ひまじんさろん

2009/08/04(火)23:04

いい人の条件

きまぐれエッセー(265)

都会の子どもたちと接してみて、いろいろな問題点、そして長所がみつかりました。ちゃんとまとめなければなりませんが、手元の多忙にかまけてレポートにまとめられていません。 ほんとうに「忙」とはこころを亡くすそのものだと感じています。 子どもたちの長所についてとりあげてみましょう。 思ったより礼儀正しく、素直です。(まあ、その反面ひ弱ということもあるのですが…) そしてなにより勉強ができる、これには驚きです。絶対に僕の子ども時代とはおおちがいです。算数(数学)の宿題をしているところを横にいて見ていました。 さっささっさと問題を解いてゆきます。僕も頭の中で計算しているのですが追いついてゆきません。それでも、自然学校のコウチョウセンセイとしての威厳があるものですから、解けなかったそぶりなどみせられません。 幾人かの子の勉強をみていて思ったのですが、数とか量とか順番の概念の理解の仕方は、それこそ個々の感性によってアプローチも違ってくるものだと…。 量的なものがすごく把握しやすい子もいれば、幾何学的なアプローチだとすぐわかってしまう子もいる。掛け算のときに、碁盤の目の縦×横の面積でいくと、ごくわかりやすいという子もいますし、碁盤の目を出されただけでぼうっとしちやう子もいます。 「2×4」というより、「2+2+2+2」のほうがわかりやすい子、これもまたクセです。 「整体」の世界では体のクセ、体癖というものを重視します。クセそのものが個性です。学びの方法にもそんな視点が必要だと思います。 そういえば、僕の友人の碁打ちは、アマでいうと7、8段くらいの力がある男ですが、盤面をざっと見ただけで双方の数をほぼ計算してしまいます。また麻雀の計算だと、もの凄く速いやつもいます。 こいつらの頭はどうなってんだ、と感心してしまうほど鮮やかです。 でも、ちょっと違う場面ではまったく遅かったりする。要は癖なんだと思うことにしています。 兄が徒歩で家を出発して、その何分か後に弟は自転車で出発して、それぞれ駅に向かう。駅までの距離は○キロメートル。兄の歩く速度は時速○キロメートル、弟の自転車の速度は時速○キロメートルとする。弟が兄に追いつくのは駅の何メートル手前でしょうか、なんて問題がありました。 もちろん算数、いや数学かもしれません。それを読んだとたんに、「なんで兄貴が先に家を出ちやうんだ。なんで弟を待ってやれないんだよ。兄弟だろうが…」と怒りだす人。 「別々に駅に何しに行くんだろう」といぶかしがった人もいました。 そういう人は概して算数が苦手です。でも、いい人です。 都会の子たちが、いい人になれるかどうかはわかりません。僕はいい人の仲間です。自分でいうんだからまちがいないって…(なにかご不満でも?)。 励ましのクリックを

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