2018/11/18(日)22:43
鶏肉を食べるたびに思い出してほしい物語 その九
男の腕に ROLEX パールマスター 39 86348SABLV
>>その一 から読む
それでも午前中はまだ、少しは殺しているという生々しい実感を伴ったが、午後の二時、三時となるにしたがって、疲れてきたせいか、生きたトリの首を切り落としながらも、鼻歌で讃美歌をうたったり、お気に入りの小説の一節を思い出したりして、僕はちっとも真面目に殺していなかった。
トリの方でも実は真面目に死んでいないのではないかと、滑稽な考えが時おり浮かんできたりもした。
しかし実際には、トリたちはまぎれもなく死の恐怖に直面しているのであり、頸脈を斬り損ねて悶え苦しむトリもいたし、首を斬り落とした途端にショックで卵を産み落とす者もいた。
二時半過ぎに小さな事件が起こった。
プラスチックケースから、またしても僕の手をすり抜けて、一羽のトリがふわりと外に出てしまったのである。
僕は例によってあわてなかった。
ゆっくり立ち上がると、網をとり、首を前後に振って歩くトリの背後に、そっとまわった。
虹のように見事に弧を描いた黒い尾羽が美しい。
さっと網をかぶせる。
敏捷に、ネコのように、僕はそれをやってのけた。
しかしトリを捕まえるどころか、右足が湯浸け機の電源コードにひっかかって転倒し、僕はしたたか顎を打ってしまった。
そればかりではない。
電源コードに引っ張られた湯浸け機そのものがひっくり返って、湯浸けしていた鶏肉は床に投げ出されるし、ひっくり返った湯浸け機に当たって、重ねていたプラスチックケースが全部倒れ、中にいた残り十六羽のうち、七羽のトリがケースの外に飛び出てしまった。
すぐにひっくり返ったものを元にもどし、床にぶちまけた湯は水切りで切って、排水溝に流した。
バケツで水を運び、湯浸け機の電源を入れ直した。
残る問題は、工場のなかをコケコケ啼きながら気ままに散策しはじめた、八羽のトリたちだった。
手近にいるものから捕まえようとしたが、すばしっこくて容易には網に入らない。
時間ばかりが無駄に経過していく。
その間にも床に投げ出された羽根付きのトリは、沸いた湯に戻し、血抜きをしたさかさ吊りのトリも湯に投げ込まなくてはならない。
湯浸けのタイミングも見計らわなければならない。
捕まえた一羽一羽のトリに感傷を寄せている余裕はなかった。
順調にいっても時間が超過しがちな作業である。
頸動脈をいちいち切っているゆとりもなくなり、大根から葉っぱの部分を切り落とすように無感動にトリの首を刃物で刎ねて、切り所が悪かろうと、トリが苦しんで血反吐を吐こうと、構わずさかさ吊りにしていった。
その一羽一羽の生命が一回性のものということも、永遠に失われるものだということも、もう斟酌していられなかった。
一羽が湯に浸け過ぎてダメになってしまった。
逃げた八羽のうち最後の一羽もどうにか捕まえて、立ったまま刃物で、コオコオと啼いてもがいている首を切り落とした。
トリの首だけが床にころころと転がり、首から先を失った胴体は、僕の手をすり抜けてトトトと駈けて行き、壁のそばまで来てぱたんと倒れた。
これも拾い上げ、さかさ吊りにして放血した。
屋根から、壁のむこうから、叩きつける激しい雨の音を聞いた。
床の一部に血がたまっていて、そこに大小の羽毛がこびりついていた。
足をとられ、思わず転びそうになった。
そして自分がひどく汗ばんでいることに気づき、額を拭った。
床に転がっている血まみれのトリの首を拾い上げた。
くちばしの根元から赤く血が垂れていた。
まだ温かく、生きているみたいだった。
首を切ったあとで削痩のひどさに気付いたものや、あきらかに疾病があると判断できるもの、うっかり湯に浸けすぎたものは、廃棄にまわした。
廃棄が四羽となった。
残りの一羽は明らかに削痩していたので、ケースに残して翌朝生きたまま南さんに返すことにした。
こうしてあと十分で午後四時という頃になって、ようやく六十九羽すべてを殺し尽くした。
削痩している一羽を除けば、工場の中で、生きて呼吸しているのは、僕一人だった。
廃棄物のバケツの中に、切り落とした数だけのトリの生首がある。
首から上だけの、羽根が血で滲んだトリの顔。
胴体を持たない不自然な首たちは、鶏冠の長い短いの個体差はあっても、すべてにくちばしがあり、白いまぶたを閉じているものと閉じていないものとの差はあるが、どのトリにも金色の眼があった。
ついさっきまで生きていた形跡をとどめ、それぞれに個性的な表情を持っていた。
どこかにヒヨコ時代の面影を残したまま、首だけで青いプラスチックのバケツに山をなしていた。
これだけ殺したのだと自分で言い聞かせてみるが、それで感じるのは、罪悪感というよりも達成感に近い感情だった。
タバコを吸いに、僕は外に出た。
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