in 『やなぎみわ展 』@原美術館
太宰治曰く「人間のうちで最も残酷なのは、えてして、このたちの女性である。」「女性にはすべて、この無慈悲な兎が一匹住んでいる」 (『お伽草子』カチカチ山 より)----------少女という存在は、いつでも美しくて、どこかちょっぴり残酷だったりする存在です。それは、子供の無垢さが、善悪を超越して存在するのことの、延長としての残酷さ。少女アリスは、不思議の国で、何気なくネズミに「猫のダイナ」の話をしますが、そこに悪意はありません。でも、それはネズミにとって、とても残酷なお話。こういう「無垢な残酷さ」を子供はみんな持っているのです。----------さて、しかし、寓話の中の子供達は、親の意向を反映してか、何故か「素直で良い子」が多く、一方、魔女は老婆と相場が決まっています。==========やなぎみわさんの、「寓話」 シリーズは、この「少女=無垢 / 老婆=無慈悲」の図式に揺さぶりを仕掛ける、挑戦的と言って良い作品。寓話を下敷きに、「老醜の仮面」を被った少女が老婆役を演じて、物語の1シーンがモノクロの写真によって切り取られます。----------しなやかな手足を持つ「魔女」は、その仮面によって、我々の意識下で「残酷な老婆」に変換されますが、その過程で気付かされるのです。「老婆」もまた、かっては「少女」だったことに。「残酷な少女」の延長線上に「老女」が存在することに。----------そして、それに気付き、写真を改めて見る時、我々の良く知っているはずの物語は、別な意味を持って立ち現れてきます。写真の美しさと裏腹に、「封印された物語」は、ゾッとするほど妖艶で、恐ろしい。----------原作を知らない寓話がいくつかあったのが、残念でした。こういうのは、元ネタのイメージがちゃんとあればあるほど、そのギャップを楽しめる訳ですから、自らの無知を恥じるしかないですねぇ。==========「砂女」 シリーズは、一見、不気味でありながら、どこか郷愁と親しみを感じさせる不思議な作品群。写真が数点展示され、映画が2本上映されています。----------1Fの映画はテントの中に入って、テントから外の光景を覗きみた映像を見る、というもの。映し出される風景も示唆的で、自分が「砂女」になった気分を味わえます。----------2Fで上映されている映画も、寓意に富んでいて、映像的にも結構面白い。祖母が語る実体験の昔話、という体裁を取っているのですが、ラストの祖母のセリフがすごい。そして、それに対する「私」の反応 -「私は出会えるだろうか。私の砂女に。」こそが、今回の展覧会に流れるテーマを示唆しています。すなわち、「少女」の「母」からの継承と自立。そう、自らの「砂女」と出会って、少女は大人になっていくのです。==========階段の所に掲げられた、大きなカラー写真パネル作品「AI」は、「My Grandmothers」 シリーズの1作。パネル脇の詞書とセット。この詞書には、思わずにやりとさせられます。こちらは、本人が本人の50年後を特殊メイクで演じているのだそうです。==========それにしても原美術館の居心地の良さは、すごいですね。自転車で、いや、歩いてでも行ける ご近所美術館なのに、今まで行っていなかったことが悔やまれました。『やなぎみわ展 - 無垢な老女と無慈悲な少女の信じられない物語』 @原美術館(品川)2005.8/13(土)-11/6(日)作者:やなぎみわ◆◆◆◆◆