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カテゴリ:父母の歩んだ道
寿司を食べながら開拓話を聞く・・・母と結婚した翌年には長男が産まれ、その翌年は二男、さらに翌翌年に私(三男)が誕生~♪母の苦労もピークに達し・・・
父母が一番記憶にある大事件は?・・・2、3才??の二男、長男の喧嘩・・・父母は畑仕事で忙しく目の届かないところで・・・長男は二男を崖下(7~8メートル)に突き落とし 、復讐に燃えた二男は大きな石を投げつけ長男は顔面血だらけ・・・ ヤンチャで暴れん坊の二人は歳も近く体力も同じくらいなので兄弟喧嘩をよくしていたらしい・・・私が生まれる頃は大阪の叔母さん(母の妹、5女)が手伝いに来てくれて、4~5年一緒に暮らし母はとても感謝していた・・・ 叔母さんが手伝いに来てくれる前は畑仕事が忙しく、両親は幼い息子二人を家の柱に縛り付けて泣く泣く仕事に出ていた・・・当時の農家では当たり前のようだった・・・ ある日、野良仕事を終わらせ畑から戻ると長男の姿が消え行方不明に・・・ 慌てた父母は長男を探し回り・・・ 声が枯れるまで、数時間あちらこちらで長男の名を呼び続け・・・ 陽は沈み・・・まわりは薄暗くなり・・・ 両親は心配と不安で胸が張り裂けるおもいで探し続け・・・ やっと・・・無事に見つける~♪ 長男(札幌の兄)は自力で縄を解き外の芋畑へ・・・ 仕事に出て行った両親を探し求め・・・ 見つけることはできず・・・ 疲れ果てて、芋畑でスヤスヤ寝ていた・・・ 生前母は私によく話してくれた「稔が生まれたときは、叔母もいて二人の兄のように辛く、嫌な思いもさせず、育てたのよ~」・・・両親にとって末っ子は可愛い??? でも私は札幌の兄にいじめられ続けていた?????それは兄の嫉妬から来ていた??? いじめの話は4月26・27日のブログに詳しく書いています・・・兄は記憶に無いと言ってますが・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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