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サマルカンドで朝食

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本の紹介

2018.07.07
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カテゴリ:本の紹介
今回の豪雨。「西日本豪雨」と呼ばれはじめたようですね。
昨日は僕も、まったくひどいめにあいました。
今も、大勢の方が豪雨被害の中にあることをおぼえます。
被災なさった方、救助を待っておられる方、泥や水、ゴミの流入で家屋に甚大な被害を受けられた方々に、神さまからの速やかな御救いと癒やしがありますよう、お祈りいたします。

昨日の朝から、出勤時も、帰宅時も、帰宅してからも、NHKラジオ第一放送(北九州 540kHz)で災害ニュースばかり聴いていました。
この時間になって、ようやく昨日の豪雨の疲れや緊張がほぐれてきたように思います。
七夕の今夜。門司に雨は降っていません。久しぶりに網戸にして部屋の空気を入替え、甘いインスタントコーヒーを飲みながら、TRIO R-1000 でラジオNIKKEI(6.055MHz)の軽音楽番組など聴いて、ほっとした時間を過ごしています。



 
さて最近読んだ小説。ガッサーン・カナファーニー著「ハイファに戻って/太陽の男たち」
5月の中山茅集子先生の講演会で少し話題にのぼり、会場にいた人たちも当然のように読んでいて、質疑応答などあったのですが、僕だけがそれを知らず、話についていけなかったので、恥ずかしく思い、遅まきながら読みました。



ここに描かれた悲劇は、パレスチナだけでなく、今やスーダンに、イエメンに、シリアに、ミャンマーにと、世界中に起こっています。しかしラジオニュースでそれを知識として知ったとしても、対岸の火事として捉えてしまいがち。そうではなく、自分の住む世界の現実として受け入れるためにも、この小説はお勧めです。

ところで昨日と、今日と、青空文庫で吉川英治の「三国志」を読んでいます。
この作家の作品、いつも読み始めたらやめられなくなるのですが、それはいったいなぜなのか? 
めちゃくちゃ会話が多いし、時々講談調になるし、情景描写は少ないし。ーーなのに読者は、五感をフルに使って物語を味わい、ハラハラしたり、爽快になったり。
願うらくは、僕もこんなふうに、読者を夢中にさせたいと思うのだけれど、いったい僕の文章と何が違うのか? いくら読んでもわからない。
わからないから、いい物が書けないのだと思うと、悔しいのだけれど。

しかし作家の仕事なんて、目の前のテキストがそのまま答えであるはず。
焦らず、諦めず、
舌なめずりして、盗んでやろう。

 7/7 受信レポート 受信機 TRIO R-1000
 JST 21:30-22:00 ラジオNIKKEI 6.055MHz SINPO 44344
 今日は比較的良好に受信できました。






最終更新日  2018.08.17 14:28:57
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2018.06.05
カテゴリ:本の紹介




「面白いし、お勧め!」の本。もういっちょ。

フレデリック・ベグベデの「¥999」

タイトルからして、人を食ってます。

原題は「99F」(99フラン)。ユーロが始まる前、フランスの通貨は「フラン」だったのですが、「99F」は、安売り商品を意味したんですね。

主人公オクターブは広告代理店に勤務している才能あるクリエーターで、この虚偽と欺瞞に満ちた世界にあって、クビになることを夢見ている。
・・・もうこの設定からしてめちゃくちゃユニークですが。

成功しながら奈落の底に落ちていく主人公の悲哀を、これでもかというくらいアイロニーを効かせて描いた小説。
楽天BOOKでは、検索しても出てこなかった。売れなかったのでしょうか。ずいぶん昔に読んで、相当面白かった記憶があるのですが・・・。






最終更新日  2018.06.05 23:09:25
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カテゴリ:本の紹介
このブログでやりたいと思っていたことの一つ。
「この本、面白かったし、お勧め!」
というのを紹介するコーナー。

その一発目。
オーガステン・バロウズ「ハサミを持って突っ走る」




育児能力のない母親のもとを離れ、母親の主治医の家族と共に暮らすことになった主人公のオーガステン少年。ところが、主治医もその家族も、みんな強烈ではちゃめちゃな人ばかり。そんな中でオーガステンは、自分なりのでたらめな選択をしながら、とにもかくにも突っ走って生きていく。
作者の実話であり、この奇妙奇天烈な登場人物もすべて実在。にわかに信じ難い話だけれど、
この弾けまくった感覚に、性格のおとなしい僕などはすっかり圧倒されました。

これは特に「自分でも個性派の小説を書いている」という人と分かち合いたい一冊。
読んでもまったく感動しません(笑)

あまりにぶっ飛んでいて、普段、川端康成とか伊藤左千夫とか読んでいるような人がこれ読んだら、頭がショートして発狂すること請け合い!(いらねえ






最終更新日  2018.06.05 22:34:56
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2018.02.04
カテゴリ:本の紹介
昼間から寝込んでしまった。
日曜日、教会学校の間はなんともなかったのに、一般礼拝が始まる頃から頭痛が始まり、礼拝が終わった頃には、頭が割れるようだった。
うちの奥さんが持っていた頭痛薬をもらって、礼拝後の役員会に臨んだが、耐えられなくなって中座させてもらった。
牧師や役員仲間の、僕の体調を気遣う言葉が温かく、有り難いと思いながらも、こうなってはどうにもならない。家に帰り着くと、トイレで胃液を吐くだけ吐いて、布団を敷いて横になった。

この冬は時間の余裕がなくて、インフルエンザの予防接種を受けていない。
それでいて、インフルエンザ患者の多い、近所の内科へ行ったのが前日のこと。軽率だったと悔やんだが、義母の定期診察に付き添える者が僕しかいなかったのだから、仕方がない。

しかし寝ているだけでは芸がない。
YouTubeで、俳優の西田敏行さんが、太宰治の「富嶽百景」を朗読する動画をみつけて、目を瞑ってこれを聴くことにした。
梶井基次郎好きで、梶井の短編小説を朗読する音声ファイルをいくつも iphone に入れて、歩きながら、運転しながら、よく聞き流しているのだが、今回はそれの太宰治バージョンである。

ところで、これが滅法面白かった。
手足の冷えを感じ、布団の中で震えながら聴いていたのであるが、頭の中は、甲府の宿屋の窓から眺望する富士の雄姿が浮かび上がる。
僕の郷里の作家、井伏鱒二先生も作品中に登場される。

同じ小説でも、文字を目で追って読むのと、他人の朗読を耳で聴くのとで、味わいも変わる。耳で聴く場合、どうしても朗読者のペースに合わせることになる。目で文字を追うときには、自分の好きなように、ざっと読んだり、あるいは読み飛ばしたりするようなところも、朗読ではそうならない。そのせいか、より細かに情景を思い浮かべることができる。
反対に、気になる言葉があっても、線を引くわけにもいかず、どんどん先に進んでしまう欠点もある。
だが何よりも、太宰の文章のセンテンスが意外に長いことや、同じ述語を二度くり返すところ、何かを評価するときに使う言葉が、砕けた、短くて簡素なものであること、そのくせ、これ以上適切な言葉はないだろうと思えるほど、ピタリと決まることなど、耳で聴くことで、鮮明に現れてきたのは、発見だった。

作品の半分くらいを聴き終えた頃、薬が効いてきたのか、頭痛も吐き気も止まって、うちの奥さんが用意してくれていたセブンイレブンの唐揚げ弁当を全部たいらげるまでに恢復していた。
どうやらインフルエンザではなかったらしい。

布団の上に上体を起こし、「富嶽百景」の残りは、本で読んだ(正確にはkindleで読んだ)。
この作品の、最後のエピソードをご存知だろうか。

太宰が甲府の峠の宿を去ろうというその前日、垢抜けした若い女性が二人、雪化粧をした富士山に感動して、そばにいた太宰に、富士をバックに写真を撮ってくれと頼むのである。
太宰がファインダーを覗くと、二人の女性は、澄まし顔でポーズを取る。その表情を見ると、可笑しくなってしまって、ピントが合わせられない。
そこで、澄まし顔でポーズを取る若い二人をレンズから追放して、富士山だけを大きくパチリと撮るのである。
「はい、うつりました」
「ありがとう」
そして太宰はこう文章をくくる。

「うちへ帰つて現像してみた時には驚くだらう。富士山だけが大きく写つてゐて、ふたりの姿はどこにも見えない」

こういう芸術家の悪戯が、可愛いというか、カッコいいというか。ついつい痺れてしまうのだ。






最終更新日  2018.08.17 14:32:05
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2013.09.21
カテゴリ:本の紹介
晴れてましたので、ちょっと取材に出かけてきました(*^_^*)

看板.jpg

あ、いえ、この看板の池を取材したわけじゃありませんけど(笑)



取材といっても、暑い中、住宅地を汗かいてひたすら歩いただけで、
なーんも楽しくも珍しくもありませんでした。

「ふーん、こんなところかー」って。

まあ、ずっとそれを知りたかったから、目的は達成しました。






・・・。

満月過ぎましたし、

そろそろ公表しますと、










仕事辞めます。







先月のはじめ、義父が亡くなりまして、

まあ、それ以前に、この春、介護福祉士になって、めでたく職場で正職員に採用されたのですが、
思っていたより給料が安くて。
というか、今までとほとんど変わらなくて。

4年前の面接で、経営者がなんといったか、正確には憶えてないのですが、
なんとなく、正職になったら、もっともらえるようなことを聞いたような気がしていて、
それをアテにしていたのが、蓋を開けてみたらぜんぜんそうじゃなくて。

あれ、と思っていたところで、義父が亡くなって、

つまり、それと同時に年金の支給も途絶えたわけで、

入ってくる収入が減ってしまう結果、現在の二重生活が続行不可能となりました。



門司の家から通える職場に変わらなくてはならない。
中津のアパートからは、もちろん撤退。


で、・・・まあ、そういうわけでして、
昨日、退職届を提出しました。

手放すとか、捨てるとか、そういうアクションは、
月が欠け始めてからのほうがいいと思って、

満月が過ぎるのを待ってました。



一つだけ、小倉にある医療法人が、採用してもいいといってくれていて、
まだ口約束ですけど、
それをアテにしての今回の退職です。

無事、その法人の経営する福祉施設に就職できればと祈っています。




正直、すっごく不安です。




転職が成功したのは、最初のコンピュータ会社から運送会社への時だけ。


それ以降は、職場を変えるたびに、どんどん追い込まれて行くのがはっきりわかって、

  転職=人生下降線

みたいな図式が頭の中に出来上がってしまって。

だから今の職場を定年まで・・・と、思っていたのに、またこんなことになって。



誰のせいでもない、自業自得。
けど、自業自得の人生を送れるのって、ずいぶん幸福なことですよね、考えてみれば。


それに、正直に、勤勉に、こつこつ働いていれば、
生きることくらい、なんとでもなるという思いもあります。



最近読んだ本で、そう思わせてくれたのが、これ。



もうずいぶん前に流行して、映画にもなった小説。

この中で、他人の赤ん坊を誘拐して、育てながら逃亡生活を送る指名手配犯の希和子(前半の主人公)は、名前も素性も偽って、東海では新興宗教組織に入り込んだり、瀬戸内の小豆島ではボロアパートに住み込みラブホテルのベッドメイキングをしたりしながら、細々と暮らしていくのですが、

そんな生活で子供と二人、小さな幸福を紡いでいく姿が、逞しいというか、愛おしいというか、

妙に勇気を与えられるんです。


もちろん希和子はやがて極悪犯罪者として逮捕されるし、子供は無事、経済的になんの不自由もない崩壊家庭に戻されて、不幸に育っていくのですが、

いずれにせよね、
仕事さえあれば、なんとかなるか、ってね。


作家を目指そうってやつが、この小説をそういう読み方してええんか、てのは、まあ問い詰めないことにしてもらって(笑)



昔、自分で書いた小説の一節に、

「曲がり角が怖いのは、実際に曲がってみないと、曲がった先の景色が見えないところだよ」

というセリフがあって、そんなの当たり前なんですけど、



曲がる前から、不安に潰れそうになる僕と、
曲がった先にはいいことばかりあると信じきっているマヒワとの差は、大きいなあ。


見習わなきゃ!






最終更新日  2018.08.17 15:29:23
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2013.09.17
カテゴリ:本の紹介
専門学校のレポートを一つ書き上げて、ハーブティーを飲みながら一休憩。

お庭で採れたセージとローズマリーとステビアをブレンドしたハーブティー。

・・・ちょっと不思議?な味です。





お久しぶりです。もずです。お元気でしょうか。



今日は十三夜。

仕事帰りに夕方、スーパーへ買い物に行ったのですが、東の青空に、上ったばかりの白い月が浮かんでいて、それがとっても明るかったものだから、しばし見惚れました。

明後日は、旧暦の8月15日。仲秋の名月ですね。




いえ、別に何も書くことありません。月がきれいだったなあ、と。それ書きたかっただけです。







ふとね、

ファンタジーのセンスを身に着けよう、と決心して、このブログにもその決意を表明して、
あれからどれだけ読んだかなーと思って。

ざっと数えてみましたところ、


意外なことに、まだ10冊程度しか読んでないのですね。
うんざりするほど読んだ気がしてましたけど。



そのうち5冊が、菅野雪虫さんの作品。
図書館で借りて読みました。






「天山の巫女ソニン」シリーズは、僕がリクエストをして5巻ともそろえてもらったんです。

で、その後、僕以外に借りる人がいるか、司書の人に訊ねてみたところ、ほとんどいないって(^_^;)

それで、申し訳ないなーと思っていたのですが、

先日図書館へ行ってみると、なんと上の外伝が2冊増えていました(笑)



もちろん速攻で借りました。これでシリーズ全巻がそろったわけですが、
でも誰が読むんだろ。僕以外に(笑)




今年は雨つづき、日照つづきで、木も野菜もまいったみたい。
柿も栗も、熟れる前にみんな実が落ちてしまい、
茄子もトウモロコシも不作。

でも、先日門司に帰ってみると、
植えていた大根が芽を出してました。

あと春菊も。



ジャガイモは、まだだったなー。






最終更新日  2018.06.05 21:05:21
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2013.05.04
カテゴリ:本の紹介
異動して3日。まだ作り笑顔しかできませんが、
近い将来には心から笑えるよう、力いっぱいがんばっております。


で、今日はお休み。うちの奥さんとマヒワは今日から京都旅行なのだそうで、
玄関でお見送りしたあと、
こまごまとした用事を一つずつ片付けていきました。



こんな本読みましてん。




邦訳されたヤスミナ・カドラの作品では一番新しいのがこれじゃないのかな?
だけど買ったのは去年。それからちまちまちまちまと読み進めました。

僕がもともと遅読というものあるけれど、
この小説は、ドストエフスキー文学みたいに結末求めてがつがつと読んだりしないで、
いつまでも続くドラマみたいに、ゆっくりのんびり読むのが合っている感じ。

トーマス・マンの「魔の山」なんかそうですよね。
ページを開いて、そのドラマの中に入って行って、その世界をじっくりじっくり楽しむという、ね。
一応恋愛小説っぽいし。
ヤスミナ・カドラの名を世界的なものにした名著「カブールの燕たち」の2倍くらい厚いし。

とはいえ書いたのがヤスミナ・カドラですから、当然イスラム小説です。
甘いだけの恋愛小説であるわけがなく、タイトルが仄めかす通り、
アルジェリアの虐げられてきたムスリム貧民たちが、宗主国のフランス相手に武装蜂起して、ついに独立を勝ち取るまでの血腥い時代を背景に、
やはり名作「テロル」の時と同じく、立ち位置のあやふやな経済的豊かなイスラム教徒の青年が、友人や養母たちユダヤ、キリスト教徒と、同胞の貧しく不遇で過激なイスラム教徒たちとの狭間に立って、
どちらの味方もできず運命に虐げられてしまう、たいへん無惨な伴奏の中での、胸の痛む恋愛の物語でした(主旋律はあくまで恋愛ね)。

アルジェリアといえば、去年ガス田を開発していた日本企業の邦人が人質となり殺されてしまう事件がありましたね。
世界はやっぱり悲しみに満ちているんだなー。



ところで、

この作品の中で、時々僕の好きなカミュの名が挙がっているのが気になっていたのですが、

訳者藤本優子さんのあとがきに、ヤスミナ・カドラが子供のころ、カミュの小説を読んで、自分もフランス語で執筆する小説家になるんだと決心したというエピソードが紹介してあって、
思わず膝をたたいてしまいました。

そうだろうーって(笑)
ぜったいカミュの影響受けてるよ。この人は(翻訳しか読めない僕がいうのもおかしいけど)!


おとといが下弦の月。
次第に欠けていく月の下、小説を読むのはいいもんですね。




「おれには人生なんかなかった。ただ本があっただけだ」





・・・いえ、なんでもありません(笑)






最終更新日  2018.06.05 21:07:22
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2013.02.09
カテゴリ:本の紹介
明日は新月ですねー。

介護福祉士の国家試験もなんとか終わりまして、のんびり過ごしています。

こんな本読みましてん。



この著者のクリスティーン・ブライデンという人、オーストラリアの首相・内閣相省の一次官補とかいう政府の役職についていた40代で認知症を発症しまして、
その後認知症患者から見た世界観、人と社会、本当に必要な支援のあり方などを、世界中飛び回って訴えてこられた方で、

認知症介護の在り方、つまり介護する側から書いたテキストとかガイドとかは今までさんざん読んできたけど、もうまったく違うんですね。

認知症を患ってる方の書いた本というのはたいへん貴重だし、しかも命がけで書いたのがわかるんもんだから、読んでてぞくぞくしました。


「私の魂としての自己は、過去も未来もない「今」という時に存在している。仏教の「刹那」という言葉は、このように時間の枠から離れた存在感覚を捉えたものだ。万物が「今」という場所に存在することを理解すれば、時間の外に在られる神がなんであるかをより深く知ることができる」

「私たちにわかったことは、「自分が何を言うか、何をするかが私なのではなく、私はただ私である」ということだ。自分が誰かは魂が決めることだ。認知と感情は人生で変化するが、私たちの本質である魂は神の手の内にある。私の魂は、私が母の胎から生まれる前に知られており、私たちが塵になったのちもずっと知られつづける」


認知症発症をきっかけに、一途なキリスト教信仰に生きるようになった著者だけれど、読んでいると「魂」の問題を中心に、その世界観の構築をかなり仏教の教えに助けられているような印象を受けました。人間の表面を覆う認知、感情の自己が狂い、あるいは破壊されていったとしても、その奥に真の自己というものがあって、これはいささかも破壊されず、神はひたすらこの真の自己に働かれる、という認識にたどりついておられるようです。

そしてこれを読んで改めて感じたことだけれど、「介護福祉法」にも「障害者自立支援法」にも日本の福祉関係法には「個人の尊厳」という言葉がやたら登場するけど、この「尊厳」
という言葉はもともと西洋からの輸入品で、本来は「神に嘉せられるもの」として重んじられるべきという考え方に拠っているんじゃなかろうか? つまり尊厳の根拠はイエス・キリストの愛ということなんじゃなかろうか?・・・とか思うんだけど、どうだろう?


介護職員としての資質向上を目指して買った本だったのに、なぜか宗教的な学びになってしまった一冊でした。






最終更新日  2018.06.05 21:08:21
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2011.03.08
カテゴリ:本の紹介
昨日の夕方。

保育所からの帰り、夕日を浴びて細波をてらてら輝かせていた小川をのぞいて、娘のマヒワが言った。

「川って、マッサージ機みたい!」





・・・・・・ぜんぜん意味がわからないもずです。おはようございます。



とても気持ちのいい朝です。
けさも保育園に行きがてら、マヒワと同じ小川をのぞいてみました。ちょっと肌寒い晴れた空の下、カルガモが二羽浮かんで、この川は狭くて窮屈だという顔をして泳いでいました。

庭の芝生に栗の木がくっきりと影を落とし、隣の屋根にセキレイがとまって、朝の空を見上げていました。

twitterでは、クリスチャン同士が「きょうも大切な神の家族に沢山の祝福がありますように」と互いに挨拶を交わしていて、こんな挨拶もいいと思いました。

せっかくのお休みですし、朝のコーヒーをいれて、読みかけだった「風にのってきたメアリー・ポピンズ」の残りを読みました。



童話なのかもしれませんが、子供向けというより、子供の心を持った大人向けの物語だという気がします。
そもそもメアリー・ポピンズが何者であるのか。魔法使いだとは書いてありません。魔法の国から来たとも書いてありませんし、子供たちに不思議な世界を見せてくれますが、魔法で積極的に何かをするわけでもありません。
怒りっぽくていつも不機嫌で、でも子供たちは、そんなメアリー・ポピンズが大好きで、目が離せない・・・。
これはやっぱり大人に向けて書いたファンタジーじゃないのかな。

学生の頃、クラブハウスの近くに「メリーポピンズ」という深夜までやっているジャズ喫茶がありました。
店内は薄暗く、いつも大音量で、ジャズやボサノヴァが流れていて、
お酒の飲めない私は、そこでいつもアップルティーを注文していましたが、これが甘くておいしいんです。
で、原稿用紙をテーブルにひろげて、閉店まで書き物をしたりして過ごしてました。

そのジャズ喫茶の店長が、どうして店の名を「メリー・ポピンズ」にしたのか。
きっとこの物語が、子供の心を持った大人向けの話だと、気付いていたからではないか。今になってそう思います。
たしかにマイルスとかコルトレーンとか聴きながら、この物語を読むのは、すごくシャレている気がしますし。



さてさて。
すがすがしい朝ですが、世界はいい話ばかりではありません。
イスラエルはガザ地区にあるイスラム大学の施設を空爆したというし。ああ・・・。

昨日、できたての「ふくやま文学」23号が届きました。
私自身は九州に転居したし、退会したつもりだったので、封筒を見たときには驚きました。
事務局の方からの、一筆箋の親書が入っていて、
主宰の中山茅集子先生が、送るようにと指示したとありました。
巻末の会員名簿にも、しっかりと私の名前が残っていて、これも中山先生の指図だとか。

愛されてるんだなあ。

ぱらぱらめくると、メンバーの入れ替わりが結構あったようで、
知ってる名前が消えていたり、知らない名前が増えていたり。

楽しく読もうと思っています。






最終更新日  2018.06.05 21:09:28
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2010.10.06
カテゴリ:本の紹介

彼岸花


彼岸花がまっ盛り。
中津の隠れ家の周辺には広い畑があり、
畑のわきに、赤い彼岸花が連なるように咲いている。

その代わり、というべきか、
この秋は、僕はキンモクセイに縁がなかった。
あの、プラスチックで作ったような花弁から放たれる、
単純で強烈な香り。

ちょっとなつかしい。


       *


なつかしいといえば、
一昨日、研修中に、なんだか無性に、というか我慢しきれないほど強烈に、
村上春樹さんの「ノルウェイの森」を読みたくなった。
もう20年以上も前の小説である。
ちょうど僕が学生の頃に流行して、当時やはり学生だった、かわすみひろし氏(後に漫画家として活躍)に借りて読んでからというもの、
すっかり夢中になってしまい、自分で買って、それから何度も読み返した。
社会人になってからも、何度か読み返していると思う。
ここ10年くらいは読んでいなかったけれど。

「ノルウェイの森」以外は、僕は決して村上作品のいい読者ではない。
なんで今になって「ノルウェイの森」なのか。
いちおう説明可能な理由はある。
逆にいうと、こういうことでもあった。

  読書をしたい。小説が無性に読みたい。
  でも読みはじめると、どの小説も苦痛になってしまう。
  いま、苦痛を感じないで作品世界に酔えるのは、
  「ノルウェイの森」だけだ・・・。




ノルウェイの森(上)


ノルウェイの森(下)

研修が終わって、夕暮れの中津市内の古書店をはしごして、
上下刊ともみつけた。
部屋に帰り、はやる心を抑えて弁当を作り、晩飯を作り、晩飯を食べて、

さあ、読書タイムである。

一行一行、もうとにかくゆっくり、ゆーっくりと読もうと心がけた。
できるだけ長く、長く、長~く、作品の世界に浸っていられるように。
いつまでも読んでいられるように。

最初の1ページ目から酔い、
気付くといつもの就寝時刻をとっくに過ぎていて、

翌日も朝から読み、
研修の昼休憩に読み、
うっとりしながら読み続け、


昨日の夕方、とうとう読み終えてしまった。
もう物語がこの先にはないのだと思うと、がっかりだった。


ずっと読んでいたい、できることなら終わりが来ないでほしいとまで、読者に思わせる小説。
いったいどうやったら書けるのだろう。

「ノルウェイの森」を読んだあとは、もう何も読む気になれず、
中島敦の「山月記」を読み返したくらいで、
すでに読書熱が冷めてしまった。



      *

一日中といっていいほど、タバコのことばかり考えてしまう。

たぶん飴のしゃぶり過ぎだろう。
コーヒーを飲んでも紅茶を飲んでも、舌先に痺れる感覚しか感じない。
一日中飴を口にしているせいで、神経細胞に傷をつけたんじゃないだろうか。

今日はインスタントコーヒーを買ってきた。
インスタントコーヒーなんて買うの、これまた10年ぶりくらいじゃなかろうか。

でも、
コーヒーを飲んだら飲んだで、飲んだあとに、やはりタバコが吸いたくなる。
で、結局飴を口に入れる。

飴のおかげで、口の中がもう傷だらけである。






最終更新日  2018.08.17 19:09:19
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