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サマルカンドで朝食

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鶏肉を食べるたびに思い出してほしい物語

2018.11.18
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男の腕に ROLEX パールマスター 39 86348SABLV


>>その一 から読む



 時計は午後七時を過ぎていた。
 床に散ったふわふわした羽毛を掃き集め、ポリエチレンの四十五リットル袋に、羽毛を三袋、おびただしいトリの首と廃棄にまわしたトリの胴体をまとめてこれも三袋、それぞれ口を括ったあと、すっかり暗くなった工場のゴミ集積場へ持って行った。

 ゴミ集積場の周囲は雨でぬかるんでいた。
 ゴミ袋の陰に黒い猫がいて、そいつは僕が近寄っても逃げなかった。
 僕はこの一日でニワトリ六十九羽とイエバエ二匹を殺していたが、猫までは殺す気がないことを、猫の方でも知っているかのようだった。
 だが、ゴミを捨てて工場に帰る道すがら、体が水に濡れることを嫌がるはずの猫が、どうして雨の中でずぶ濡れになってじっと僕を見ていたのか、妙に気になった。

 工場にもどって、使用したバケツ五つと脱羽機、湯浸け機の内側を洗剤で磨き、消毒液と水で洗った。
 放血を受けた金属の溝にも消毒液を混ぜた水を流し、頸脈を斬る刃物も解体用のカッターも、消毒液で満たしたトレイの中に浸け、まな板を金だわしで洗って立てかけた。

 着ていた衛生服とナイロンのエプロン、手袋とマスクを洗濯機に突っ込んだ。洗い終わるまでに床に洗剤を撒き、棒擦りで泡を立てながら磨いて、血糊をしっかり落としたあと放水し、よく水を切って、それから洗い終わった衛生服を搬入口の倉庫に干した。

 かすかな声が聞こえた。
 プラスチックケースの中からだ。
 削痩が顕著で処理しなかった一羽が、まだそこに生きていた。

 暗い倉庫の中でケースのフタを開けて、僕は生き残ったトリを抱え上げ、その痩せた赤い背中の羽毛に鼻を埋めた。
 雨あがりのアスファルトに似た、蒸れたようなにおいがした。

「生きていてくれてありがとう」

 こんなことを屠殺者の僕がつぶやくのは、滑稽だろうか。

 ぴくり、ぴくりと体を動かすあたたかいトリをケースに戻し、フタをした。
 明日になればこいつは養鶏場に返される。
 そこでどんな目に遭うのか、僕は知らない。

 すっかり消灯してから事務所に行き、旧式のタイムカードを機械に差し込んでカチャンと鳴らす。
 これで今日の仕事は終わりだ。

 洗面所で血まみれになった手や顔を洗った。
 工場内では気にならない血のにおいが、清潔な洗面所の中では、ひどく生々しい。
 どんなに石鹸でこすっても、においは落ちることがない。
 工員の僕は名刺を持ち歩かないが、この血のにおいが、職業をあらわす僕の身分証明書だ。

 廊下の突き当りの扉が開き、もうとっくに帰ったと思っていた白髪頭の工場長が、洗面所に入って来た。
 僕は黙ってお辞儀をした。
「やあ、遅くまでご苦労さん。西田くんが熱心なおかげで助かってるよ。
 ところで入院していた山岡くんが、明日ようやく退院だそうだ。知っていたかね?」

 僕は顔を上げた。

「本当ですか」

「ああ本当だとも。明日退院したら、事務所に顔を出すと言っていたよ」

 ちょっとイヤな予感がした。

「これで出荷量を増やせるよ。なんせ需要はあるからね。一日に百や二百は――」

「その判断は、少し待った方がいいと思いますよ」

 ハンドタオルで顔を拭いて、工場長をそこに残したまま、僕は洗面所を出た。

 工場の中とは違って、窓の多い事務所の廊下では、外に降る雨の様子が、木の葉や枝のざわめきで知ることができた。
 においを嗅ぎ取ったのか、蝿が一匹、僕のまわりで羽音を立て体にとまろうとする。
 手で追い払った。
 工場の中なら蝿叩きをもって追いかけまわすが、事務所の中の蝿まで殺す気はない。

 これは仏心ではないし、血まみれの僕が、仏であろうはずもない。

 明日退院する山岡が、ただ挨拶するためだけに訪ねて来るのか、別の用事を言いに来るのかも、僕にはわからない。
 わかっているのは、明日もまた、自分があの密閉された中でトリを片っ端から殺すだろうということだけ。

 雨は、明日には上がるかもしれない。
                  (了)




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最終更新日  2018.11.18 22:47:59
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2018.11.17



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男の腕に ROLEX パールマスター 39 86348SABLV


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 地球生命体友愛協会も、市内の動物愛護団体もやって来なかったので、ゆっくりタバコを味わうことができた。
 雨は止む気配もなく、敷地の中の水溜まりを広げていた。
 日が射せば、賑やかに啼き騒ぐクマゼミの声も、聞こえない。
 一所懸命働いているのに、なんだか叱られているような雨の降り方だった。

「生きるとは他の動物の命をいただくこと」と新人時代の女工場長が言っていたのを思い出す。

 所詮はそれも人間中心の言葉だ。
 言葉の上だけで成立する独善的な文法だ。

 出荷先の老人ホームでは、鳥料理を提供しても、義歯では肉が硬いだの、味が苦手だのといって、大半が残滓となって廃棄される現実を、僕は知っている。

「食物連鎖とは、命のリレーです。トリから人へ、命をつないでいくことが、私たちの仕事です」

 女工場長はそうも演説していた。
 だが生殖能力のない高齢者にトリを提供して、命のリレーもないもんだ。

 どんなに社会貢献をうたおうと、綺麗事を並べようと、トリを殺すのはただ工場の売り上げのためだ。
 お金に換えられない命を、値段の付く商品に変えることが僕の仕事だ。

 いまの白髪頭の工場長は、そんな綺麗事は口にしない。
 もっと出荷量を増やして採算をとらないと経営が立ち行かないはずなのに、経営会議一つ開かない。
 あれはあれで良心的なのかもしれない。

 敷地の門の外から元気な子どもの声が聞こえた。
 子どもはうたっていた。

「勝ってうれしい花いちもんめ、負けてたのしい花いちもんめ」

「ちがうよ、負けてくやしい、よ」

 子どもは二人いるらしい。
 それから母親らしい女性の声が聞こえた。
 しゃがんでいる僕の位置からは、三つのカサの色がぼんやり見えるだけだ。
 三色のカサをぼんやり見送っているうちに、なんだか人の世への恋しさに、目頭が熱くなってきた。

 消毒ガスを自分に噴射して工場に入り、出社拒否中の検査員の名前とハンコで一通りの検査をしてから、股引のように吊るしたトリの解体、中抜き作業にかかろうとした時、ぶらりと白髪頭の工場長が姿を見せた。

「いやあ、今日は残念だったねえ。だが気を落とさないでくれたまえ。午後から新たに求人募集をかけておいたから」

「工場長、くれぐれも」
 僕はまな板の上にカッターを置いて、工場長に体を向けた。
「いいですか、くれぐれも、人を増やしてから、出荷量を増やしてください。人を増やすのが先です。でないと今日みたいに――」

「一日に七十いけそうだね。効率が良くなったよ。これぞ努力の成果だ。これからも――」

「無理です」

 大声で工場長の言葉を遮った。

「まず先に増員です。さもないと――」

「わかってるよ、西田くん」

 工場長は片手をあげた。

「安心したまえ。今度の求人コピーは時代にマッチしたものを用意したんだ。わんさか人が入ってくるよ。きみが嬉し涙をこぼす姿が目に見えるようだ」

 そして工場長は、ズボンのポケットから、折りたたんだ求人広告の原稿を取り出し、広げて見せてくれた。

『急募! 工場スタッフ募集。かわいいニワトリたちにかこまれた、アットホームな職場です。未経験者歓迎。動物好きな人、ペットを可愛がる人、大歓迎! 時給九〇〇円以上。勤務シフト相談可』

 そこには文字だけでなく、ニワトリのかわいいイラストまで添えてあった。
 僕はめまいをおぼえた。

「わかるかね、西田くん。殺伐とした工場のイメージをいかにあたたかいイメージに変えるか、ここがポイントだ。なにせ生き物に係わる仕事だから――」

「生き物を一羽残らず惨殺する仕事ですよ」

 僕は訂正した。

「動物好きな人やペットを可愛がる人が、この工場で喜んで働くんですか」

「『自分は選ばれた』という意識が大事な点だよ、西田くん。動物好き、これは自分のことだ、そう感じる読者は多いはずだ。そこから先は、面接で選り分けたらいいんだよ」

「まあいいですよ、僕がとやかく言うことじゃない。それよりも」

 僕は広告の下のあたりを指さした。

「時給九〇〇円以上とは何のことです。どうして未経験の新人の方が、僕より給料が高いんですか」

「きみにしても増員が必要だろう? それともこの先もずっと一人でやっていくつもりかね?」

 一瞬でも、このオヤジのことを、良心的などと考えたことを後悔した。

「人間には夢が必要だよ、西田くん。この工場から、毎日一万を超える出荷がある日を夢見てごらん。その日のきみは、工場長だ。もちろん正職員に登用されているし、ボーナスだって支給されるようになっているかもしれない。だから今日も明日もがんばって――」

「もういいから出て行ってください」

 工場長をつまみ出して、ようやくトリの解体にかかった。

 いまからどんなに急いだところで、定時には終わらない。
 もちろん、残業代なんかつかない。

「人間には夢が必要だよ」

 そうだ。夢だ。
 工場長が、僕の正職員登用を予定といわず夢といった。
 僕に、その夢が見られるだろうか。

 いったい僕に、迷ったり悩んだりする権利があるだろうか?

 やる気が失せてきた時には、とにかく終わらせることだけに集中する。

 腿肉、もみじ、手羽先、手羽元。かつて温かく血が通い、しなやかに動いていた筋肉たち。
 胸肉、ささみ、レバー、砂肝。

 ところで僕はこの工場の正規職員になりたいのだろうか?

 カッターを操る手がふと止まった。

 天井をたたく雨の音が、かえって沈黙を深める。

 頬に流れる汗をぬぐい、耳を、雨の音にあずけた。
 僕はずっと、ここでトリを殺しつづけるのだろうか?

 二十九羽分の解体と、肉の仕分けを済ませ、翌朝の出荷のために、それぞれ仕分けした肉や内臓のトレイを、冷蔵庫に保管した。



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最終更新日  2018.11.18 22:43:26
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2018.11.16



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 それでも午前中はまだ、少しは殺しているという生々しい実感を伴ったが、午後の二時、三時となるにしたがって、疲れてきたせいか、生きたトリの首を切り落としながらも、鼻歌で讃美歌をうたったり、お気に入りの小説の一節を思い出したりして、僕はちっとも真面目に殺していなかった。

 トリの方でも実は真面目に死んでいないのではないかと、滑稽な考えが時おり浮かんできたりもした。

 しかし実際には、トリたちはまぎれもなく死の恐怖に直面しているのであり、頸脈を斬り損ねて悶え苦しむトリもいたし、首を斬り落とした途端にショックで卵を産み落とす者もいた。

 二時半過ぎに小さな事件が起こった。
 プラスチックケースから、またしても僕の手をすり抜けて、一羽のトリがふわりと外に出てしまったのである。

 僕は例によってあわてなかった。
 ゆっくり立ち上がると、網をとり、首を前後に振って歩くトリの背後に、そっとまわった。

 虹のように見事に弧を描いた黒い尾羽が美しい。

 さっと網をかぶせる。
 敏捷に、ネコのように、僕はそれをやってのけた。

 しかしトリを捕まえるどころか、右足が湯浸け機の電源コードにひっかかって転倒し、僕はしたたか顎を打ってしまった。

 そればかりではない。
 電源コードに引っ張られた湯浸け機そのものがひっくり返って、湯浸けしていた鶏肉は床に投げ出されるし、ひっくり返った湯浸け機に当たって、重ねていたプラスチックケースが全部倒れ、中にいた残り十六羽のうち、七羽のトリがケースの外に飛び出てしまった。

 すぐにひっくり返ったものを元にもどし、床にぶちまけた湯は水切りで切って、排水溝に流した。
 バケツで水を運び、湯浸け機の電源を入れ直した。
 残る問題は、工場のなかをコケコケ啼きながら気ままに散策しはじめた、八羽のトリたちだった。

 手近にいるものから捕まえようとしたが、すばしっこくて容易には網に入らない。
 時間ばかりが無駄に経過していく。
 その間にも床に投げ出された羽根付きのトリは、沸いた湯に戻し、血抜きをしたさかさ吊りのトリも湯に投げ込まなくてはならない。
 湯浸けのタイミングも見計らわなければならない。
 捕まえた一羽一羽のトリに感傷を寄せている余裕はなかった。

 順調にいっても時間が超過しがちな作業である。

 頸動脈をいちいち切っているゆとりもなくなり、大根から葉っぱの部分を切り落とすように無感動にトリの首を刃物で刎ねて、切り所が悪かろうと、トリが苦しんで血反吐を吐こうと、構わずさかさ吊りにしていった。

 その一羽一羽の生命が一回性のものということも、永遠に失われるものだということも、もう斟酌していられなかった。

 一羽が湯に浸け過ぎてダメになってしまった。
 逃げた八羽のうち最後の一羽もどうにか捕まえて、立ったまま刃物で、コオコオと啼いてもがいている首を切り落とした。
 トリの首だけが床にころころと転がり、首から先を失った胴体は、僕の手をすり抜けてトトトと駈けて行き、壁のそばまで来てぱたんと倒れた。
 これも拾い上げ、さかさ吊りにして放血した。

 屋根から、壁のむこうから、叩きつける激しい雨の音を聞いた。

 床の一部に血がたまっていて、そこに大小の羽毛がこびりついていた。
 足をとられ、思わず転びそうになった。
 そして自分がひどく汗ばんでいることに気づき、額を拭った。

 床に転がっている血まみれのトリの首を拾い上げた。
 くちばしの根元から赤く血が垂れていた。
 まだ温かく、生きているみたいだった。

 首を切ったあとで削痩のひどさに気付いたものや、あきらかに疾病があると判断できるもの、うっかり湯に浸けすぎたものは、廃棄にまわした。

 廃棄が四羽となった。

 残りの一羽は明らかに削痩していたので、ケースに残して翌朝生きたまま南さんに返すことにした。

 こうしてあと十分で午後四時という頃になって、ようやく六十九羽すべてを殺し尽くした。
 削痩している一羽を除けば、工場の中で、生きて呼吸しているのは、僕一人だった。

 廃棄物のバケツの中に、切り落とした数だけのトリの生首がある。
 首から上だけの、羽根が血で滲んだトリの顔。

 胴体を持たない不自然な首たちは、鶏冠の長い短いの個体差はあっても、すべてにくちばしがあり、白いまぶたを閉じているものと閉じていないものとの差はあるが、どのトリにも金色の眼があった。

 ついさっきまで生きていた形跡をとどめ、それぞれに個性的な表情を持っていた。

 どこかにヒヨコ時代の面影を残したまま、首だけで青いプラスチックのバケツに山をなしていた。

 これだけ殺したのだと自分で言い聞かせてみるが、それで感じるのは、罪悪感というよりも達成感に近い感情だった。

 タバコを吸いに、僕は外に出た。



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最終更新日  2018.11.18 22:43:45
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2018.11.15



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 工場の外でタバコを吸いながら、土砂降り雨を眺めていた。

 無心に仕事をしていたせいか、休憩でほっとした途端、いろんな考えが勝手に、それも一斉に脳内で湧きはじめる。

 考えといっても、その一つ一つはたいしたことじゃない。
 この人生に何も期待はないな、とか、
 このまま齢だけとっていくのはちょっと悲しいな、とか、
 いったい世界中で一日にどれだけのトリが処理されていくんだろう、とか、
 自分がトリでも今この工場で処理されるのはイヤだな、とか、
 美人女優がコマーシャルで頬張っていたフライドチキンはどこの工場で絞めたトリだろう、とか、

 そんな愚にもつかないことばかりだ。

 僕には急いで解決すべき問題が何もない。

 家族もいない。彼女もいない。同僚も友達もいない。

 それらを変える意思もないから悩みもない。

 僕は幸せなんだろうか。

 見覚えのある白い軽トラックが工場の門をくぐって来た。
 南さんの車だ。
 午後の肉を引き取り、午後のトリを搬入するのだ。

 夜明けにしたのと同じように、雨の中を軽トラックを誘導し、搬入口までバックさせた。

「ほら、誕生日プレゼント」

 車を降りるなり、南さんは、コンビニのポリエチレン袋に入った弁当を、僕に差し出した。

「え?」

「どうせ食べてないんだろ。ざるうどんでいいか」

「あ、はい。大好物です」

 袋の中にはトレイに盛られた冷やしうどんのほか、ペットボトルの緑茶まで入っていた。
 お礼を言おうとして、声が詰まった。

「おい、泣くなって、こんなところで」

「すみません。感激してしまって、つい」

 涙をぬぐって、さっそく弁当のフタをとった。

「うどん一つで感動するんだからなあ。可哀想なやつだ」

「うどん、うまいです」

 実際、コンビニのうどんは腰もあり、喉越しもよかった。
 世界でいちばん旨いうどんだと思った。

「欲しいものも、必要なものも、何もないという人生は、実に幸せなものですね」

 うどんをすすりながら、しみじみと僕は言った。

「ああ、だから社会は人間の幸福を望まないんだよ。西田みたいに物を欲しがらないやつばかりだったら、経済が停滞するからな」

 うどんを食べ終わって、生きたトリ入りのプラスチックケースを、南さんと僕とで工場に搬入した。
 そのあと、空になったケースと、処理した肉のうち、道の駅に置く分を、南さんに渡した。

「さすが西田だな。あれだけ悲鳴をあげていたのに、文句も言わないでちゃあんと片付けてるじゃないか」

 南さんは感心したように言った。
 それで、そういえば文句を言う機会を失っていたなと僕は気が付いた。

 伝票を受け取り、南さんの軽トラックを見送ってから、また衛生服を着込み、消毒ガスを自分に噴射して、僕は工場内に入った。

 脱羽機にこびりついた羽毛をこそぎ取り、湯浸け機に注水して温める。

 と、その時僕は一匹の蝿に気がついた。
 衛生第一の食鳥工場だから、蝿はいただけない。
 かといって殺虫剤などは言語道断である。

 蝿叩きで葬るしかない。

 仕事の内には入らないが、後まわしにもできない。
 早速、蝿叩きを持って退治にかかる。

 だが、蝿を追っているうちに、どうやら一匹ではなく二匹いることに気がついた。
 どちらもイエバエだ。

 蝿はふと消える生き物だ。
 実際に消滅してしまうわけではないが、目で追う早さよりも早いスピードで方向転換するため、姿をつい見失ってしまう。
 その飛行技術の鮮やかさには、いつも舌を巻く。

 廃棄用のバケツにとまったところをパチン、とやる。
 一匹退治に成功。

 それにしても、あの鮮やかな飛行に用いる道具は、この薄っぺらい翅二枚だけという事実に、畏敬の念すら抱く僕はおかしいだろうか。

 蝿に限らない。蛾の仲間では、こんな形の翅で飛べるはずがないと思えるような者もいて、実際にはそれで見事に飛んでいる。
 飛ぶという移動行為をもっとも会得している生物は、鳥類でも蝙蝠でもなく、昆虫ではなかろうか。

 昆虫が飛ぶようになったのは、四億六千万年前のデボン紀だという。
 脊椎動物がようやく水から陸へ上がった頃、昆虫はすでに空を飛んでいたことになる。

 脊椎動物で初めて空を飛んだ翼竜が、約二億年前の三畳紀。
 アーケオプリテクス(始祖鳥)の登場が、一億五千万年前のジュラ紀であることを思えば、歴史の差は明白だ。

 蝿のあの華麗な飛行技術は、他の追随を許さない、四億六千万年の歴史に磨き抜かれたものだといえる。

 何が言いたいのかといえば、四億六千万年の歴史を相手に、僕は蝿叩き一つで立ち向かわなければならないということだ。

 ようやく二匹目の蝿を退治して、手を洗い直してから、三畳紀前期に現れた主竜形類の子孫であるトリの処理にとりかかった。



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最終更新日  2018.11.18 22:44:04
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2018.11.14



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 トリの解体作業に入る前に、厚生労働省食鳥処理衛生管理者という堅苦しい肩書きの者による、食鳥検査が行われる。

 これは処理したすべてのトリを定められた基準に沿って検査するもので、それができるのは食鳥処理衛生管理者の資格を持ったスタッフだけだ。

しかしこの工場には、スタッフは僕一人しかいない。

ではどうするかといえば、出社拒否をつづけている例の検査員の名前とハンコを使って、僕自身が検査をする。

 いわゆる名義貸しだ。
 それ以外に方法があるだろうか。

 実際僕も検査員の資格を持っているので、検査の要領くらいはわかる。
 出社拒否してもう半年にもなる男をクビにしないのは、こういう事情のためだ。

 検査が終われば、いよいよ解体と「中抜き」に入る。

「中抜き」とは要するに内臓を取り出す作業であり、故障する前のチェーンはこの工程までを全自動で行っていた。
 チェーンが成仏した今は包丁を使って自分でやるしかない。

 包丁で作業する場合、解体と中抜きは並行して行う。
 それ以外の方法を僕は知らない。

 まず、まな板の上でトリの背中を上にして、短いカッターという刃物で十字の切り込みを入れ、さらにひっくり返して脚の付け根に切り込みを入れる。

 脚を引っ張って開き、カッターで腱を切り骨をはずし、胴から脚を引き剥がして皮を切断する。

 骨のくぼみにあるソリエスの部分もこそぎ取る。
 残ったもう片方の脚も同じように胴から引き剥がす。

 切り取った脚の、踵の関節をカッターではずし、踵から下の部分、「もみじ」と僕らは呼ぶけれど、この「もみじ」を引っ張ると、白い腱が糸みたいになって腿肉から抜けて行く。

 そして残った腿肉の、骨と腱の間にカッターの刃先を這わせて脛骨を抜き取れば、「腿肉」の完成だ。

 今度は翼の部分だ。

 これは翼の根元からカッターでくり抜いて引き剥がす。
 さらに上腕骨から先の関節を折って、腱を切って引き剥がすと、「手羽元」と「手羽先」が同時に完成となる。

 さて残った胴体は、今度は腹を上にしてカッターでまっすぐ切れ目を入れ、大きく開く。そして胸筋と骨との間に刃先を這わせ、肋骨から剥がせば「胸肉」そして「ささみ」が一対ずつ取れる。

 胴体に残ったのは、肋骨に囲まれた内臓だけとなる。
 ここからが「中抜き」だ。

 先ほど左右の翼をくり抜いたところに穴ができている。
 そこに右手の指をつっこんで、左手で首をしっかり持ち、めりめりと骨を剥がしていくと、焦げ茶色の肝臓と黄土色の膜、その頂点にある小さな心臓が剥き出しになる。

 オレンジ色の小さな卵も、メスならぽろぽろと出てくることがある。
 これを手でぶちぶちとはずしていく。

「キモ」「心臓」「タマゴ」そして黄土色の膜に覆われた砂嚢、つまり「砂肝」だ。

「砂肝」は縦にカッターを入れて、蝶々のように開き、水洗いしたあと、黄土色の膜を、ちょうどシールを剥がすようにして剥がす。

 これで完成。

 内臓を取り出したあとの骨は「鶏ガラ」として出荷する。

 と、簡単に述べたが、僕は包丁を扱うのが得意ではなくて、はじめの頃は一羽解体するのに二時間くらいかかった。
 しかし今はその二時間で、四十羽を解体しなくてはならない。
 午後には残りの三十羽が工場に搬入されてくるのだ。
 スピードと集中力とが要求される。
 そしてこんな時に限って、余計な電話がかかってくる。

 まな板の上にカッターを投げて、電話をとると、工場長からだった。

「中野さん、辞めるそうだよ」

 やっぱりな。僕は息をついた。
 工場長は未練たっぷりな声で、せっかく応募してくれたのになあ、と呟いた。

「西田くん、きみが早く結婚してくれるとよかったんだけどなあ」

 はい? 何のことかわからず、僕は聞き返した。

「僕のせいなんですか?」

「わかってるよ。工場へ連れて行くまで、あの子はあんなにやる気をみせていた。なのにきみと二人きりにした途端、こうなったんだからね。
 まあ男と女のことだ。若さゆえの過ちは、私にも経験が――」

「なに言ってんですか!」

 電話を切って、手を洗って消毒して、ふたたびまた板の前に立った。
 時間とのたたかいだ。

 だが「たたかう」とは何に対してだろう?
 カッターを扱いながら、いつのまにか頭の中ではそんなことを考えていた。

 新人の頃、僕は生き物を機械的に屠殺し加工していくことに、何も感じなくなっていく自分とたたかっていた。

 仕事とはいえ「殺す」という重大な行為に、痛みを感じつづける自分でありたかった。
 そのたたかいを、いつのまに僕は放棄したんだろう。
 六十羽、七十羽と夜明け前に騒いだのも、殺さなきゃいけない命の数を問題にしたのではなく、処理する手間の数と時間とを重大視したからだ。

 しかし、毎日朝から晩までトリを殺し、肉や内臓を切り分けている僕が、今向かい合わなければいけない問題とは何だろう?

 だがそうした思索に心を預けられたのも、壁の時計を見るまでだった。
 南さんが肉を引き取りにくる時間が、もう間近に迫っていた。

 僕は何も考えられなくなり、ただひたすら白い股引のようにぶら下がっているトリの死骸から、脚をもぎ取り、翼をもぎ取り、骨を剥がして内臓を抜き、銀色のトレイごとに肉のパーツを分別して並べていった。

 ただ一瞬、ちらりと、僕がたたかうべき敵は、あの工場長ではなかろうかという考えが、なぜか頭の中をよぎった。




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最終更新日  2018.11.18 22:44:23
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2018.11.13



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 予定の午前一〇時を三〇分も遅れて、ようやく四〇羽のトリを処理し終えた僕は、工場の外に出て一服した。

 雨脚は相変わらず強かった。

 外は蒸し暑かったが、厚い衛生服を脱ぐと、それでも涼しく感じられた。
 顔を洗い、灰皿のある場所で雨をしのぎながら、タバコに火をつけ、ふうっと煙を吐いた。

 夜明け前からの緊張が解け、解放感に包まれると、ついぼんやりしてしまった。

 気のせいか、昔よりタバコがあっという間に短くなるように思う。
 一本に使われる葉っぱの量が減ったのではないか。

 夢でも見るように、頭が勝手に考えることを関心もなく眺めていると、水溜まりを踏む音が聞こえた。
 顔を上げると、五十代くらいの眼鏡をかけた男性と、それより若い三十代くらいのひどく痩せた男性、そして小学生の低学年としか見えない男の子の三人が、それぞれカサをさして僕の前に立った。

 タバコの火を消すかどうか迷ったが、すぐに、相手が素性を名乗れば消す、名乗らなければ消さないと決めた。

「私たちは市内の動物愛護団体の者です。失礼ですがあなたはこの工場の方ですか」

 九時前に電話をかけてきた者とは違う人物らしい。

「そうです。そしてここはこの工場の敷地です。立ち入り許可は取りましたか」

 五十代くらいの男は、少し怯んだ表情になった。

「あ、あとで事務所にも顔を出します。失礼ですがあなたのお名前は」

 しかしどいつもこいつも、どうしてこう無礼なんだろう。

「自分から名乗ったらいかがです。僕の休憩時間は短いし、あなたたちとお話しなんかしたくないんです」

「君、そんな口のききかたはないだろう」

 三十代くらいのひどく痩せた男が抗議した。

「動物を殺しちゃダメだ」

 小学生くらいの男の子も叫んだ。

「ボク、今日は平日だよ。学校は?」

「関係ないでしょう」

 三十代くらいの痩せた男が、片手で男の子を自分の後ろに庇った。

「私たちはすべての生き物の生きる権利を守る運動をしております。
人が生きるために動物の命を犠牲にすることは、私たちも理解しているところですが、しかしあなたがたのお仕事は、残酷にもニワトリに栄養を過剰に与えて歩けないほどに太らせ、あるいは心臓疾患に至るまで苦しめた挙句、その肉を搾取するという、命の尊厳を無視した残忍極まりないものであり、私たちはこうした心無い行為に断固抗議するものであります」

 五十代くらいの男が演説口調になると、三十代くらいの痩せた男も隣で頷いている。

「それってチャンキー種のことでしょう。ここで扱うのは国産銘柄鶏ですよ。定められた生産基準に沿って五十日以上広いところで自由に運動させる、いわゆる平飼いで育てられたトリです。それに育てているのは養鶏所であってここではありません」

「責任転嫁だ」

 三十代くらいの痩せた男が叫んだ。

「動物を殺しちゃダメだ」

 小学生くらいの男の子も叫んだ。

「ボク、学校は?」

「関係ないでしょう」

 三十代くらいの痩せた男が、片手で男の子を自分の後ろに庇った。 

「だいたいそんなの 会社の経営者に訴えることであって、僕みたいな工員に言ったってはじまらんでしょう。なんの権限もないんだし」

 僕はしゃがんだまま、タバコの火をもみ消した。

「しかし実行犯はあなた方だ」

 三十代くらいの痩せた男が僕を指さした。

 それから三人で事務所の方へ歩いて行った。
 僕も立ち上がって工場の中へ戻った。
 実行犯。
 トリから見ればその通りだった。




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最終更新日  2018.11.18 22:44:43
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2018.11.12



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「あの、どちら様で――」

「命の叫ぶ声に、耳を傾けろ。
 どんな命も一回きりということを、いったいおまえたちは考えたことがあるのか。
 おまえたちは魂のあるものを、ただの肉と見做し、機械的に生き物を惨殺する。
 神の罰が当たるぞ」

 僕はため息をついた。

「わかりました。悔い改めます。それであなた様はどちら様でしょう?」

「わかっただと? それは工場をたたむということか?」

「どちら様ですか」

 怒気をこめて三度目に訊ねると、相手は少し押し黙った後、

「地球生命体友愛協会の田中だ」

 と名乗った。
 いま咄嗟に思いついたのではないかと疑いたくなるような名称だ。

 パートタイマーの西田ですと名乗ってから、時給八五〇円のパートタイマーに工場をたたむだの業種を変更するだのという権限はないことを説明した。
 そのうえで、工場長に相談してみますとだけ答えて電話を切った。
 それから事務所に電話を入れて、わけのわからん外線を工場に転送するなと事務員に怒鳴った。


  九時少し前に、白髪頭の工場長が、白い衛生服に身を包んだ一人の婦人を伴って工場に現れた。
 その婦人はなるほど僕より年上らしいが、聡明そうで、知的な眼差しが印象的だった。

 僕の目にはその婦人の背中に後光が射して見えた。

 婦人は中野あつ子と名乗り、これからよろしくお願いしますと礼儀正しく挨拶した。
 僕も笑顔でお辞儀をした。
 が、視線が合ったとたん、中野さんが喉の奥からヒッと悲鳴を上げた。

「ははは、西田くんの顔が血まみれだから、驚いたんだね。まあこういう仕事だから、すぐに慣れるよ」

 工場長は暢気に笑ったが、僕はイヤな予感がした。

 工場長が去ると、中野さんはちらりとプラスチックケースに視線をやり、困ったようにうつむいた。
 顔が少し青ざめている。

「じゃ、じゃあ、仕事を説明しますね」

 僕は、吊るしてあるトリの脚を金具から外し、工場での作業の流れを説明し、トリの持ち方、吊るし方、頸脈の斬り方を実演して見せた。
 中野さんの顔はますます青ざめていった。

「やってみますか?」

 ケースからトリを一羽取り出してさかさに吊るし、中野さんに刃物を渡した。
 中野さんは困った表情で刃物をみつめ、それでも僕の指示にしたがってトリの首を反らせ、頸骨の下に刃物を滑らせた。
 その途端、トリが暴れて、血が飛び散り、中野さんの頬を汚した。
 この時の中野さんの悲鳴ほど大きな声を、この仕事をしていて僕は聞いたことがない。
 僕はすぐに中野さんから刃物を取り上げて、悶え苦しんでいるトリの首を斬り落として絶命させた。
 血が細い滝となって金属の溝に落ちて行く。
 中野さんはしばらくその光景をみつめていたが、やがて一歩後ずさり、また一歩後ずさりして、壁際まで下がると、そこにしゃがみこんでしまった。

「すみません。ちょっと、その――」

 中野さんは無理に笑おうとしたが、それは笑顔になる前に凍りついた。

 それきり中野さんは両手で顔を覆い、しばらくは口もきかなかった。
 僕は黙々とトリの喉を裂いて放血させ、湯に浸けた。
 脱羽機のやかましい音が工場内に響いていた。

「毎日こんなことして平気なんですか」

 振り返ると中野さんが顔を上げていた。
 その口調には質問というより非難が込められていると感じられた。

「まあそうですね、これが仕事ですから」

「お仕事……。そうですね」

 中野さんは、悲しげな表情で薄く笑った。

「きっとみなさん、そうおっしゃってたんでしょうね。アウシュビッツでもプノンペンでも、オキナワやソンミ村でも。これはお仕事だからと――」

「いったいなんの話をなさってるんです?」

 僕は振り返った。中野さんは力なく立ち上がった。

「ちょっとお手洗いへ」

 僕は工場から出て行く中野さんの背中を見送った。予感通り、中野さんはそれきり帰って来なかった。





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最終更新日  2018.11.18 22:45:03
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2018.11.11



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 脱羽機から取り出した首のない裸のトリを一列に吊るす。
 その光景はまるで物干し竿に吊るした、白い股引みたいだ。

 そこから機械で取り除けなかった毛根や羽毛を手作業で取り除く(こればかりはチェーンが健在だった頃も手作業だった)。
 そして重さを量ってメモにとる。
 集中力の必要な作業だが、その間にもトリを吊るして首を斬り落とし、放血させて湯に浸けて、という作業は並行して行わなければならない。
 なにせ時間は限られている。

 そんなふうにケースの中でコケコケ啼いている生きたトリたちをすべて、午前一〇時までに無個性な肉の塊と三桁ほどの数字とに変えていくのが最初の工程だ。

 かつて僕がまだ新人だった頃、工場長は若い女性で、彼女は僕にこう言った。

「食べるということは、他の生き物の命をいただくということ。
どれほど大きな犠牲の上に私たちが生かされているか、この仕事をとおして、肌身に感じてほしいと思っています」

 だが、実際には、そんな尊い犠牲に思いを馳せることができたのは、せいぜい最初の二日か三日くらいだった。

 日を追うごとに個々の命を永遠に奪っていくという意味自体が、だんだん希薄になっていき、家電製品を組み立てていく作業と変わらない感覚に陥っていくことのほうを、僕はひしひしと肌身に感じた。

 そして命の意味の代わりに、効率と数値とが、口うるさく僕に要求しはじめた。

 とはいえ、殺すことに無感覚になっていく自分の心に、僕自身恐怖をおぼえることがある。
 そのたびに僕は初心に返って、生き物を殺すことの意味に踏み止まろうと意識した。

 たとえば今日ここまでで、苦しんで死んでいったトリのうち最初の一羽が、結局湯浸けが過度になり、食肉には適さなくなったほか、別の二羽もなぜか放血がうまくいかず、結局この三羽は廃棄しなければいけなくなったが、こういう三羽の死をどう捉えればいいかという問題に立ち止まって、考えたりした。

 ただ時間は待ってくれないので、死について、屠殺することについて、殺しながら考えなければならなかった。

 それは生きる意味について生きながら考えることとは、似ているようでまったく違う。
 トリに聞いたわけではないけれど、トリだって絶対死にたくないに決まっているのだ。

 そんなことを考えながら生きたトリを吊るしていると、突然電話が鳴った。
 僕は携帯電話を持っていないから、鳴ったのは工場の電話だ。

 時計を見る。午前八時三〇分。
 工場長が出社する時刻だ。
 湯浸けを同時進行していたので電話など無視である。電話はやがて切れた。

 と、ふたたび電話が鳴り始めた。
 湯からトリを取り出して、脱羽機に抛り込み、電話に駈け寄って受話器をとった。

「忙しいところを邪魔してすまないねえ、西田くん」

 案の定、工場長の声だった。

「いやね、昨日ショートホールでグリーンを回ったんだがね、パー四でね。それが君、ティーショットで―」

「すみません工場長、忙しいので切ります」

 受話器を置きかけたが、工場長はまだ何か喋っていた。

「電話をかけたのはほかでもない。今日九時から新入社員が入るんだよ。そう、工場だ。ずっと増員を希望していただろ?」

「本当ですか?」

 僕の声は上ずった。自分でもわかる。

「本当だよ。少し齢のいった女性だが、はきはきして、感じのいい人だ」

「ありがとうございます、工場長」

 僕は僕とトリしかいない工場の中で、何度もお辞儀をした。

「だから今日は七〇羽にしたんだよ。ずっと君には一人作業を押し付けて、迷惑をかけたからね。この先も、どんどん工員を増やしていくつもりだよ」

 受話器を置くと僕は跳び上がり、ガッツポーズをした。
人を増やしてくれと、どれだけ訴えてきたことだろう。たった一人増えただけではあるが、ようやく願いが叶ったのだ。

 これで歯医者にも行ける、これで有給休暇もとれる、これで郵便局にも銀行にも行ける、喜びがふつふつと湧いてきた。

 チェーンが故障していなかった頃、工場には二十人くらいの工員が毎日従事していた。
 こんな小さな工場でも日に千羽、二千羽と処理し、出荷していた。

 今はすっかり状況が変わってしまった。

 道の駅の特産品コーナーと市内の一部のデパートの精肉店、そして契約を締結した老人ホームを除けば、出荷先の多くを大手食鳥工場にことごとく奪われた片田舎のこの小さな工場では、工員は検査員含めて四人。
 うち一人は出社拒否(検査員なのでクビにはしないで、名前とハンコだけ使っている)、
 二人は病休で、その内一人は入院している。
 実質的な工員は、これまでずっとパートタイマーの僕一人だ。

 故障したチェーンは修繕費用も捻出できないため、もはや電源を入れることもない。
 十二年前に巨額を投じて設置されたこの超大型設備も、今ではただトリを吊るすための大げさな物干し竿でしかない。

 僕は九時に現れるであろう新人を心待ちにしながら、讃美歌を口ずさみ、生きているトリの首を次々に斬り落とした。

 また電話が鳴った。今度は工場長を待たせないよう急いで受話器をとった。

「おまえたちのやっていることは、動物虐殺だ!」

 工場長ではなかった。ぜんぜん知らない男の声だった。




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最終更新日  2018.11.18 22:45:33
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2018.11.10



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 だが、なにせ相手は生き物である。
 しかも知能の高い鳥類である。

 隙あらば逃げようと画策するし、攻撃もしてくる。

 ニワトリは飛べないというけれど、はばたきながら浮力を使って逃げれば、ヒトの脚ではそう簡単には追いつけない。
 新人の頃は、逃げたトリを捕まえるのに、一時間以上追いかけまわしたこともある。

 実際、この時も、プラスチックケースからトリの首をつかんで引っ張り出そうとして、スルリと逃げられてしまった。
 あっとあわてた時、さらにもう一羽がケースから飛び出した。
 追いかけようにも、一方では湯浸け作業も進んでいて、目を離すわけにはいかない。

 二羽のトリは元気に工場内を歩きまわる。
 コオ、コオ、コオ、コオ、と首を縦に振りながら、時々床を嘴でつつき、優雅に脚を進める。

 トリの歩く姿というのはなかなか優美なもので、とくに鶏冠の大きなオスドリは、胸を張り、堂々とした歩き方をする。

 こういう場合、優先するのはもちろん湯浸けのトリの取り出しだ。

 ケースにフタをした後、工場内を散策するトリはしばらく放っておいて、脱羽機の中のトリを取り出して、チェーンの金具に吊るしていく。
 脱羽機を空にしてから、羽毛の抜け具合を見て湯浸け機の中のトリを取り出し、脱羽機に抛り込む。

 それから逃げたトリの捕獲にとりかかる。

 気配を察して、ばたばたと逃げるトリ。

 大事なのは慌てないことだ。
 虫取り網を大きくしたような柄の長い網をとって、埃を立てないようにゆっくりトリに近づいていく。

 トリは逃げる。

 こちらは関心なさそうな顔で近づいて行くが、トリにはすぐに気取られる。

 なにしろヒトと違って、トリの眼は横についている。
 全方向に視界が広がっているので死角がない。
 なのでトリが何かに関心を向けた、その一瞬の隙を突くしかない。

 十分に距離を詰めて、素早く網を振り下ろす。
 この辺の勘は経験が必要だ。

 網の中でトリは羽毛を散らして暴れる。
 まず一羽捕獲成功。
 首をつかもうとすると、網の内側からトリは僕の手を鋭い嘴で突いてくる。
 最後の渾身の攻撃だ。
 だが怪我をすることに怯えてはならない。
 落ち着いてトリの首をつかみ、網ごと運んでチェーンの金具に吊るす。
 そして残りの一羽の捕獲にかかる。

 鳥類は現存する恐竜だと僕は思っている。

 トカゲやカメといった現生爬虫類は、恐竜とはあまりに隔たりが大きい。
 たとえば恐竜は、ほぼ一日中活発に行動していたと考えられているが、これは変温動物の爬虫類には不可能なことだ。

 恐竜は恒温動物か、それに似た体内メカニズムを獲得していたと思われる。

 それに現生爬虫類は手脚の付き方からして、恐竜とは大きく違う。
 トカゲもヤモリ、カメ、カメレオンやイグアナに至るまで、爬虫類は体幹の側面から垂直に手脚が突き出ている。
 これに対して恐竜の手脚の付き方は鳥類や哺乳類と同じだ。

 霊長類と海藻類とが根本的に違うように、恐竜と爬虫類とは根本的に異なる生き物だと僕が考える根拠がこれだ。

 だが、恐竜一般と現生鳥類との相違は、一部の骨の構造くらいのもので、それも獣脚類の羽毛恐竜ともなれば、差異を探す方が難しいくらいだ。

 僕の説が正しければ、僕は毎日工場で、恐竜を処分していることになる。

 そして世界中の人間が、恐竜を食べているのだ。
 照り焼き、焼き鳥、目玉焼きにオムレツ、チキンナゲット、唐揚げ、とり天、親子丼。みんな恐竜料理だ。

 どうにかこうにか、逃げ回っていたもう一羽のトリも捕獲する。
 コウー、ココココ、と抗議しながら暴れるトリを、さかさにしてレールの金具に吊るす。
 右手に刃物を握り、最初に逃げたトリの頸動脈に当てた。
 斬り方が悪くてトリがケエーと啼いた。

 ごめん、と謝り、もう一度斬り直す。

 血が僕の顔に飛び散った。
 斬り落としたトリの首は、白くて薄いまぶたを閉じていた。

 うっすらと涙がにじんでいる。

 臙脂色の羽毛を深紅に染めた胴体のほうは、わさわさと翼を打っていたが、放血が進むとそれもやがて止まった。
 僕は斬り落とした首をポリバケツに投げた。

 残りの一羽は吊り下げられたまま、黒目がちな眼をぎょろぎょろと動かしていた。

 僕を睨んでいるのか、なつかしい風景に思いを馳せているのか、トリの心は読み取れない。

 握った首から温かさや震えが手に伝わってくる。
 その首をざっくりと斬って、ポリバケツに投げる。
 細い血の滝が、ジョロジョロと音を立てて、金属の溝に落ちて行く。

 図書館で読んだ本によると、現生生物で鳥類にいちばん近い生き物は、ワニなのだそうだ。



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最終更新日  2018.11.18 22:45:52
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2018.11.09



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 左端のトリから作業を始める。

 鶏冠と背中がくっつくように、トリの喉を反らして折り曲げ、長い刃物を当てる。
 ヒトの骨でいえば頬骨だろうか。

 その下あたりにある頸動脈を長い刃物で、一息に斬る。
 正確に頸動脈を斬らないと、トリは長時間悶え苦しむことになってしまう。もう一度刃物を滑らせて、トリの首を頸骨ごと切断する。
 頭のない胴体をそのまま吊るして放血させれば、トリは次第に絶命する。

 ところが今日は、まず最初の一羽で失敗した。

 頸動脈を切るつもりが、刃先が深く入りすぎて頸骨に当たり、のこぎりのようにガリガリとひいて、ようやく首を切断した。
 しかもそれが三羽つづいた。
 トリは苦しそうにくちばしをあけ、舌を伸ばした。

 血があふれ出して手袋や衛生服をまっ赤に染め、それでも骨が切れないので二、三度首を持ち直して、ガリガリと刃先をひいた。
 トリは脚の指を目一杯開いて痙攣させ、金色の眼のなかの黒い瞳が、問いかけるように僕を見つめた。

 本来、こうした作業はチェーンが全自動でしてくれるはずだった。
 電気ショックを与えてトリを失神させ、チェンソーで首を切り落とし、湯に浸けて、羽毛を毟り――。だがなにしろ故障しているし、出荷数の減少で、うちの会社は修理する意欲すら失っている。
 手作業でやらなけなければどうにもならない。

 斬り落とした頭部は、工場によっては利用するところもあるらしい。
 たとえば鶏冠はコラーゲンの塊である。美肌に良いからと好むご婦人もいるという。
 でもうちの工場では何もしない。廃棄用のバケツに抛り込むだけだ。

 つづけて五羽を吊るし、頸動脈を斬り、頭部を切断する。――が、またしてもここで僕はミスをやらかしてしまった。
 首を斬り取られたトリの体は、すぐに脱力するわけでない。たいていはしばらくはばたきつづける。
 血を噴きながらバタつくので、血飛沫が散る。
 まともに返り血を浴びることもある。
 僕はその血を頭から思いきりかぶってしまった。

 しばらく目が開かなかった。
 どんなに気を付けていても多少は血で汚れるものだが、まともに血を浴びるとやはりいい気はしない。
 それが始業早々となると、かなり不快な気分になる。

 舌打ちをして、四羽目、五羽目と首を斬り落とす。

 放血を受ける金属の溝がジョロジョロと音を立てる。
 仕事を始めたばかりの頃は、この生臭い血のにおいに貧血をおこしそうになった。
 今はなんともない。人はこういうことにも慣れるのだ。

 放血の終わったトリから湯浸け機の中に抛り込む。
 チェーンに備え付けの湯浸けタンクは高性能だが、何度もいうようにチェーンそのものが故障してプラグも抜いている状態なので使えない。
 使用するのは昔から使っている、石臼状の古いやつだ。

 湯は七〇度に設定している。
 湯に浸けるのは、毛穴をひらき、羽毛を抜き易くするためなのだが、湯に浸けておく時間は、短すぎると羽毛が抜けないし、長すぎると肉が煮えてしまう。
 この時間を見極めるのは結構職人芸だと僕は思っている。
 平均すれば一分くらいだろう。

 湯からトリを上げると、今度は昭和の二槽式洗濯機の脱水槽に似た脱羽機にかける。
 これも昔から使っている古い遠心分離機で、チェーンが登場した時にもういらないと思って倉庫の奥に投げていたものだ。
 内側にゴムの突起が無数についていて、湯を噴出するノズルが上部に装着してある。
 この脱羽機の底面が回転することで、中に入れたトリも勢いよく回転し、羽毛が抜けていくという仕組みだ。

 その間にも、プラスチックケースからトリをつかまえては五羽ずつさかさに吊るし、頸を斬り、ジョロジョロ放血させる。




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最終更新日  2018.11.18 22:46:14
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