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題未亭

 ■ 日本のF1 (開催記録) 1 (1976-1989)


日本で開催されたF1GPの結果をまとめました。
上位10位までの記録を掲載しています。
ただし、日本人ドライバーが参戦している場合は、参考としてその記録もあわせて掲載しています

  2,1990年~    

1976年 F1選手権イン・ジャパン  冨士スピードウェイ(10-24 決勝) 

1976年、初めてのF1GPが日本で開催されました。開催されたのは冨士スピードウェイ。当時は日本GPの名称は他のカテゴリーで使用されていたため、「F1選手権inジャパン」の名称が使用された。
当時はチームのスポット参戦も認められていたこともあり、日本からはコジマがフォードエンジンを搭載して、コジマKE007で長谷見昌弘が参戦。星野一義は旧型ティレル007フォードでF1スポット参戦している。また、高原敬武、桑島正美もそれぞれ参戦している、
レースは大雨の中開催され、チャンピオン争いをしていたニキ・ラウダが危険すぎるとして自らリタイアをする中、星野一義が一時3位を走行した。しかし、タイヤ交換の為ピットに戻った星野はリタイアせざるを得なかった。何と交換すべきタイヤが無かったのだ。リタイアを決めた後、星野はマシンから降りることも出来ないほど悔しさで涙したという。
レースはマリオ・アンドレッティが優勝。チャンピオンシップをリードしていたニキ・ラウダがリタイアを選択したため、ジェームス・ハントが逆転でチャンピオンを決めた

また、この年のティレルP34は六輪車という得意のスタイルで日本でも大きな人気を得た。

順位 予選 決勝
Ma.アンドレッティ(ロータス・フォード) Ma.アンドレッティ(ロータス・フォード)
J.ハント(マクラーレン・フォード) P.ドゥパイエ(ティレル・フォード)
N.ラウダ(フェラーリ) J.ハント(マクラーレン・フォード)
J.ワトソン(ペンスキー・フォード) A.ジョーンズ(サーティース・フォード)
J.シェクター(ティレル・フォード) C.レガッツォーニ(フェラーリ)
C.パーチェ(ブラバム・アルファロメオ) G.ニルソン(ロータス・フォード)
C.レガッツォーニ(フェラーリ) J.ラフィー(リジェ・マトラ)
V.ブランビラ(マーチ・フォード) H.アーテル(ヘスケス・フォード)
R.ピーターソン(マーチ・フォード) 高原敬武(サーティース・フォード)
10
長谷見昌弘(コジマ・フォード) J.P.ジャリエ(シャドー・フォード)
21
星野一義(ティレル・フォード) 11位  長谷見昌弘(コジマ・フォード)
24
高原敬武(サーティース・フォード) リタイア  星野一義(ティレル・フォード)
26
桑島正美(ウィリアムズ・フォード)
予選最高タイム Ma.アンドレッティ(ロータス・フォード) 1'12"77 決勝FL J.ラフィー(リジェ・マトラ) 1'19"97

 ミニチャンプス 1/18スケールマクラーレン フォード M23 No.12/1976 J.マス
ミニチャンプス 1/18スケールマクラーレン フォード M23 No.12/1976 J.マス
 ミニチャンプス 1/43スケールマクラーレン フォード M23No.11/1976J.ハント
ミニチャンプス 1/43スケールマクラーレン フォード M23No.11/1976J.ハント


1977年 F1選手権イン・ジャパン  冨士スピードウェイ(10-23決勝)  
1977年、日本での二度目のF1GP。
前年無念のリタイアに終わった星野一義はコジマ・エンジニアリングから参戦。高原敬武もコジマから、また、高橋国光もティレルのマシンで参戦した。
レースは昨年のチャンピオン、J.ハントが優勝し、高橋国光が9位、星野一義は11位だった。
しかし、このレースでは重大な事故が起こっている。5周目、第1コーナーで接触事故が発生。立ち入り禁止区域に入ってた観客の中にマシンが突っ込み死者2名、重軽傷者7名を出す重大事故となった。コーナー進入時、ロニー・ピーターソン(タイレル)にジル・ビィルニューブ(フェラーリ)が追突、コース上で一度バウンドした後観客のなかへ突っ込むという、痛ましい事故だった。
しかし、レースはその後もレースは続行され、それは世論の強い批判を浴び、以後F1の開催は中止に追い込まれることとなった。
順位 予選 決勝
Ma.アンドレッティ(ロータス・フォード) J.ハント(マクラーレン・フォード)
J.ハント(マクラーレン・フォード) C.ロイテマン (フェラーリ)
J.ワトソン(ブラバム・アルファロメオ) P.ドゥパイエ (ティレル・フォード)
H.J.シュトゥック(ブラバム・アルファロメオ) A.ジョーンズ (シャドー・フォード)
J.ラフィー(リジェ・マトラ) J.ラフィー(リジェ・マトラ)
J.シェクター (ウルフ・フォード) R.パトレーゼ (シャドー・フォード)
C.ロイテマン (フェラーリ) H.J.シュトゥック(ブラバム・アルファロメオ)
J.マス (マクラーレン・フォード) V.ブランビラ (サーティース・フォード)
V.ブランビラ (サーティース・フォード) 高橋国光 (ティレル・フォード)
10
C.レガッツォーニ (エンサイン・フォード) J.シェクター (ウルフ・フォード)
     
11
星野一義 (コジマ・フォード) 11位 星野一義 (コジマ・フォード)
19
高原敬武 (コジマ・フォード) リタイア 高原敬武 (コジマ・フォード) 1周
22
高橋国光 (ティレル・フォード)  
予選最高タイム Ma.アンドレッティ(ロータス・フォード) 1'12"23 決勝FL J.シェクター (ウルフ・フォード)1'14"30  72周目
F-1日本グランプリ1977 F-1日本グランプリ1977  ティレルP34
ティレルP34
プラモデル
名車「6輪たいれる」
 ティレルP34 43分1
ティレルP34 43分1

1987年 日本GP  鈴鹿サーキット(11-01決勝)

冨士のF1から10年。鈴鹿サーキットにF1マシンのエキゾースト・ノートが響き渡った。注目は、この年より日本人として初のフル参戦を果たした中嶋悟(ロータス・ホンダ)。そして、そのチームメイトであるアイルトン・セナ。また、ウィリアムズ・ホンダのピケとマンセルのチームメイト同士のチャンピオン争いも鈴鹿にマチコされていた。しかし初の日本GPでPPを獲得したのは、G.ベルガー(フェラーリ)。マンセルは予選で大クラッシュを喫し、その瞬間にピケが1987年のチャンピオンに決定した。
中嶋は走り慣れた鈴鹿で予選11位を獲得している。

決勝レースでも、ベルガーは終始トップを快走。日本のF1ファンにどの走りを強く印象づけた。中嶋悟も5位に入賞。しかも、トップと同一周回での入賞は参戦以来これが初めてのことだった。A.セナも予選7位から2位表彰台を獲得し、その実力を発揮した。

順位 予選 決勝
G.ベルガー (フェラーリ) G.ベルガー (フェラーリ)
A.プロスト (マクラーレン・ポルシェ) A.セナ (ロータス・ホンダ)
T.ブーツェン (ベネトン・フォード) S.ヨハンソン (マクラーレン・ポルシェ)
M.アルボレート (フェラーリ) M.アルボレート (フェラーリ)
N.ピケ (ウィリアムズ・ホンダ) T.ブーツェン (ベネトン・フォード)
T.ファビ (ベネトン・フォード) 中嶋悟 (ロータス・ホンダ)
A.セナ (ロータス・ホンダ) A.プロスト (マクラーレン・ポルシェ)
R.パトレーゼ (ブラバム・BMW) J.パーマー (ティレル・フォード)
S.ヨハンソン (マクラーレン・ポルシェ) E.チーバー (アロウズ・メガトロン)
10
A.デ・チェザリス (ブラバム・BMW) D.ワーウィック (アロウズ・メガトロン)
11
中嶋悟 (ロータス・ホンダ)
予選最高タイム G.ベルガー (フェラーリ) 1'40"042 決勝FL A.プロスト(マクラーレン・ポルシェ) 1'43"844 35周目
 DVD F1世界選手権 80年代 -総集編ー
DVD F1世界選手権 80年代 -総集編ー
 セナ財団公認 アイルトン・セナ 1/1レプリカヘルメット(Painted by SID) /1987
セナ財団公認 アイルトン・セナ 1/1レプリカヘルメット(Painted by SID) /1987

 

1988年 日本GP  鈴鹿サーキット(10-30決勝)

ホンダは87年までのウィリアムズから、マクラーレンへとエンジン供給チームを変更。それに伴い、セナもマクラーレンに移籍をした。マクラーレン・ホンダは鈴鹿に来るまで14戦を戦い、セナとチームメイトのプロストとで13勝をあげるという圧勝ぶり。セナとプロストのタイトル争いの決戦の場として鈴鹿にやってきた。
予選はセナ1位、プロスト2位を獲得。中嶋悟(ロータス・ホンダ)も6位グリッドを獲得している。

決勝ではセナと中嶋の二人がスタートに失敗、エンジンをストールさせてしまう。しかし、下り坂に助けられ共にエンジン始動に成功する。セナは中段から猛烈に追い上げ2位まで浮上、27周目に首位を走るプロストが周回遅れに詰まった隙をついて逆転、トップでチェッカーを受け、自身初のチャンピオンに輝いた。また、同時にホンダにとって母国での初の勝利をプレゼントした。
中嶋もスタートの出遅れを挽回したが、入賞まであと一歩の7位に入った。

順位 予選 決勝
A.セナ (マクラーレン・ホンダ) A.セナ (マクラーレン・ホンダ)
A.プロスト (マクラーレン・ホンダ) A.プロスト (マクラーレン・ホンダ)
G.ベルガー (フェラーリ) T.ブーツェン (ベネトン・フォード)
I.カペリ (マーチ・ジャッド) G.ベルガー (フェラーリ)
N.ピケ (ロータス・ホンダ) A.ナニーニ (ベネトン・フォード)
中嶋悟 (ロータス・ホンダ) R.パトレーゼ (ウィリアムズ・ジャッド)
D.ワーウィック (アロウズ・メガトロン) 中嶋悟 (ロータス・ホンダ)
N.マンセル (ウィリアムズ・ジャッド) P.ストレイフ (AGS・フォード)
M.アルボレート (フェラーリ) P.アリオー (ローラ・フォード)
10
T.ブーツェン (ベネトン・フォード) M.グージェルミン (マーチ・ジャッド)
   
20
鈴木亜久里 (ローラ・フォード) 16位 鈴木亜久里 (ローラ・フォード)
予選最高タイム A.セナ (マクラーレン・ホンダ) 1'41"853 決勝FL A.セナ(マクラーレン・ホンダ) 1'46"326  33周目
ラング 1/12スケール マクラーレン ホンダ MP4/4 No.12/1988 A.セナ
ラング 1/12スケール マクラーレン ホンダ MP4/4 No.12/1988 A.セナ
 ミニチャンプス 1/43スケール ベネトン フォード B188 No.19/1988 A.ナニーニ
ミニチャンプス 1/43スケール ベネトン フォード B188 No.19/1988 A.ナニーニ
 ミニチャンプス 1/43スケール ベネトン フォード B188 No.20/1988 T.ブーツェン
ミニチャンプス 1/43スケール ベネトン フォード B188 No.20/1988 T.ブーツェン

 

1989年 鈴鹿サーキット(10-22決勝)
チャンピオンシップをリードするプロストと、セナのマクラーレン勢同士のチャンピオン争いは鈴鹿に持ち込まれた。
予選ではセナが1位、プロスト2位。そして決勝レースがスタートした。
レースは終盤となり、トップを走るプロストをセナが追いつめる。そして残り5周となった45周目、シケイン進入で開いたイン側にセナは飛び込んでいく。これに対して、プロストはドアを閉め、わずかにプロストが前に出ているものの、併走する形で2台は接触する。両者ストップし、プロストはその場でマシンを降りヘルメットを脱いでリタイアした。しかし、セナはリタイアを拒否、マーシャルに押されてシケインをショートカットする形でコースに復帰する。2台の接触の間にそれまで3位を走っていたベネトンのナニーニが首位を走っていたが、ラスト1周でこれを逆転。トップでチェッカーを受けた。
しかし、表彰台にセナの姿はなかった。就床はナニーニ。セナはシケインでの再スタートの際に通過しなかったとして、失格処分を受けたのだった。
結果プロストは3度目のチャンピオンを獲得した。
順位 予選 決勝
A.セナ (マクラーレン・ホンダ) A.ナニーニ (ベネトン・フォード)
A.プロスト (マクラーレン・ホンダ) R.パトレーゼ (ウィリアムズ・ルノー)
G.ベルガー (フェラーリ) T.ブーツェン (ウィリアムズ・ルノー)
N.マンセル (フェラーリ) N.ピケ (ロータス・ジャッド)
R.パトレーゼ (ウィリアムズ・ルノー) M.ブランドル (ブラバム・ジャッド)
A.ナニーニ (ベネトン・フォード) D.ワーウィック (アロウズ・フォード)
T.ブーツェン (ウィリアムズ・ルノー) M.グージェルミン (マーチ・ジャッド)
P.アリオー (ローラ・ランボルギーニ) E.チーバー (アロウズ・フォード)
S.モデナ (ブラバム・ジャッド) A.カフィ (ダラーラ・フォード)
10
N.ラリーニ (オゼッラ・フォード) A.デ・チェザリス (ダラーラ・フォード)
12
中嶋悟 (ロータス・ジャッド) リタイア 中嶋悟 (ロータス・ジャッド) 41周
予備予選落ち
鈴木亜久里 (ザクスピード・ヤマハ)
予選最高タイム A.セナ (マクラーレン・ホンダ) 1'38"041 決勝FL A.セナ (マクラーレン・ホンダ) 1'43"506 43周目
ラング 1/43スケールマクラーレンホンダ MP4/5No.1/1989 A.セナ
ラング 1/43スケールマクラーレンホンダ MP4/5No.1/1989 A.セナ
 フェラーリF189後期型
フェラーリF189後期型



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