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カテゴリ:きまぐれエッセー
以前に一度書いた事件について、記録のために再掲します。 僕と同郷で、東京に住んでいた青春時代に親しくして頂いたIさんという先輩がいる。小児マヒによる障害をもっていたが、芸術や文学に詳しかったので、遊びにいき話を聞くのが楽しみだった。 Iさんは東京・東中野にアパートをもっていて、アパートにはまた変わった人たちが出入りしていた。当時売れっ子だったイラストレーターの横尾忠則氏とも親交があり、僕も彼からオリジナルのポスターをこっそりわけて貰った。 Iさんはシルクスクリーン印刷の名手で、横尾忠則の指示を受けながら彼の作品を刷っていた。100枚から200枚限定で刷り、当時でも一枚数十万円で売れていた。試し刷りを何枚もしていたので、そのうちの1枚をこっそり貰った。試し刷りや失敗作はすべて処分が原則だったから、ルール違反ではあったが欲しい人にとっては垂涎モノだった。 Iさんの交友関係は広く、諏訪に住む素朴画として有名になった原田泰治氏も信州に帰ってから交流があり、そのふたりは同じ障害者同士という気安さもあって、ときどきIさんを訪ねてきて僕も加わり一緒に遊び歩いた。 そのIさんのアパートは、戦後まもなく立てた古い建物なのでトイレも洗面所も共同といったありさまだった。 住人は元ヤクザの親分や、学生運動の活動家、バーのマダムなどが混在し、60年~70年代の人間模様のカオスといった状態だった。そんなさまざまな人々が、古アパートの屋根の下ではみんな親しく暮らしていた。 僕がIさんと知り合った10数年前のことを話してくれたことがある。 Iさんもまだ大学生だったが、アパートの管理人を兼ねて住んでいて、同年代の従兄弟たちが家賃もロクに払わずにアパートに転がり込んできた。 アパートの管理人室は、毎日のように麻雀と酒盛りの場となっていたようである。 まだ皇太子だった今の平成天皇が、日清製粉社長の娘の正田美智子さんとのご成婚ということで、結婚パレードが行われるという日だった。 例によって、前の日から飲みながらの徹夜麻雀で、雨戸の隙間から射し込む外の陽ざしに気づいて、ようやく散会となった。メンバーは、Iさんと友人二人、そして某大学に合格して最近東京に出てきたばかりの従兄弟のAだった。 皇太子の結婚相手が初めて民間人からということで、軽井沢のテニスロマンスから始まるミッチーブームという国民的関心事となり、パレードの見物人も空前の人出ということであった。 撤マンあけのIさんも、酒ビンの転がる部屋の万年床に寝転がり、買ったばかりの白黒テレビでパレードの様子を見ていたが、いつしか眠ってしまったそうだ。 そして、夕刻近くになっていただろうか。 突然、「ドン、ドン」と乱暴に戸を叩く音がした。何事かと開けると、男達が土足のまま部屋になだれ込んできた。 「警視庁公安部だ。これから家宅捜索する!」 と叫ぶと、部屋中を引っ掻き回し始めた。なにがなんだかわからぬままIさんは、部屋の隅で震えて見ていたが、やがて事情聴取が始まった。 どうやら、皇太子ご成婚パレードで事件があり、その容疑だという。 Iさんは警視庁まで連れてゆかれ、事情聴取という取り調べを受けた。Iさんは思想的に誰を尊敬するか、大学ではどんなゼミに入っているのか、友人関係まで根掘り葉掘り聞かれた。 その頃になってようやくことの真相が見えてきたという。 Iさんの従兄弟のAが、こともあろうにご成婚の列に石を投げ、馬車に飛び乗ろうとしたというのだ。 しかし、なぜAがそこにいたのか、石を投げようとしたのか、そのときのIさんには思いもつかなかったという。 当日は、朝まで酒を飲み麻雀をしていた。政治はおろかご成婚の話などひとつもしていない。しかし、まてよ、あれも政治だったのかな、と思い出したのがAの母校が火災にあった話しだ。 この春までAのいた高校が、一昨年、不審火による火災にあっていた。犯人として疑われた生徒もひとりいたが、結局真相はわからず闇の中に沈んでしまった。 当時、県の財政も厳しく、校舎をすぐに建てることもかなわずバラックのような仮設校舎で授業が行われていた。信州伊那地方の冬は雪こそ少ないが、寒さは昼間でも氷点下の厳しさだった。 冬期の授業は、生徒も教師も凍えるような手をこすりながらで、室内に干してある雑巾も凍って、掃除もままならなかったという。そんななかで、ようやく進学を果たし、希望大学に入ることができたAであった。 そのAが、徹マン明けの宿酔いの残ったまま出かけたのが日比谷付近。折からご成婚の馬車行列を見るために群衆が街頭に繰り出していた。 ぼんやりと群衆のなかに割り込んだAの視線の先に、騎馬護衛兵に先導された皇太子と皇太子妃がにこやかに手を振って近づいてくるのが見えた。 その豪華で荘厳な式典が、Aにはとても空々しく腹立たしい出来事と感じたのだろう。無意識に歩道に転がっていた石を拾い、Aの正面を通り過ぎる馬車に向かって、投げつけた。そして馬車に向かって走り出した。馬車の後部に手が届くかどうかというあたりで、護衛警官たちに組伏せられた。 Aは取り調べにあたって、学校の再建にさえお金がないと渋っているのにこんな豪華なパレードを見ていたら腹立たしくなって…、というような供述をしたという。きっと、なれないアルコールが身体に残っていたこともあるのだろう。 ちなみにAの生家は、当時小学生だった僕の生家から2キロに満たない距離だった。この事件は、わがふるさとにとっての大事件となった。 国民的慶賀に泥を塗ってしまったとして、村は上へ下への大騒ぎとなった。Aの家は旧家であったが、言うなれば重い不敬罪ということなのだろう、一時は江戸時代さながら蟄居させられるような状態となった。 数年の刑期を終え、自宅に帰されたAはその後も数十年にわたり特定保護観察人物として扱われた。自宅には時々刑事が訪れて、生活の様子などの点検を受けていたという。 Aも、この日にブラリと日比谷を訪れなければ、何事もなく平凡な人生を送れたかも知れない。人生の歯車は、悪魔のイタズラのようなことで狂ってしまうものだということを思い知ることとなった。 Iさんには、その後も興味深い話しをたくさん聴いた。 人柄も優れた人であったが、惜しくも一昨年病気のために亡くなってしまった。 蝶クリック お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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