年代のバイクに跨ったのは、どの位振り? 古さを感じさせない風貌は、黒いマフラーによってさらに 迫力とスポーティさに溢れ、伝統さえも感じる。 17歳の頃、「憧れのオートバイ」だったなあ・・・ K君マフラーを装着した某バイクショップ店長のZ1。 ![]() どこから眺めても強烈なインパクト。 「某バイクショップ店長のY君の愛車、10年以上に渡ってこのマシンを 煮詰めてきただけあって細部にまでその情熱を感じ取ることが出来ます。 エンジンは年式違いのZ系パーツなどを流用し、実にしっかりとした 「組み」で仕上げられており、CRキャブとこのマフラーとの組み合わせに よって実に高次元の調律が施され、怒涛のトルクでアクセルだけでウイリー 状態にもっていくことも可能です。 クラッチを繋いだ瞬間に「おっ?」と思わせ、開ければどこからでもついて くるエンジン、車体周りも18インチ化に伴いフォークのオフセットや ワンオフのスイングアームや強化されたブレーキで固められ、乗り手と コース次第では最新のSSと渡り合えそうです。」 と、試乗したぱらまた君のインプレ。 「ぱらまたの雑記帳」←必見デス。 若さゆえ口に出せなかった当時の想いを お互い大笑いしながら暴露し合い、 そして29年振りにぱらまた君の背中を見て走った プチ同窓会も兼ねた試乗会。 本当に楽しかったデス。 ![]()
2010/06/21
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えっ、なんでこんなトコから出てくるの・・!?
6畳間のタタミの張替えをすべく、不用品の整理をしていたら、 20年くらい前に息子がよく聞いていた童謡や、 娘とお稽古で使った箏曲が録音された、たくさんの カセットテープが入った箱の中から、出てきた。 ![]() サハラ縦断の翌年、堀さんの著書「サハラと私とオートバイ」が ラジオドラマとして脚本制作され、NHKのFM局「ふたりの部屋」 という15分の番組に、5夜連続で放送されたものの録音カセットである。 早速、カセットプレーヤーを引っ張り出し、整理する手を 動かしつつ聞いてみると、なんだか懐かしいのに、とても新鮮で 何度も手が止まり聞き入ってしまう。 アルジェへ向かうフェリーのなかの喧騒や繰り返されるコーランの祈りは リアリティに溢れているし、明け方の走行中、トアレグ族と遭遇したときに 聞いたラクダの唸り声は聞き覚えのある音だった。 臨場感溢れる効果音もさることながら、堀さん、菅原父さん、 浅賀さん、ワタシの役柄を演じる4人の声優さんの表現力に、 今さらながら驚いた。 映像がないドラマにして、人物の細かな表情さえも浮かぶ 声優さんの持つ声の力に圧倒される。 カセットを聞きながら、堀さんが 「この効果音に使われているエンジン音、マルチなのよねぇ~。 ここだけ残念なのよ。」 ※サハラ縦断に使ったバイクは500のシングル。 と、ダメだしをしていたのを思い出した。 ![]()
2009/10/01
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ムカシ、ムカシの大昔は、ツナギのインナーなどなく、
母ちゃんはトランクスとTシャツの上に直接、皮のツナギを 着ていたハナシのコメントに、 あるご同輩ライダーは、下半身の脱ぎ着が楽にできるということで 女性用のパンストを履いていたと書いてくれた。 コレは知らなかった。 でも理にかなっていると思う。 もちろんツナギに裏地はついていたが、その裏地が汗をかいた肌に くっ付いて、厄介だったのである。 しかも、 今のツナギのように、脇や股、ふくらはぎにジャージ素材 などは使われておらず、ぜーんぶ皮だったツナギ。 おまけにパンチングメッシュ皮(皮自体に小さな穴が開いている) なんてなく、ツナギの中は酷く熱がこもる。 そんな、超蒸れ放題で、脱いだり着たりがありえない位、 難儀なツナギだったのに、インナーなしで着ていたなんて、 今では考えられないナア。 とにかく夏のレースは、トランクスもTシャツも 雨にあったように、汗でグシャグシャになっていた。 そのグシャグシャになったお宝Tシャツを引っ張りだしてきた。 他のスプリントレースではどんなTシャツを着ていたのか 全く憶えていないが、4時間耐久レースの時に着ていた のは絶対にコレである。 4耐初戦チームTシャツ。 前身ごろ。 ウシロ 堀さんはモチロン、須田さんも、近ちゃんもミッコちゃんも、 お手伝いしてくれたミンナも、このTシャツだったナア。。。 でも母ちゃん、このTシャツで予選を走り、スタートグリッドには立ったが、 ご存知のとおり、決勝を走っていないのヨネェ。(汗 翌年のリベンジ4耐チームTシャツ。 マエ ウシロ ![]() 目の覚めるような、日の丸カラーのピットだったんだワ。(笑 もう一枚、4耐Tシャツと一緒に、宝箱からズルズルと出てきた Tシャツ。 日中の気温63度での汗が、しみ込んだイチマイです。
2009/08/22
カテゴリ:まいめもりー
指を切ったら緑の血が出るおやじがおりまして。
お~っと、ワタシごときが「おやじ」呼ばわりなんて 出来る方ではございませんでした。 失礼いたしました。 で、 そのおじさまが今月初旬にプライベートブログを 始められまして。 (地域のSNSではブログを書いておられました) 激更新されているので、毎日のチェックが欠かせません。 その喜寿も近いおじさまは、カワサキレースシーンの 生き字引、重鎮であるthiraiさん。 母ちゃんがthiraiさんと出合ったのは、17歳の ときだから、え~っと、え~っと、 わからないくらい昔やね。(汗 thiraiさんと、カワサキ系バイクショップのオーナーが設立した レーシングチーム「神戸スーパースポーツ」に、 高校生だった母ちゃんは学校の帰りに寄り道して 「レースしたいんです。」って乗り込んだ。 セーラー服のままで。 アノ当時、お世話になった方がたくさんいたが、 間違いなく、母ちゃんがレースをするきっかけを 作ってくれた人だ。 なので、母ちゃんにとっちゃあ、一生頭の上がらない 足を向けて寝ることなんて出来ない御大です。 その御大のブログは、 確かにミドリに染まっています。(笑 Team Green
2008/12/22
カテゴリ:まいめもりー
はっぴーえんどさんからいただいたDVDを
テレビの前で居住いを正して(笑)観せてもらった。 ![]() 18歳のルーキー、和田将宏さんがプロのロードレーサーになる為 大阪から新幹線で上京するシーンから始まる物語で、 1965年に日本・テレビ技術賞を受賞した 『日本の青春 ふりむくな和田』というタイトルの ドキュメンタリー作品である。 「カワサキの和田選手」というと、若いライダーでも その名前は周知だろう。 現役を離れてからも、多方面においてレースに関わって こられたので、お世話になったライダーも多いのではと思う。 もちろんワタシ達年代のライダー、特にレースを端っこでも カジったことのある者にとっては、超憧れのライダーである。 一番印象に残るレースは78年の全日本グランプリ、 E250クラスで和田さん、キヨさん、(故)阿部さんの KR250でのワンツースリーフィニッシュ。 表彰台をライムグリーンのツナギが独占したファイナルを 18歳だったワタシは目の当たりにした。 ワタシがリアルに記憶する彼は、80年前後のレースシーンで 活躍する、アラウンド30の少し渋さを増した背中なので、 若い彼、しかも初めてのレースを追った映像が 残っていると聞き、是非観てみたいと思った。 昭和40年、開通から間もない新幹線や、街を走る重厚な車、 大阪の下町の風景などが懐かしいモノクロ映像。 鈴鹿で開催されたMFJ主催第一回アマチュアロードレースに テクニカルスポーツからエントリーする和田選手。 お椀ヘルメットにゴーグル、お決まりの黒一色ツナギで CB72を押しがけスタートする若い彼。 雨の1コーナーに消えていく数台のなかから無意識に ゼッケン11番を追う。 バックに流れるのはノスタルジックでエレクトリックな ギターの音。 40年も前の当時、どのように撮影されたのであろう、 今ならオンボード映像などアタリマエだが、S字の駆け上がり のテールを追うカメラ、そしてデグナーから立体交差をくぐり ヘアピンまでの彼のゴーグル越しの鋭い目の映像に、見入ってしまう。 テレビ技術賞はこのあたりが受賞の対象になったのであろうか。 11号車の転倒の瞬間には、思わず声が出てしまった。 ヘルメットを脱ぎピットに戻る途中、コースを走るバイクを 立ち止まって目で追う彼の悔しそうな表情が、なんとも言えず 切なかった。 彼が大阪を後にするまでの友人との日常や、若いエネルギーの 表現方法の脚色には過度な部分があることも否めないが、 彼のバックグラウンドを映像として上手く描写されていると思った。 ミスターカワサキ、ミスターヒロである和田将宏さんは タイトルの通り、「ふりむく」ことをせず、プロとしての 厳しいレースの道を歩んでこられた。 数々の戦績が今も輝いている。 エンディング映像の、前だけを見据えて故郷の町をゆく 18歳の彼。 その背中の残像が強く残った。
2008/10/27
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行ってきました、浜松スズキミーティング。 ソノちゃんとバイクで馳せ参じるツモリだったのですが、 諸事情により新幹線を選択。 うん、諸事情です。 母ちゃんが雨を降らせたから、新幹線に・・・ではないので そこのところヨロシク。←ウルトラ雨女(汗 イヤホント、週間天気予報はずっとピーカン予報だったのに、 前日イキナリ曇り予報。で、当日は早朝からアメ。 神鍋方面のミーティングに行かれたNMRの方々、 ごめんなさい。 反省してます。←スーパーウルトラ雨女(滝汗 今年の6月にソノちゃんと25年ぶり?に再会し、 コジャレたレストランでお酒を飲みながら、長話。 閉店間際までのナガバナシ。 オバサンの得意技。 その長い井戸端会議の中の話題のひとつ、 ソノちゃんがひとりで参加した去年のスズキミーティングの話を 聞くうちに、今年のミーティングになんとしてでも行きたくなった。 で、誘ってもらって、連れてってもらうことに。 指折り数えて待つこと4ヶ月。 ただ、ただ、この人に会いたかった。 横内悦夫さん。 4時間耐久のときもサハラ縦断も 堀さんとふたり、本当にお世話になった。 「住民票を移そうか。」と言うくらい二人で浜松へ通った。 横内さんのお顔を見た瞬間、26年前のワタシに戻ったような 気がした。 溢れる思い出で、胸が一杯になった。 感激だった。 ![]() サハラ完走パーティーを浜松で開いてもらったときの一枚。 掘さんもワタシも真っ黒だ。
2008/09/14
カテゴリ:まいめもりー
ご無沙汰しております・・・る。
母ちゃん、元気です。 元気にウロウロ、日々の消化作業(ナンノ?)に勤しんでおります。 「なんか書かないと、心配するやん!」 と、 これまた親切な友人からメッセージをいただきまして。(汗 なんせ不精で横着で怠慢でモノグサでズボラなもんで。 モトルネ&モトレヴォR3の続編もメンドウになっちゃいましたし。 ええ、決勝スタート時にエンジン止めて安全確認しちゃった レースですから。←バカ ココのところバイクに乗ってないしなあ。 ツーリングも行ってないなあ。。。 なのでバイクネタ枯渇中。 テンコモリの「むかしバナシ」を引っ張り出してくれば、 ネタには困らないんですがねえ・・・ そんなハナシ誰も聞きたくないっか。(笑 あっ、そうそう。 ご心配をおかけいたしましたが、肋骨6箇所ポキポキの総帥は 無事に退院をし仕事に復帰しております。 主治医からは、ふた月は事務以外の仕事はダメで、バイクも三ヶ月はダメ と、釘を刺されているにもかかわらず、 仕事は事務じゃないし、通勤にバイクを使っているし、 11月のモトレヴォもエントリーすると意気込んでいるし。 イヤハヤ、困ったオヤジです。 この困ったオヤジとの出会いを思い起こしてみましょうか。 今を遡ること25年?・・・もっと前かな。 ~っと、やっぱり、むかしバナシ。(汗 当時、ワタシがお世話になっていた神戸のバイク屋さんに総帥が来ていて 社長となにやら密談。 しばらくすると、 「○○子ちゃん、総帥がお願いしたいことがあるって。 聞いたって。」と。 社長は旧友である総帥からある事を頼まれたらしい。 初めて会った時の総帥の第一印象。 憶えてイナイ。 30代だった総帥の風貌は、記憶が曖昧なのである。(汗 うん、イケメンだったらきっとよく憶えているとオモウ、うん。(笑 総帥は関西の某TV局から、ある番組に出てくれる バイク乗りの女性を探して欲しいと頼まれたらしい。 スポーツなどで活躍するアクティブな20代の女性ひとりに スポットを当てた、週一回放送される番組で ワタシも見たことがあった。 確かブロンズの肌をした美人で格好いい 女性サーファーが出演していた週だ。 その番組に女性ライダーとしてワタシを、という訳だ。 「テレビなんて・・・」と、気後れする20代前半の 内気で控えめなハニカミ母ちゃん。←母ちゃんではナカッタ。 番組タイトルにも怖気づいていた。 ええ、今だったら 「はいはい、テレビね、テレビ。 なんなら、グリーンのアフロで 得意のピン芸でもしまひょか?」 てなノリなんですが。(笑 総帥に説得され、店の社長に押され、 自分でも『ヘルメットを脱がなきゃいいかっ。』 と納得して ロケ当日。 番組スタッフとの待ち合わせ場所は、国道沿いに移転し 新装開店して間もない頃だった総帥のお店。 新車がたくさん並んだ広い店内に「こんにちは~」と 入っていくと、先に到着していたスタッフさんの第一声が 「レーシングスーツでお願いしたいのですが。」 『・・・』 サーキット以外ではツナギなんて着ないので、 総帥のお店まで赤いツーリングジャケットとジーンズで 出向いていた。 『あのツナギで街中を走るのん?・・ヤダなあ。』 と思いつつ、乗りかかった船、 着替えるために家に戻った。 夏の暑い日だった。 汗をかきながらツナギに着替え 国道での撮影、六甲山のワインディングでの撮影 景色のいい場所でのバイクを離れての撮影、 などなど、打ち合わせをして出発。 片側4車線の国道に出て、カメラが追うロケ車の後や横を 名前がハッキリわかる派手なツナギを着て ゆ~っくり走ったり、追い抜いたり。 まるで「挙動不審ライダー」。 周りのドライバーは「???」という顔で 見ているし、後をついて来るクルマまでいた。 表六甲ドライブウェイへ通じる大きな赤いループ橋を クルクル行ったり来たり。 カメラは遠いところから撮影しているので、やはり 「挙動不審バイク」。 走りなれた六甲のワインディングはロケ車の前を行く。 指示は、 「ゆっくり走って大きくバンクして。」 『んなこと、ムリっ!』 ケーブルカーの駅へ通じる、急勾配の狭い一方通行の道を 「逆行」しろとの指示。 絵的にそのアングルが良いとかなんとか。 交通違反やし・・・とおもいつつ 逆行したとたん、ケーブルカー駐車場のオジサンが飛んできて 手を大きく振って「逆!逆!」と叫んでいる。 『わかってますって。』 完璧に「挙動不審者」。 撮影が終わり総帥のお店に戻って、釈放された。 ロケ車が帰ったとたん、番組スタッフさんに言われた無理難題を 『も~~っ、こんな無茶なこと言われて、 あんなことさせられて・・・』と 総帥に息巻いていたらしい。 ↑ ワタシはあまりよく憶えていないが、総帥は未だに 昨日のことのように繰り返す。 『美人物語』 という、タイトルの番組。(汗 後日、放送を見たが、 いくつか撮ったヘルメットを被っていないシーンが ことごとくカットされていたのは 気のせいだとオモウ(滝汗 全30件 (30件中 1-10件目) 総合記事ランキング
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